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同窓会に行かない

小学校1年生の1学期の終業式の日に貰う通信簿、通知表なのかな?それがすごく楽しみだった。
どの教科のテストでも90点以下は取ったことがなかったし、自己流で覚えたのでめちゃくちゃだった字の書き順も、親に放り込まれた習字教室でしっかり矯正したし、宿題や提出物を忘れたことがなかった。5段階評価の5や4が並んでいるはずだと。
手渡された通信簿をワクワクして開いたら、目に入ったのは「3」ばかり。最高の数字は「4」で「5」がひとつもない。
これは私の通信簿なのかな?誰かと間違えてないかと名前を見たらたしかに私のだった。
「なんで?」
誰とどうやって下校したのか憶えていないけど、帰宅して親に見せる時に悔しくて泣いたのは憶えてる。親も驚いたらしく、都内の私立中学校の校長先生だった裏のお宅に聞きに行った。
校長先生の説明によると、公立の学校では「5」をつける生徒の枠が決まっていて、同じ成績だったら親がPTA役員とか地域の顔役などの子供に割り当てられる、他所から引っ越してきた新参者は無難な数字を割り振られたんだろう…と。
「誰が5をたくさんもらってた?」
たしかにそういう家庭の子ばかりだった。
裏の校長先生が少し困ったような顔をしながら、それでも勉強はちゃんとしなさいねと言ったのを憶えている。
2学期も同じだった。3学期の通信簿に初めてひとつ「5」があった。理科だった。これは嬉しくて、そして少しだけシラケた気持ちだった。

そのままクラス替えもなく持ち上がりで2年生になったけど、なんとなくクラスでの空気が変わってきた。下校班で置いて行かれる。グループを作る時に避けられる。いわゆる仲間外れ。
「なんで?」
男子が教えてくれた。 
「他所からきた借家住まいで塾にも行けない家の子なのに勉強ができるから、それがムカつくって女子たちが…」
勉強ができるって言われても私は「5」をもらえてないのに、貴女たちはたくさん「5」をもらえてるのに、それでも私を嫌うの?なんで?
学年が上がってもクラス替えがあってもそれは変わることもなく続き、6年生の時はヒドイあだ名を付けられ月の半分ぐらいは学校を休んでいた。
熱血体育会系だった担任が私が休んでいる日に学級会で「真さんをあだ名で呼ばない、仲間外れにしない」とクラスメートひとりひとりに約束をさせたらしく、担任と共に何人かが代表で家に謝りにきた。
その翌日登校したら、あだ名で呼ばれることはなかったけど誰も口をきいてくれなかった。
「もうやめて。先生だって私には3ばかりであの子たちには5をあげるくせに!」

そんな小学校生活だったから休み時間は図書室に入り浸っていた。本が好きだったから苦にならなかったのも大きかった。
新しい鉄筋校舎の音楽室にはグランドピアノがあった。たまに放課後に音楽の先生が弾かせてくれた。

卒業式は嬉しかった。
「もうここに来なくてもいい、みんなの顔を見なくて済む」
通信簿にたくさん「5」をもらえていた人たちは、地元の公立中学校ではなく都内の私立中学校に合格してそちらに行くことになっていた。
担任がそれを発表した時に心から拍手したよ、卒業したら会うことはない。それがなにより嬉しかったから。

小学校1年生で理不尽を思い知らされ、それに反抗してグレることはなかったけど、抵抗するように意地でも百点を取り続けてやると勉強した。

疎まれたり嫌われたりには馴れた。
一人でいるのがいちばん気がラクだ。

同窓会には今でも行かない。

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