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その時必要な音楽がある。わたしの世界の終わりの始まりの思い出話。

わたしが自分の意思でCDを買ったのは高校2年生の時。それまで音楽は遠くて、テレビで流れているものが音楽だと思っていた。
幼いとき安室奈美恵さんの「can you celebrate?」がよく歌番組で流れていて、大好きだった。テレビの前で4才なりに感情をこめて歌った記憶がわりとハッキリ残っている。

時間は一気に飛んで16歳のほしこは生まれて初めてタワレコに足を踏み入れた。学校帰り、クラスメイトに連れられて商業ビルが立ち並ぶ天神をこわごわと歩いていた。
「親に言わずに天神来ちゃった~ひぃ~タワレコ初めて~!」と完全に浮ついている。好きなアーティストなど特になく、最新のトレンドなんてのも知らなかったので自分の好きなコーナーに行ってしまった友人が戻ってくるまで適当に店内をぶらつく。

(そういえばずっと流れてる曲があるな)と気づく。透き通った、男の子?の声?天使か?とても綺麗な声だと思った。もっとよく聞きたくて耳をそばだてる。「生物たちの虹色の戦争~」ん?「猟奇的な一般な市民は世界中で血の雨を降らし・・・」んお?「白い病院で死んだ・・・」穏やかじゃないねぇ!

こんなことを歌っていいのか・・・とものすごい衝撃をうけた。16歳のほしこ。「こ、こんなの聞いちゃいけないわ・・・」と自分を制そうとするも、好奇心はどんどん膨れ上がっていく。この美しい歌声と刺激的な歌詞がこころを掴んで離さない。

「いまタワレコが一番推しているバンド!世界の終わり!」と猛烈にプッシュしているポップを見つけた。(せせせ、世界の終わり・・・!こんな物騒なバンド名!きゃ~!)と目を逸らすも耳から入ってくる音楽は止まらない。
「どうしよう、どうしよう、こわいのに気になって仕方がない、もっと聞きたい、でも『世界の終わり』なんてバンド名、親が聞いたらなんて言うか・・・」こころのなかで行われる会議。
「そうだ、もう聞くことはないだろう。今のうちに聞いておこう」と、どうにか自分を納得させる言い訳を思いついて店内でその音を全力で浴びることに決めた。
テーブルの上に積み上げられたアルバム「EARTH」。白い服に身をつつんで、虚ろな目をしたやばそうな男の人と、どう見てもやばいピエロ。えっ、そこにこんな可愛らしい女の子!?と、このひと一番まともそうだな。とアーティスト写真を見て思う。

帰宅しても胸のざわめきはおさまらなかった。「もう一度聞きたい」と沸き上がる気持ち。でも親の前であの曲は流せない・・・と親が寝てからおもむろに実家のPCを立ち上げてyoutubeを開いた。

アーティスト名はもちろん覚えている。「世界の終わり」。忘れるほうが難しい。どきどきしながらキーボードを打つ。「せかいの、おわり、まぼろしの、いのち」。まわりに聞こえないようにヘッドホンを着けて動画を再生した。わたしは今まで感じたことのない感情の波に襲われて泣いた。

美しい天使のような歌声と、「使ってはいけない」と思っていた言葉たちが感受性豊かな10代のこころをかき乱していく。「ぅえ~~~・・・」と声を出して泣く。次の曲。次の曲。EARTHに収録されている曲を網羅する。気づいたら完全にハマっていた。沼に。

(このパッケージ懐かしい泣)

その日から毎晩毎晩わたしはyoutubeで邦ロックを聴き漁るようになった。世界の終わり、サカナクション、androp、plenty、amazarashi、andymori・・・それがわたしの大事な青春の数ページとなった。
音楽を聴くことでたしかにこころが満たされた。まだ自分を形成できていない未熟なハートの、欠けた部分を補ってくれる大切なパーツだった。

(その後のセカオワとの思い出や、plentyとの思い出、backnumberとの思い出もあるけど、長くなるので気が向いたときに書いていきます)

思ったの。正直に言うと、いま流行っている音楽をわたしはほとんど聴かない。(テレビで流れてくるとか、シャッフルで流れるものは聞いてる)あと年かな?激しい曲調よりメロウな音楽が好きになった。最近は’90年代の音楽をもっと聴きたいと思うようになった。相変わらず音楽を聴くことは大好き。
わたしが聞かない音楽に救われるこころがある。その音楽じゃないと生きていけないこころがある。それは確か。だから「こんな音楽を聴いてるなんて趣味悪いね」とか「この音楽を否定するなんてセンスないな」とかそういうのなしにして、特定の曲を聴く人も聞かない人も「音楽を愛するこころ」は共通しているから、それだけでいいんじゃないかな。なんでもかんでも「一緒に!」しなくても。

音楽のことでいがみ合うのが悲しいなと思った。だけのお話。

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