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わたしは「普通」がわからなかったけど、それでもいいと思う
小学生の頃からわたしは文章を書くのが好きだった。
はっきりと自覚していたわけではないけど、国語の時間が好きで、登場人物の気持ちに思いを馳せるのが好きで、言葉ひとつで心の機微を表す筆者の表現力が好きで、作文の宿題は面倒だと思いながらもアイデアを膨らませるのが大好きだった。
夏休みの自由課題に、好んで読書感想文を選ぶほどだった。
それでも実は、「わたしは文章を書くことに向いていない」と思っていた。小学校の学年の終わりに書く学級文集がきっかけだった。
「みんな!この1年の思い出をなーんでもいいから書いてきてね!」と先生に言われたほしこ(5年生)。
「この1年の思い出か~~~・・・」しばらく考えて思いついた。「あ!このことを書こう!」嬉々として筆をとる。
作文を出すのが早い子、遅い子、ようやくみんなの作文が提出されて、修了式の日に出来上がった文集をもらった。
みんなが書いた作文をひとつひとつ読んで、わたしは驚いた。
「遠足」「運動会」「みんなで育てた野菜の収穫」「学習発表会」・・・
み、み、みんな、学校の行事のことを書いている!!!!!!!!
そんなこと思いつきもしなかったほしこ(5年生)が書いたテーマはなんと「風邪」だった。
「わたしのこの一年の思い出はかぜをひいたことです。大事な日にはいつもかぜをひいていました。〇〇くんが転校する前のお別れ会、〇〇ちゃんが転校する前のお別れ会。みんなで見に行く、げきの日にもわたしはかぜをひいて、行くことが出来ませんでした。わたしはこのことがとてもくやしくて、〇〇くんのお別れ会の日にはぜったいにかぜをひかないぞ!と決めました。そしてその日、わたしはかぜをひかずに学校に行くことができて、〇〇くんを見送ることが出来ました。良かったです。」
みたいな、そんなことを書いた記憶がある。
びっくりした。「学校の行事」に思い入れのなさすぎる自分に。そして、示し合わせたかのように「学校の行事」の思い出を書くクラスメイトのなか、的外れなテーマを書いている自分に。
「え?作文のテーマって、『学校の行事縛り』だったの?もしかして先生言ってた?わたしが聞いてなかっただけ?」とも思った。でもそうじゃないんだろう。
わたしには「普通」がわからなかった。「何を求められているのか」がわからなかった。
この気持ちがわかるひと、noteにはたくさんいるんじゃないかなと思う。
わたしはいたって真剣に取り組んでいるのだけど、なんかズレている。
観点がズレていることに気付いたこの時はものすごく恥ずかしくて、わたしの作文だけは見ないでほしいと心から強く願った。
しばらくは恥ずかしくて、求められていることがわからないことや、全体像を俯瞰できない視野の狭さがとても嫌だった。
でもまあ経験を重ねるうちに「求められていること」や「全体像を見ること」は、不慣れながらもなんとか身に着けることは出来たと思う。
油断するとすぐ別のアングルで物を見てしまうし、得意ではないからけっこうエネルギーを使うけど。
だけど、大事なのはここから。
この「別のアングルで物を見る」ことは、わたしの武器なんだと思う。
なにが面白くて、なにが悲しくて、なにに驚くのか、わたしだけの「感覚」を持っていることは才能だと思う。
遠足も、運動会も、学習発表会も、そのどれも、わたしは楽しかった。
でも一年の最後に「これがわたしの思い出」と書きたくなった出来事は「風邪をひいたこと」だった。
あの時は恥ずかしく思っていたけど、普通の枠からはみ出した視点を持っていたほしこ(5年生)を今は誇りに思う。
高校生の時には「普通がよくわからない自分」のことを受け入れられるようになっていて、「今回も自分が感動したことをそのまま表現しよう!それがストライクゾーンから外れていたって、わたしのこころに響いたものはそれなんだから仕方ない」と開き直って読書感想文を書くことが出来るようになっていた。
賞を取れるような才能ではなかったけど、読んだ担任がかけてくれた「作文良かったよ」という一言で十分報われた。
生まれ持ったのがこういう感覚なもんだから、仕事として「SEOを意識した文章」を書くのはどっちかというと苦手だ。それでも文章を書くことが好きだから、その気持ちでなんとかカバーはしている(つもり)。
何よりも大切なのは、わたしもあなたも、わたしにしか、あなたにしか感じられないものがある。
それを忘れずに、失わずに、お互いに尊重しあって生きていきたいね。