無料はお手軽だけど
定年退職や早期退職して時間をもて余した人たちがパソコンを購入し無料SNSのFacebookにデビューしだしてから感じていたことがある。
彼/彼女らは子供が新しい玩具に夢中になるように、Google先生やYouTubeさんで雑な検索をし、そこで目にした「〇〇の真相!」「衝撃の●●の事実」のセンセーショナルな見出しの内容に没頭し「ほらみろ、テレビを見るとバカになるというのは本当だったんだ!真実は隠蔽されていたんだ。この件に関しては…」と2000文字超の自説自分語りを投稿する。
それを見たお仲間や田舎の同級生たちが「さすが博識、勉強になります」などと褒め称えるものだから益々エスカレートしていく様を目にしておりました。
彼/彼女らは生涯大学やボランティアサークルなどで同じ事をしてSNSをやっていないお仲間にもそのトンチキ陰謀論を開陳しまくる。
その絶賛のコメントが並ぶ中にエビデンスを問うとか当たり前の指摘をすると取り巻きから袋叩きに遭うしこれがリアルの人間関係にまで影響するので、目にしてもそっ閉じしてミュートボタンを押しておりました。
そういう方々はフレの数がステイタスだったりしますので、リムると全人格を否定されたと勘違いして1500文字ぐらいのメッセで抗議されます。
ご自分は捨てセリフ「あなたは私の友達には値しませんでした、残念です」と共にリムるのに。
やがて彼らはYouTubeやブログの広告を邪魔に感じだします。それらを消すためには月額課金しなければならないと知り、情報源を同じく無料簡易投稿サイトのTwitterに求めます。
Twitterで目にした陰謀論や釣り投稿、社会のトレンドをせっせとFacebookに運搬し拡散していきます。
「勘弁してくれよ、それネタ投稿だぞ」と思っても決してそれを指摘してはならないのは同じです。
というのをこの数年、新型コロナ禍で他人との対面交流が制限された頃から加速してきてると認識しておりました。
これ、そう認識していたのは私だけではなかったのを先日の某配信で知り「ほらね!やっぱりそうですよね!」と、ほっとした次第です。
いやほっとしていい事でもないのですが。
Twitterでは自虐的にインターネット老人会と称してる私たちは、アングラ道場の2ちゃんねるでお作法やら鍛えられて参りましたが、団塊世代から上のFacebookデビュー組にはそれがない。
困ったものだとそれらを眺めながらため息をつくのでありました。