中原って誰?調べてみました!
こんにちは、中原です。
noteで書きたいことは特になかったのですが、僕の文章を待ち望んでいる人々がいたり、いなかったりしそうなので、無理やり自己紹介したり、無理やり質問を募集して無理やり答えていきたいと思います。
ほぼ、レイプだと思って読んでください。
まずは自己紹介からします。
名前:中原(なかはら)
星座:ふたご座
利き足:右
パーソナルカラー:イエベ秋
好きな方角:南東
好きなコード:Cm
これで僕のことが七割ほど分かりましたね。
ちなみに父は職場で、ちゅうげんと呼ばれているそうです。
続いて、質問に答えていきます。最初は全然質問が集まらなかったのですが、フォロワーに無理やりリンクを送りつけて二十五個ほど集めました。その中でも、厳選して十個の質問に答えていきます。ところで、質問を数えるときの単位ってなんですかね。問(とい)ですかね。訂正するのめんどくさいのでこのまま続けますね。音がないTHE FIRST TAKEだと思っていてください。
1.
非常に難しい質問ですね。僕のことを愛してくれるなら何でもいいです。未だに自分の外見のタイプがよく分かっていないのですが、強いて性格面で言うならば僕の予想の範疇を上回る女性が理想的です。中原は意外性に飢えた獣(けもの)なので。しかし、これは大半の女性に当てはまるし、男性にも当てはまってしまいます。中原は視野が狭く、誰でも好きになってしまいうる獣(けもの)でもあるのです。
2.
特に思いつきませんが、今年の抱負として“戦う”を掲げています。今年限定でこれを座右の銘と言ってもいいでしょう。みなさんも、今すぐに戦った方がいいです。一刻を争うのです。ほら、一刻でさえ争っているのです。我々が争わずにいられますか。平和ボケしている場合ではないのです。運命を捻じ曲げねば、何も変わりません。かのAwich(Anarchyの友達)も言っていました。
ほらね(?)。
うちの母もこう言っていました。
我々は若いです。これまで幾多もの理不尽の雨が我々に降り注ぎ、これからも止むことはないでしょう。しかし、戦わねばなりません。そして、負けるわけにもいきません。その練習をしているのです。自分を信じてください。目には目を、歯には歯を、雨には傘をさしましょう。
3.
形式はおそらく、エッセイです。みなさんがどう書いてるのか分からないのですが、自分は緩急を意識しています。メリハリをつけるというか、調和をとるというか。どんな文章にも筆者が伝えたいことがあるでしょう。なんと、中原にもあるんです。イメージとしては、伝えたい核心をユーモアと駄文で優しく包んでいくような。感覚で言うと、遠回りして家に帰る感じ。単調な文章を読むのは誰にとっても難しいことだと思います。あと、せっかく読んでくれているのだから、楽しませたいと思って書いています。自分はユーモアに自信がないけれど、真面目に文章を綴ることでユーモアに対してのギャップを狙っています。親友のバビも言っていました。
本当に言っていたかは覚えていないのですが、言っていないのだとしたら僕の脳内には改竄された謎の記憶があることになります。この緊張と弛緩が、僕の言う緩急ということです。あと、なるべく背伸びしないようにしています。他人に嘘をつくことはもちろん、自分にも嘘をつきたくないです。今、文章を書いている中原が、純度100%の中原とも言えるでしょう。
さらに支離滅裂なことを言うと、脳内で中原が一人で喋っており、それを文字起こしするだけで大体noteは完成します。あんまり推敲はしません。ジャズなので。
4.
特にコレという食べ物はないですね。チャーハンとか好きですよ。ラーメンとか。サーモンも好きだし、ホタテも好きです。サイゼとか行ったら、絶対PA01を頼みます。現在収入源がないので、是非ご飯を奢ってください。PayPayもお待ちしています。
5.
まだ7200日ほどしか生きていない若輩者ではありますが、僭越ながら解答させていただきます。僕の中では、「強くなること」「他人に期待しないこと」の二つが優勢です。最近、大谷選手が野球で無双していましたよね。人生も同じだと思います。自分の武器を見つけ、鍛錬し、使用する。他人の土俵で戦わない、など。RPGだとLv.100まで上げたらほとんどの敵を楽勝で倒せますよね。そういうことです。
他人に期待しない、というのはそのままです。だいたいの人は裏切ったり、傷つけてきたりするでしょう。しかし、ソイツらに振り回されている場合ではありません。結局、ソイツらを信頼した自分が悪いのです。この世に味方は自分しかいません。自分の人生の舵は自分でとってください。この二つを意識すれば、楽に生きることができるでしょう。楽に生きれるようになるのだから、これくらいの努力、できますよね。
6.
ENTP(討論者)です。何回やってもこれになります。ISFPや、僕と同じくENTPは相性がいいらしいです。もしこの二つに当てはまる方がいるのであれば、結婚しましょう(男性不可)。
7.
中学生の頃、欅坂の平手友梨奈さん、鈴本美愉さん、乃木坂の生田絵梨花さん、などを推していました。高三の冬休みにTWICEにハマり、今でもダヒョンさん(なんと、中原と誕生日が同じ)とチェヨンさんを推しています。最近はNewJeansのハニさんがアツいです。
推し、と言っていいかは分かりませんが、元ラーメンズの小林賢太郎さんを崇拝しています。文字通り、崇め、拝んでいます。YouTubeにラーメンズ公式からコントの動画が100本上がっているので是非ご覧ください。僕が一番好きなネタは、『鯨』の「器用で不器用な男と不器用で器用な男の話」です。あれを初めて観たのは確か、中一の終わり頃だったと思います。あの衝撃は今でも忘れられません。中二になり、新しい友達にラーメンズをおすすめしたところ、中学を卒業するまでいじめられました。今では最高の思い出です。ちなみに、中学一年から今までの約六年間、ラーメンズのコントをプレイリストからシャッフル再生しながら眠っています。僕のことはキチガイと呼んでくれても構いません。愛の力は全てを凌駕するのだから。
8.
あります。さっきも書いたように、中学でいじめられていました。多感な時期に暗澹たる学校生活を送っていました。そう、地元に友達がいないのです。中原が地元に居続ける理由はなくなりました。さらに、家の居心地が良くなかったり、精神的に自立したかったりで、もう大変なのです。決め手として、いろんな経験ができそうという偏見があります。去年、四十日ほど東京で居候をさせてもらいました。出会った人、全員が輝いていた。人々を輝かせる街、TOKYO。何が彼らを輝かせるのか、その実態に迫りたい。もっと言えば、僕は一年浪人したのち、大学に全落ちしたので無敵なわけであります。まずは環境から変えてみたい。そこから何が見えるのか、何を綴れるのか。絶対に上京します。
9.
小六の冬。天気は曇り。給食が終わり、掃除が始まる。俺は3階の視聴覚室前のトイレ担当だった。味気ない日々に退屈しながらも、変化のない心地よさに安堵していた。窓から外を眺め、「雨が降りそうだな」などと思っていると、友人が
「掃除をしろ。さもなければ水をかける。」
などと、水の入ったバケツを片手に揶揄ってきた。目はふざけている。俺はこの目を知っていた。口ではなんとでも言うが、決して実行はしない、そんな不誠実な目つきをしていた。
「できもしないくせに。」
そう呟いた瞬間、全てがスローモーションに見えた。何が起こったのか、よく分からなかった。俺の予想、仮説は全て覆された。「水をかけられた」という事実を認識する以前に、手に持っていたほうきでソイツの頭を殴っていた。真っ二つに折れたほうきが宙を舞い、地面に落ちた音が響くころ、自分がした事の重大さに気づく。自分に非があったにも関わらず、逆上してしまった。それも、武器を使って。怒りと冷や汗で、逆に落ち着いていた。殴られた本人は、ヘラヘラしている。幸い、怪我はなかった。コイツが空手の黒帯を持っていなければ大変なことになっていたかもしれない。異様な音を聞きつけた女子が、女子トイレから駆け寄ってきた。
「先生を呼ばなきゃ!」
悪いのは俺だ。責任を取らねばならない。俺は教室に向かった。涙を堪えながら、急ぎ足で。あの時の緊張した肩と、握り拳の感覚は今でも気持ちが悪いくらいに覚えている。教室に着くなり、俺は担任の先生に状況を説明した。いわゆる自首というやつである。もう起きてしまったことには目を瞑り、最善の行動を取るように心がけた。みんな掃除が終わり、五時間目の授業が始まる前の休み時間、俺は職員室の隣にある謎の部屋に連れて行かれた。会議室だったような気がするが、俺にとっては取調室でしかなかった。担任と対面で座り、もう一度状況を詳しく説明した。もう授業は始まっている時間だ。一通り説明し終わり、十秒ほど間をおいて、その怒号は学校中に鳴り響いた。実際、どこまで聞こえていたのかは分からない。
「お前は人間じゃねぇ。」
えっ。そんなことあるのか。しかも多分言っちゃいけない言葉だよな。人権とか習ったよな。今までに聞いたこともないレベルの声量と内容に動揺していると、再び担任が口を開く。
「お前は、人間じゃ、ねぇ。」
えーっ。なんで二回も言ったんだ。実に衝撃的だった。あれを超える衝撃は未だにない。大事なことは一回しか言わないというセオリーを無視している。二回も言われてしまったら、俺は本当に人間じゃないような気がして放心状態になった。その後のことは全く覚えていないが、俺のこれからの人生を狂わせるには十分であった。
10.
これはあくまで僕の考えですが、小説も映画も主人公はおおよそが人間ですよね。人にはそれぞれの人生があり、その作品を通じてその人の心、経験に触れることができます。他人の人生に触れるのは刺激的だと思いませんか。時には主人公に影響を受けて現実で行動を真似してしまうこともあるでしょう。楽しい感情に影響を受けたい人がいれば、悲しい感情に影響を受けたい人がいてもおかしくありません。僕の中で感情は絶対値であるという感覚があります。例えば、無感情を0とした時、悲しさも嬉しさも1でしかないのです。感情がMAXになった時が一番面白いので。感情の振れ幅は同じでしょう。マイナスという概念はありません。人が感動するときはどういうときだと思いますか。文字通り、「感」情が「動」くときです。僕は0≦x≦1ですが、皆さんは-1≦x≦1ではないですか。つまり、感情が動かされればそれがネガティブな感情であれ、ポジティブな感情であれ、感動するのです。現時点ですごく読みにくいですね。ここまで読んでくれてる人って何なんでしょうか。愛しています。話は戻りますが、この質問の解答は「感動」したいからだと思います。恐らくこれは意識的なものではありません。痒いところがあるから掻く、みたいなことだと思います。作品を通して涙を流すことはストレス解消になるとも言われていますし。苦手なら苦手でも問題ないと思います。
いかがでしたか?
思いの外、長尺になってしまいました。ここまで読んでくれて、ありがとうございます。これからも文章を書きますので、よろしくお願いします。