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ジョン・メイヤーと大橋トリオはわたしを大空へぶっ飛ばす

音楽が記憶を引き起こすプルースト現象
ジョン・メイヤーと大橋トリオは瞬く間にわたしを大空へぶっ飛ばす

なにもかも失ってもいいと思った。彼が居るならほかには何もいらないと。どうしようもない愛だった。

わたしたちはもともとひとつの細胞で、そこから分裂したんだ。お互いにそう思っていた。ほかのひとには笑われたっていい。それが真実だから。笑われてもいい愛だった。

ひとつの細胞に戻ろうと決意すらしたけど結局わたしたちはダメだった。確かにひとつの細胞ではあったけど、もうそれぞれの意思を持っていたから。その意思はふたたびひとつには戻れないほど固く確立したものになっていた。

そしてわたしは半身を失ったまま大空へ飛び立った。

それは半年も前から計画していた1ヶ月にわたる旅。カナダとアメリカで気ままに過ごすのだ。友人と計画を始めた時点ではこの旅が楽しみで仕方がなかった。

それなのに

この数ヶ月に起きたことが重くのしかかり、旅立ちの日が近づくほどわたしは憂鬱で仕方なくなった。

彼のいる日本から離れたくなかった。わたしの半分をここに残して簡単に会えない場所に行ってしまうのがとても辛かった。その時すでにこころも身体も離れ離れだったからこれ以上彼から遠い場所に行きたくなかった。

行きたくなくても出発の日はやってきた。彼が住む町の上を飛んでいる時、このまま機体ごと爆発してしまったらどんなに幸せだろうと思った。そうしたらわたしは彼のそばで、彼を想いながら死ねるし、わたしが死んだことを彼はニュースで知り、わたしの影をこころに抱えながら生きていくんだ。彼のこころの中で生き続けられたらどんなにハッピーエンドだろうかと。

わたしの願いを無視して飛行機は飛び続ける。彼が住む町がどんどん遠くなる。発作のようにこわくなり「わたしをここから降ろして!」と喉の奥で叫ぶ。叫んだところで100%わたしはイカレてるひとだ。同行している友人にも迷惑をかける。ぎりぎりの理性がわたしをシートに縛り付けた。

どうにかこの発作を落ち着かせたいとわたしは備え付けの画面を操作する。映画を観るか、音楽を聴こう。画面をめくっているとジョン・メイヤーのアルバム「The search for Everything」が目に入った。彼がよく聴いていたアーティストだとすぐピンときて、痛み止めの薬を欲するように必要以上に力強く再生ボタンを押した。

最初に流れたのは"Still Feel Like Your Man"。 余計にえぐられた。なんて言ってるかわからなかったけど、半分を失っている心臓の断面がとにかく痛くて聞けなかった。涙がじわじわと溢れてくる。うぐぐ・・・と悶えて一時停止する。

深呼吸し、手荷物で持ってきたiPadでspotifyを起動する。機内でも聴けるようにダウンロードしてきた。再生するのは大橋トリオ。彼が唄ってくれたのがきっかけで聴くようになったアーティスト。どこまでも穏やかな旋律、包み込んでくれる歌声、お気に入りの毛布をたぐり寄せて子どもが泣きながら眠るようにわたしもその優しさにくるまることにした。

17時間のフライトの間わたしは大橋トリオになだめられながら過ごした。これから1ヶ月日本には戻れないという現実がわたしを追い詰めるけど、彼もきっと聴いているであろう音楽を聴くことが「微かに繋がっている」と、わたしを生きることに繋ぎとめる救いになってくれた。

時差も辛いものだった。わたしが眠っている間に彼は動き、彼が眠っている間にわたしは動く。彼を照らした太陽が昇ってくるのが待ち遠しく、じりじりした夜を過ごした。「彼は元気だった?」と、答えない太陽に話しかける。彼とわたしが生きる世界が繋がっていることを知らせてくれるものならなんでも良かった。

ある日彼がSNSで呟いた。「北アメリカの君はどうしてるかな」と。彼に嫌われたと思っていたわたしはその「君」がわたしのことを指しているのか自信がもてなかったけど、それでもわたしのことであってほしいと願い、出てくれないかもしれないと思いながらも、まだ誰も起きてきていないホームステイ先のリビングから彼に電話をかけた。

彼は電話にでた。お互いなんと言ったらいいのかわからない、とても緊張する無音がしばらくつづいた。

「ひ、ひさしぶり」「ひさしぶり」
「元気?」「うん、元気だよ」

彼の声を聞いてわたしはやはり彼のことが大好きだと思った。ずっと求めていた彼の存在が確かにここにある!会いたくてたまらなくなった。

「日本に戻ったら・・・会えるかな」

その答え次第であと半分残っているこの旅をわたしは生き延びれるし、彼の答えが肯定的なものであるとほとんど信じていた。でもちがった。

「ごめん、会えない」

カナダは午前5時。日本は夕方6時。地球のほぼ真裏にいる彼との間の大きな距離が、わたしを打ちのめした。今いる場所も、時間も、想いもあまりに離れすぎている。もうだめだ。もう、立てない。

あのあと何と言って電話を切ったんだろう。全ての力を失くしたわたしはなんとか部屋に戻りベッドに突っ伏した。

それからも旅の途中で彼の言葉を思い出しては何度もこころがくたばった。その度にわたしは大橋トリオを聴いて荒れるこころを鎮めた。痛みを感じなくさせる麻酔だった。

❁ ❁ ❁ ❁ ❁ ❁ ❁ ❁ 

カナダでもアメリカでも、楽しい時間を過ごして思い出もたくさんできた。ただ、彼とのあれこれがこの時期と被っていなければよかったのにと心の底から思う。3年経つのでそれらの出来事は笑い話になったし、彼のいない生活にもとうに慣れてわたしは生きる楽しさを再び手に入れた。

それでもあの時聴きすぎたせいだろう。あの時よく聴いていたアルバムを流すと、わたしの身体は一瞬で大空へ飛び立ち、あの瞬間のえぐられるような痛みに襲われる。

わたしのDNAに刻まれてしまった記憶とこれからも生きていくのかと憂鬱に感じながらも、そんな風に誰かを愛せた自分が誇らしい。







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