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Be Place それはごもっとも、ですが
分かっちゃいるけど・・・
●シニアの居場所探しは必要ですか?
世に語られる「シニアの居場所探し」ですが、シニアにとって居場所がそれほど必要だといわれているのは持て余す時間と空しい存在感を埋めるためなのでしょうか。どちらにしてもどこか寂しさを感じさせるこのテーマにかならずといっていいほどついてまわるフレーズがあります。「孤独」と「孤立」。
このふたつ、実は似て非なるものだと思うのですがどうやらセットで語られることが多くそのイメージはあまり良くありません。しかし、「孤独」には必ずしも負の部分だけでなくてひとによってはあえてそれを好む場合だってありますし、時にはこの感情により心のバランスを保つことで考え方を成長させるような側面さえもっています。孤独を漂わせるひとを可哀そうだと決めつけるのは余計なお世話。熟年になればあえて「ほどよい孤独」を推奨するひとだっていますからね。
ただ、「孤立」は少しばかり様子が違って本人の意思に関係なく社会的な問題にもなったりするのでできれば避けたいところ。孤独は気持ちの持ちようなのでひとりぼっちだろうがひとと交わっていようが関係なく感じるものですが、孤立はあきらかに社会と接点を持たない状態のことを指しています。
リタイアしたばかりのシニアにとって「居場所探し」が孤独を埋めるための行為だと思われるのは少し抵抗があったりしますが孤立を避けるための必要行動だと考えれば頑張れるかもしれません。そこには立派な意味があるのだからしょうがない、と。
●じゃあ、どうすれば?
孤立から脱却するにはいったいどうすればよいのでしょうか、社会とつながる、ひととつながるための方法とは何でしょう。ただでさえ腰が重くなり必要最低限の会話のみの日常を過ごしていると、喋りも簡素化され唐突に口を開けば不適切な発言ばかりしてしまいそうな気配です。はて、そんな面倒なシニアにもいろんなひとがあちこちでアドバイスをされています。もっとも多く散見される推奨ポイントは下記のごとくです、なのですが。
1, 小商い
再就職、パートといった生活費用を稼ぐ労働ではなくて、収入そのものを目的としない小遣い程度でよいのでいままでのキャリアや趣味を生かしてみませんかと。
しかし
→ それができれば悩みません
2, 組織で働く
王道の意見です。そりゃ、なんらかの組織に属していればたとえ嫌われていても最低限の接点は残りますね。
しかし、
→ そのひと次第ですが、結局は孤独感も孤立状態も解消されなかったり
3, 趣味に生きる
美しくもあり欠点のない正論です。
しかし、
→ 趣味があれば悩みません。そのためにあえてやるのはほんとの趣味?
4, 地域活動やボランティア
このアドバイスは、自分のやれる範囲でなおかつ感謝されることだったりするのでまったく異論などあるはずもなく。
しかし、
→ 急にそんないいひとになれない人種が「居場所探し難民」
5, 学び直し
他人に迷惑をかけず、自分のペースで実現できそうです。
しかし、
→ 孤独の解消にはなりますが孤立からはどうでしょう?
●それができれば悩まない
このように世にあふれるせっかくのアドバイスにも首をかしげてしまう面倒なタイプ、リタイアしたシニアで「居場所探し」で難民化しているひとは概ねこのようなひとたちです。これでは抜本的な解決策など見当たらないでしょう。
しかし、だからといって負け惜しみのように孤独は美徳のひとつだとうそぶいて居直ってみてもやはり「孤立」は避けておきたいところです。
「孤独」そのものは考えようによって「居場所」のひとつになります、それこそ「Be Place」と考えれば自分なりの心の居場所に成りえますが。孤立はね。
抜本的な解決策はありませんが重要なのは「孤独」と「孤立」を混同せずに、自分のためだけでなく仕方ないくらいの感覚で取り組みましょうか。
まあ、多少気力のある時にダメもとで気負わず迷わず適当に。学び直しから趣味を発見して、地域の趣味サークルに顔をだしたらボランティアに誘われた、なんてね。
答えは風に吹かれている、かも。