Be Place 年明け、都合良~し
一年の計は簡単にあり
●この日ばかりは
仕事をしている現役社会人であれば自分の意志とは関係なく時の流れにそれぞれ節目というものが存在します。年度決算やら四半期決算など面倒なものからGW、夏休み、仕事納めといった風物詩のようなものまで好む好まざるとは関係なくそれはやってきます。
リタイアシニアにはそれが無い。歳時記をたしなみ季節を楽しむような日々が身についていればそれはそれで節目を感じることもありますがなかなかそうもいかないのが現実でしょうか。とはいえ一年を通して全国、いや世界が一斉に節目を強要してくるのが年末年始、そう新年を迎えるときです。ふだんは日常に流されているのにどうもこのときばかりは。
●分かっちゃいるけど
いつも同じ失敗を繰り返してはまたしても意気込んで挫折するのが「今年こそは」というやつです。社会人として何か必要に迫られることがある現役時代はそれなりに課題があるでしょうし、たまに思い立ってポジティブな自己啓発に挑んでみたりもしたけれど途中で息切れして放り投げる。挙句の果てにはそれすら忘れて年末になると反省どころかまたしても同じ目標を掲げしまい、来年こそは、なんて。
ところがリタイアシニアには何かしなければならないというような外圧を感じる環境にありません。また、残りの人生を充実させようと目論み自分の趣味や特技などを振り返って着手するなど、これまでうんざりするほど挑戦してきていますからあらためて今年の抱負といわれても「今更」というかんじでなのですが、どうもこの年の初めというのはいつもと違って周辺が騒がしい。
●それならそれで
誰からも何処からも要求されることもなければ期待されることもないのにわざわざ新年の指針をひねり出すなど笑止千万、ましてや惰性感あふれる日常生活にあらためて理念や抱負を持ち出すのは無から有を生む苦しみに似ていることをリタイアシニアは百も承知です。無駄な失敗の繰り返しを年齢を重ねたキャリアですでに経験済み、年初の誓いや計画など瞬間の自己満足としてやがて忘れ去られていくことを知っています。とはいえ、この新年という大きなポジティブシンキングの波は鬱陶しい。どうやり過ごそうか。
そんなときこそ「Be Place」で。どんなときでもどこであっても気持ち次第でそこが自分の居場所になる、今年はそんな柳のように自由な生き方を目指す、とうそぶいてみましょう。この考え方をもってすれば上段に構えたり必要以上にあせらなくてその日の過ごし方を見つけ、他人にとやかく言われなくても納得のいく明日が迎えられると。まあ、そんなテーマでどうでしょうか。
まあ、具体的にそこが図書館や公園といった公共施設、喫茶店やスナックなどの店舗、また自治体やコミュニティが運営するサークルやボランティア活動であったり、街歩きといった究極の自己陶酔旅のことだったりとまさに多岐に渡ってその可能性がひろがります。
どれが自分に合うのかやってみないと分かりませんが、いつ始めても良いでしょうし合わなければ適当に止めてしまうぐらい自由で勝手気ままに。誰からも文句は言われることはなく続ける義務や責任なども無い。気が向いたら始めて飽きたら終わる、そんな気軽な気持ちで「Be Place」と呟くのはどうでしょうか。
●無敵なことば
ただし、「Be Place」といえどもアクションを起こす、行動するというテーマを掲げるとなるとそれはそれで最初は多少気合が入ったりしてしまい従来の年間目標のようになりがちです。そのためにも常に持つべき最適な心構えがあります。それはうまくいってもいかなくても何事も「都合良し」、それはそれで「都合良し」なんだと。
始めてみたものの飽きてしまったりダメだったりしてもそれは次なる新しい出会いへのゴーサインみたいなものです。納得のいくものではなかったとしてもそれ以上無駄な時間を費やさないための試用期間みたいなもの、別に誰とも約束はしていないし責任もない。しかも時間はたっぷりあると思えばすべて何事も「都合良~し」、あえて言うならそれが年初における所信表明でも良いのではないでしょうか。
こんな考え方が、すでに「都合良し」