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おとなこども

「少年のような〇〇」というのは誉め言葉として使われがちだと思う。

愛犬を亡くした年の初冬にあるユニットのプロデュースをすることになった。ミュージシャンと絵描き、ライブペインティングのユニットだった。
「一年後の大きなステージでのパフォーマンス」という予定は決まっていた。

そのミュージシャンは苦労知らずの育ちの人で共通の知り合い達は「少年のようなピュアな感性の人」と評していた。ジャンルに拘らず呼ばれればいろんな人の伴奏したりセッションしたり、さすが血筋だなぁと思っていた人だった。演奏に関して安心できると思っていたし、本人も新たなチャレンジに意欲的だった。
「真さん、ユニットのテーマ曲を作ったので聞いてください!」と音声データを送ってきた。綺麗な旋律だったので本人に「コンセプトは?」と聞いたら「和です、花鳥風月!」と得意気な返事がきた。「これで完成ですか?」と聞いたら「いえまだ。アレンジして仕上げていきます」
左様ですか…そして仕上がりに期待して言葉を飲み込んだ。
「これ出来損ないの筝曲にしか思えない」
「あなたの楽器で演奏する意味なくね?」

その後から暦、季節の節目ごとに自然を感じたいという本人の希望でそれなりの場所に一緒に行った。
絵描きの人は家庭の主婦でもあるので「ごめん無理」と言われミュージシャンと二人だった。
遠出をすることはなく身近な日常の中にある季節の移り変わり、普段は身近過ぎて通りすぎてしまう場所を丁寧に歩いた。

初めての待ち合わせに30分遅刻してきたミュージシャンの彼は冬なのに大汗かいて「すみませんごめんなさい」を連発する。その姿を見たら遅刻を咎める気にはなれなかった。
「行きましょうか」と歩きだし「へぇ、こんな所があったなんて知りませんでした」と目を輝かせ写真を撮る彼。帰宅するとその晩に「今日の様子や気持ちを曲にしてみました」と音声データを送ってくる。
和風、邦楽風といえなくもないけど、何が言いたいのかまったく展開の見えない自由なフレーズ。
「あなたが何を感じて考えているのかわからないのですが…」何曲目かの時に思いきって言ってみた。
「日本男児は思いを口にしないんです!」
はぁ…私の感性が鈍いんですね。

半世紀以上生きている彼、会って話す回数が増すにつれ「僕は他のミュージシャンの話しをされると不愉快です」はぁ…左様ですか。
まるで子供だなぁと呆れたことも数知れず。
そして遅刻が大胆になってきた。30分遅れは当たり前、猛暑の夏でも平気で1時間遅れてくるようになった。
本人曰く出掛けてから忘れ物に気付いたとか、電車の乗り換えを間違えたとか。
「本当はイヤなのでは?無理しなくてもいいです」と言えば「ごめんなさい、そんなことは絶対にないです!」
悪気なく最悪ばかりを繰り返す彼。少年だって、いや少年は学習して大人になり同じ事を繰り返さなくなるんだけど、この人はそうした学習せずとも許され歳を重ねてきた。「少年のようなピュア」ではなく手がつけられない「とっちゃん坊や」じゃないか。

そんな不安が後に最悪の形で的中したのですが、それはまた続く。

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