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お別れの後も生きていかないといけない

この記事で書いた西村さん(仮)のお別れの集いに行ってきた。
前職にかかわりのある奴らの顔なんて見たくもないだろうが、ぜひお越しくださいとお声がけをしてくださったご家族のご厚意には頭の下がる思いしかない。

西村さんのおうちは元職場からほど近い住宅街にある。
いくつかのお家が立ち並んでいる中にあるうちののチャイムを鳴らし、お子さんが気丈に私たちを迎え入れてくれた。お子さん、といっても皆もう社会人ではあるけれど。

三々五々それぞれの都合いいときに訪れ、手を合わせていってくださいという実に西村さんらしい雰囲気の集まりだった。笑顔の西村さんが写っている大きな写真と白い大きな箱のカバー。ダメだ、なんて言っていいのかもう言葉もない。

突然ご家族がいなくなって、それでもお通夜や葬儀について決めなきゃいけないことはたくさんある。落ち着かない中、色々なことを決めて行った中で選んだ写真だろう。本当にいい笑顔だった。

お線香に火をつけて手を合わせる。
いやこれはないですよ、どうしてですか。
ともあれこれしかもう道がなかったんですよね。まさか部署も違う西村さんに元上司が詰め寄っているとは思いもよりませんでした。西村さんにしてみたら一緒に頑張ってきた仲間がひとりまたひとりと退職していき、これまでと勝手の違う仕事が割り振られ私たちが知らなかった辛さ苦しさがあったこととも思います。そしてその辛さを把握しながら何もしなかった経営陣と管理職たちに何の希望も持てなくなったりしませんでしたか。もう今となっては全部電文と推測の域を出ませんが、それでもとても残念です。もう西村さんがいらっしゃらないという実感は湧きません。

ご家族にご挨拶するにも、このたびは本当にもう(ごにょごにょ)とか、西村さん(いやご家族みんな西村さんだよ)には親切にしていただいて、とか要領を得ない事しか言えず、おそらくお母様はみんなに好かれていましたよっていうのは1ミリも伝わっていないと思う。

集いには私たちのほかにも会社を辞めた別な先輩も来ていた。
今は元職場に製品を納める側のメーカー勤務で活躍されている。
しばし立ち話をして、一緒に来ていた先輩の機転でライン交換をしてその場をあとにした。これからの交流があるかどうかはわからないけれど、これも何かの縁かもしれない。根拠はないけれど。

先輩が乗せてくれた車の中で、しばしいろいろな話を聞いた。
私が退職するきっかけになった元同僚女性・めんこちゃんもといめんめんは婚姻関係おいて重大な契約違反をしたため、目下のところ離婚協議中らしい。めんめん旦那、ついに動いたか。

めんめんはとっくにパートタイマーから社員に契約変更しているのでお給料もそこまで低くはない。なのにパートタイマーだったときの源泉徴収票を持ち出して、私はこのぐらいの収入しかない、自宅のローンも何も払えない。だから夫が私に慰謝料を払えと意味の分からない主張をしているのだとか。契約違反をした方が慰謝料を払うんだよ。なんであなたがもらう方になってるの、こんな身近だったところに伝説の92がいたのね。あとそんなだいぶ前の年の源泉徴収票に何の意味があるの、直近から数年前までならまだわかるけれども!

手を合わせても気持ちは何にもまとまらないし区切りはつかない。
それでも生きていかないといけない。
人生も舞台も、一度幕が開いたら最後まで走り続けなければならない。
その最後がいつなのかはわからないけれど。

直近の約束として、先輩と一緒に元営業課長のお店に行くことにした。
来んでええわ、なんて言っていたけど今度は事前にちゃんと時間と人数予約してから伺いますので何卒よろしくお願いいたします。



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