なぜ今noteで書いているのか【失恋から立ち直る方法●】[2024/04/12]
「KinKi Kidsのファンクラブが4月末で解散となる。」
そのニュースが情報メールで送られてきたのが4月12日。
失恋して何もできなくなるほど落ち込んで
しっちゃかめっちゃか出会いの場に飛び込んだ。
行ったことないところにも1人で出かけた。
接待された席ではニコニコ笑って楽しく話したかと思ったら、仕事では大失敗をした。
(一昨日、昨日の記事と話が続いている。)
と、こんな調子で過ごしているときに飛び込んできたニュース。
自分が長年推してきたグループにも変化があって、ここでも私の心を揺り動かしに来るのかと驚いた。
どう考えても自律神経に良くないだろうという生活だった。
話を聞いてくれる人がいれば、ハイになって喋り続け、1人になっては自己啓発本などを読んで「ようし!頑張るべ」と思ったかと思ったら、次の朝にはまたどうしようもなくローになって落ち込んだり。
どこにこんなエネルギーがあるのかというぐらい行動の質も量もおかしかった。
短期間での感情のアップダウンの振れ幅が大きすぎて、自分でもどうにも制御できなくなっていた。人に話すときは、ジェットコースターのような気分だわと説明していた。
これまでただの片想いでフラれるのには慣れていた。
今回はそうでなくて、ただでさえ恋愛市場では自己評価の低い自分がこれは両想いなのだと確信して、人生もギアチェンジを迫られて、悩んで決断して、盛り上がったところでブチっと関係が断ち切られるという、すぐには納得するのが難しい状況。
気持ちが切れていないのに、気持ちがついていくわけがない。
あまりに自分で自分の状況や行動が信じられなくて、寂しさ、絶望感、悲しみ、怒り、面白さ、色々な感情が巡り巡った。
早く何とかしたくて、沢山色んな人に話を聞いてもらってアウトプットしたし、アナログのノートにも書いてアウトプットしたし、それでもまだまだ消化も昇華もできていない気持ちがあった。
この説明のつかない感情が平常に戻るまでにどんなことをしたのか、どんなことを考えたのか、記録にして世に出したら面白いのではないかと漠然と考え始めたのもこの頃だ。
書くための媒体として、シンプルですぐにも書き始められるからnoteを選んだ。
4年ほど前、コロナ禍の閉塞感を感じる中で、noteでいくつか気に入る記事があり、読み手だけでなく書き手としても取り組んでみようかとアカウントを作成した。
あまり好きなものやことを周りの人に明かして生きて来なかった自分が、好きなものを本音で好きと言える場にしようというコンセプトで始めたが、noteを書くことが目的となっているだけでは、続かなかった。
noteはつれづれ語りを書くのも良いが、今回のようにテーマがはっきりと決まっている方が楽に継続して書けている。
無茶な行動の疲れが溜まっていたのか、少し不調を無理して出張に行った戻りで倒れ、初めてコロナに罹った。喋りすぎた罰が当たったように喉がやられて喋れなくなったので、体調は最悪でも、熱が下がってから自宅に引きこもっている間にnoteで記事を公開し始めた。
数日のうちに、4年前に記事を書いた時よりも、多くの人が読んでくださっているようだと感じた。
時系列を行ったり来たりしながら、振り返ったり、その日感じたことを書いたり、毎日記事を更新すればするほど、読んで下さる方が増えて嬉しかった。
ズルい考えかもしれないが、こうやって他者に認めていただく機会を作ることで自己肯定感が上がり、早く立ち直れるのではないかという縋る気持ちもあった。
noteの世界には、私が大事にしたいと思っている多様な価値観があって、色々な目的に応じて記事を探すと、本当に色々な意見、素敵な考え方、取り組み、自分では考え得ないようなアイデアにも出会える。
最初は、自分が立ち直ったと思えたらこのシリーズは完結だと思っていたが、今はどうやって終わらせるかは考えていない。
完全に立ち直った頃にはnoteの記事を書くこと自体をやめているかもしれないと思ったり、思わなかったり。
この記事は、またしばらくしたら加筆するかもしれない。
最後になりましたが、日々記事を読んでくださっているみなさんに感謝しています。
ありがとうございます。