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揺れる午後5時と自分

午後5時。それは、日が傾き始め、影が伸びる時間。空はまだ明るいのに、どこか寂しさを感じさせる。その曖昧な境界線のような時間帯は、私たちの人生の中の50代とよく似ている。若さと老いの狭間で揺れ動きながら、未来と過去を同時に見つめる。私はその「午後5時」に心を留め、日常を味わいながらも、どこか彷徨っている。私たちはしばしば、外部からの情報や他人の期待に振り回される。SNSの通知音、次々と変わる流行、周囲からの評価。50代になった私にとっても、それは変わらない。むしろ、若い頃よりも敏感になっているかもしれない。振り返れば、30代や40代の頃は、とにかく目の前のタスクを片付けることに追われていた。だが50代の今、少し立ち止まり、「自分が本当に望んでいるものは何か」を問う時間が増えた。問い続ける中で気づいたのは、「私が振り回されているのは、時間そのものなのではないか」ということだ。午後5時は不思議な時間帯だ。仕事の終わりを迎える人もいれば、まだ続ける人もいる。空がまだ青さを残しながらも、次第に橙色に染まっていく。50代も同じだ。社会人としてのピークを越えたと感じつつ、まだやるべきことが残っている。この揺れ動く感覚が、私を午後5時に強く結びつける。「午後5時の哲学者」としての私は、日常の些細な瞬間に価値を見出すことを大切にしている。たとえば、帰宅途中のバスの中でふと見上げた空に、一日の終わりと新しい始まりを同時に感じることがある。その一瞬の静けさに、自分の心も静まる。性格診断を何度やっても出てくる「INTJ-T」。計画的でありながら、感情に引きずられがちな部分を持つ。この「T」という不完全さが、50代の私には妙にしっくりくる。不完全であるからこそ、新しいことを学びたいという欲求が生まれるし、柔軟性を保てるのだ。50代のリアルは、完璧な絵を描くことではなく、いびつであっても自分らしいパズルを組み立てることにある。家族の世話、健康管理、仕事、趣味。それらがバラバラであっても、全体としての自分を形作っている。では、どうすれば振り回されずに生きられるのか。その答えはまだ見つからない。けれど、午後5時という時間帯に心を留めることで、少しずつヒントを得ている気がする。外の世界が忙しなく動いていても、この時間だけは自分を取り戻せるような気がするのだ。振り回されることを悪いことと決めつけず、むしろその中で揺れる自分を受け入れてみる。そうすれば、影が長くなる夕暮れ時にも、心の中に光を見つけることができるのではないだろうか。午後5時の哲学者として、私は今日もまた、自分自身と静かに対話する時間を楽しむ。それが、揺れる影の中で見つけた私なりの幸せだ。

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