見出し画像

頭の中では完璧だった

 「百聞は一見に如かず」とはよく言ったもので、わざわざ説明も不要なくらいには有名な言葉でしょう。口下手な頑固師匠が弟子に「習うより慣れろ」と諭したり、熱血刑事が「現場100回!」と息巻くのも、どちらも使われる場面は違えど、本質的な文意は「百聞は一見に如かず」と同じと言って差し支えない。

 本質的な文意、それは体験至上主義と言ってもいいですね。幸か不幸か、僕たちは五感を有して、ざらついた地に足をつけている。どうやら教科書で読んだり、ラジオで聞いたりする行為よりも、見たくもない現実に焦点を合わすその双眸で、聞きたくもない噂話の電波を拾うその鼓膜で、言いたくもない社交辞令を吐くその口で、嗅ぎたくもない煙草のタールと強すぎる香水の刺激に警鐘を鳴らすその鼻腔で、現実の輪郭に触れることが重要らしい。 
 仮に、思い出は全部記憶しているけれど、記憶は全部は思い出せないとするならば、そうやって不断に連続する体験のフィルターを通すことで、風化していく記憶を思い出に置き換えてゆくのでしょう。

 例えば、ライブのネットチケットより現地チケットの方が高価なのも体験の価値のためであり、乳搾りや果物狩りのような、お金を払ってまで農家の日々の仕事を肩代わりするという一見不可解な行為も、体験の価値だ。キッ〇ニアとか、お金を払って仕事を体験する資本主義の悪魔みたいな施設もありますしね。

 冗談はさておき、先日人生で初めて海に入りました。入ったといっても浅瀬でくるぶしを濡らす程度ですが。写真や物語の中で登場するような壮大で美しい海と比べると、実際の海は思ったよりゴミが落ちていて、透明とは程遠くて、魚も泳いでいなかった。代わりに得られたのは潮のツンとする匂いと、潮風で髪がベタつくことと、足が砂まみれになった体験だった。
 拗らせたオタクが空から美少女が降ってこない事を知るように、王子様を夢見る女の子が曲がり角の先に誰もいないことを知るように、ニモや乙姫がいるような理想の海を、720pの等身大な解像度のビットレートで更新してしまった。

 でも、それも悪くはないと思う。幽霊の正体見たり枯れ尾花!と頭の中の理想(妄想)と現実の答え合わせをしてしまうことで、興ざめたり落胆することも少なくはないかもしれない。けれどそうやって少しづつ体験で頭の中の理想を壊して回って、その上で壊れなかった綺麗なものとか汚いものとかを、思い出として後生大事にしていきたい。


 p.s.最近はシャボン玉がやりたすぎる。やったことないので