実母のサポート終了(術後21日目)
退院日に上京し10日ほど生活のサポートをしてくれた実母が、実家へ戻りました。
実家は山形。新幹線か飛行機の距離です。
COVID-19が猛威を奮う状況ですので、はじめはサポート無しで乗り切ることを想定していましたが、「誰が反対しても私は行く」と主張した母。
15年近く前に父が腎臓癌の摘出手術を受けたことがあり、術後の様子を間近で見た母からすれば、退院後にすぐ家事育児をするのは絶対無理、手助けが必要だと。
それ以上に、30代の若さで(超早期とはいえ)癌を患い右胸まで失った娘のことを思うと、直接会うことも助けることもままならずにじっとしていることなどできない、というのが1番大きかったようでした。
実際のところ…母に来てもらって本当によかった。。。
特に退院直後の私は、術後の傷の痛み、右手神経のおかしさ、失われた体力の影響で、何の役にも立たない人状態。
母には、入院荷物の片付けに始まり、抱きついて甘えたい息子の相手、平日の家事全般、息子の保育園お迎え、果てには私の通院付添やら服の着脱やら入浴前後の処置(防水/傷口保護テープ貼りや薬の塗布など)まで幅広く活躍してもらいました。
夫は義母に気を遣い暮らしにくかったと思うのですが、かといって夫が仕事+家事育児+私のお世話までするのもかなり負担が大きかったと思うので、母がいなかったらと想像すると結構恐ろしい…
私の体力がそれなりに回復してからは、自宅近辺のお散歩→スーパーで買い物→電車に乗って買い物、と少しずつ外出のリハビリにも同行してもらい。
右腕側に負担をかけられない且つ右手の感覚がおかしくなっている身では、1人で行動範囲をどんどん広げていくのは不安だったので、精神的にかなり助けられ、早い社会復帰に繋がったと思います。
精神的に助けられたという意味では、四六時中の話し相手になってもらったこと。
もうこれに勝ることはない。
日常の他愛もない会話、乳がんのこと、再建のこと、育児のこと、仕事のことなど…ずっと喋っていた 笑
話すことでストレス発散している生き物には、これ以上のサポートはなく。
不意に襲う、右胸を失った喪失感ですら、朗らかな性格の母と話しているだけで都度和らぐような気すらした。
録画していた年末のNHKドキュメント72時間特番を観ながら、あーだこーだ感想を言い合う時間でさえも、私の回復の助けでした。
この役回りは、さすがに夫には難しかったかなと思います…笑
母が帰ってしまう日は、まるで里帰り出産を終えた時のような絶望や不安や寂しさを感じましたが。。。
いつまでも病人でいるわけにはいかない、妻であり母である日常に戻り、仕事にも復帰しなければならないから、そろそろ自分の足で立つかと、そういう気持ちになれました。
私が右胸を失うことを、私以上に悲しんでいた母。
たけど術後の傷&エキスパンダーが挿入された右胸を見て、「思ってたよりずっと綺麗。再建技術もすごい。これなら大丈夫だろうって思える。」と安堵していた母。
いくつになっても母は母で、娘は娘なのだなぁと改めて実感した10日ほどでした。
母は偉大です。
私もそんな母でありたいです。
余談ですが…母が帰った途端、夫がたくさん喋ってくれるようになりました。
私の体調もこまめに気遣ってくれます。
やっぱり義母がいてはやりづらかったよね…ごめんね夫。ありがとう。
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![優雨](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/148903995/profile_828702b2f2e046f4381e05e540772a75.jpg?width=600&crop=1:1,smart)