マイナス5の日と食欲ビッグバン
起きた時から気分は優れなかった。誰とも話してないし、誰にも気分を害されていないのに、なんだかイライラしている。(今日はマイナス5の日かもな)と感づいた。「マイナス5の日」というのは自分で名付けたもので「なにをやってもうまくいかない、気分がすぐれない、すべての事象に苛立っている日」のことを指す。通常より目盛りが5つ、左に寄っている。
通勤電車に揺られ、なんかもうすでにいやだ。「月曜日で仕事が憂鬱」とは別物の鬱陶しい気持ち。仕事を開始してから早速利用者に文句を言われた。同僚からパスされた仕事をこなしていたら、引継ぎの前に確認しておく事項が見落とされており別の部署のひとからなぜかこっぴどく怒られた。理不尽だぜ。
怒られた内容に反発するというよりも、この「うまくいかないことが続いている」ことが腹立たしかったし、「マイナス5の日という名にふさわしく、ほんとなにやってもうまくいかんな今日!」とすこし可笑しくも思えた。
起床したときには「今日マイナス5の日くさいな」という疑念だったものが「本日はマイナス5の日です」と確定し開き直りつつあった頃お昼休憩になった。もともと食が細くランチもあまり量は食べないほうだが、今日はちがった。ローソ〇のオリジナル商品のコク旨担々麺をものの10啜りで麺を食べきり、(この残ったスープに入れたらうめぇんだ)と悪魔の笑みで持参した白米を投入し飲みこむようにたいらげ、締めにプリンを食べた。それでも足りないほどだった。おなじメニューをおかわりできるくらいの気持ちの余裕はあった。あくまでも気持ちの。ここまできてまた別の疑念が確信に変わった。
「あ、絶対生理前だわこれ」
腹が満ち、苛立ちの正体もわかり気持ちはだいぶ落ち着いた。落ち着きはしたが、(なんだかな~)という気持ちが消え去るわけではない。頭のてっぺんに妖怪ナンダカナ~を居座らせながら午後の仕事を「はやく終われ」と念じながらこなした。定時まであと2分。よっしゃ、もう終わる、終わる終わる・・・とマスクのしたでほくそ笑んでいると視界に人影が映った。
「すみません、時間外なんですけどいいですか」と困り顔のお姉さん。一瞬顔が引きつったが、お姉さんの手元の紙をチラ見すると書類を渡すだけでいいことがわかったので「どうぞ」と、残った体力で出来る限りの笑顔をつくり対応した。
受領サインを書いてもらっているときだった。お姉さんが「この書類を申し込んだときもあなたが対応してくれました。申し込みのために順番に待ってるかたがほかにもいらっしゃったのに、わたしが体調が悪いと伝えるとすぐに対応してくださって。ほんとに申し訳なかったです。今日も時間外なのに・・・すみません。ここまで来るの大変なので助かりました。ありがとうございます。」と言ってくださった。その瞬間、わたしの荒んだこころはみるみる生き返っていった。新緑の若葉がさわやかな風に揺れているような心地だった。わたしは嬉しくて嬉しくて「ありがとうございます!すみません、ありがとうございます!」と繰り返した。「ありがとう」の意味も「すみません」の意味も、お姉さんにはわかりっこないのに言葉を止めることができなかった。
お姉さんが「ありがとう」と言ってくれたのは、自分自身の行いの報いだった。「過去の自分ありがとう!ぐっじょぶ!」という気持ちも確かにあったが、それでも「ありがとう」の大部分を占めていたのは「『ありがとう』と言葉にして伝えてくれてありがとう!」という気持ちだった。
「適切な時に話される言葉は、銀の器の中の金のリンゴのようだ」
という聖書の言葉を思い出した。「ありがとう」といったひとを思いやる言葉はそれだけでも温かいものだけど、適切なタイミングで発されるととっても美しくなる。銀の器だけでもとても貴重でその造りに惚れ惚れするに違いないのに、それを開くと金のリンゴがあらわれたときの喜びったら!
気分や体調がすぐれないときの無理は禁物だ。余計にこころが苦しくなる。うまくいかなくても、起きたことに自分が苛立っても、「今日はマイナス5の日だから」と受け止めてあげると必要以上にストレスを感じなくていい。
「5」という数字が大きいのか小さいのかは、曖昧のままにしておく。その時々で大きさは変わっていい。すっごく大きいときもあるだろうし、すっごく小さいときもあるだろう。そのときのこころの大きさに合った考えかたが出来たらいい。
もしかしたらあの日のお姉さんも「マイナス5の日」で、そこにわたしの言葉が金のリンゴとして現れたのかもしれない。今日はそのお返しに来てくれたのだ。ひとって、ひとの繋がりって、とっても優しい。
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