別居親の婚活
世間一般的に見たら「別居親の婚活」ってどんなイメージだろうか
もしぼくが、世間一般的に見たら「子どもがいるくせに婚活なんてするんじゃねー」とか「子どもがかわいそう」とか思われてるだろうなと思ってしまいます。
でも、ぼくはやりとげてしまいました。つまりは「再婚」したのです。確かに悩みました。自分に自信がなかったのです。離れて暮らす子どもを愛する一方で、再婚するパートナーも愛さなくてはならない。しかもそのパートナーとの間に子どもができたとしたらその子どもにも愛をそそがなくてはならない。「本当に、ぼくがそんなことできるの?身分相応じゃないのではないか」と。
ぼくはそんなに器用な人間ではないということは自分でもわかっています。離婚の原因もそういう意味ではそこにあるのかもしれません。ようは気の使えない男、一度にいろんなことができない男、まず自分のこと優先。とこんなこと書くと、ひどい男に見えますが、そこまででもなくただ、不器用で転職したてで仕事にいっぱいいっぱいになっていて、家のことができなかったという単純なこと。でも大事なことでした。
後悔してもしかたないので、次はそんなことがないように努力するつもりです。でも、離婚という経験をした当初は自分に自信喪失気味でとてもそれどころではありませんでした。しかし、趣味や仕事に集中できる状態になり徐々に自信を取り戻していき、「また恋をしてみよう」という気になっていったのです。
で、前段に書いた、子どもとパートナーを愛していく生活ができるのかということですが、確かに、実際やってみると、これまた大変でした。単純に2倍誰かのために動くことになるわけです。場所と時間を変えて。
でも、こなしました。何より、パートナーに愛を注ぐことが生活に張りがうまれていたのです。仕事にも、もちろん子ども達との接し方にも。パートナーは子ども達を大事にするぼくのことが好きでしたから、子ども達に中途半端なことをしているとパートナーにも嫌われる構図になりますもの。
何より、将来のことを考えたときに1人は不安になりました。「別居親でもやっぱりパートナーはほしかった。そんな当たり前の感情をもつのは誰でも当然なのよ」ということもいつか面と向かって子ども達にも一度伝えられる日がくるだろうか、と今から考えています。
実は以前に「とうちゃん、さみしいからな、誰かと一緒にいたいから結婚することにする」と伝えたことがありましたが、ただただそのときは悲しそうな顔をする子ども達を目の前にして申し訳なく、そんな感情が先に立ってしまっていました。たぶんまだ両方に愛をそそぐ自信がなかったからそんな風に思っていたんだなと。
でも、今は、子ども達にも、パートナーにも、そしてその子どもにも十分に愛情をそそぐ覚悟はある。だから前みたいに申し訳ないという気持ちにはならない。そんなことはならないです。
もちろん、両親いる家庭に比べたら「父親といれる時間」「かけられるお金」は少ないです。でも、「密度の濃い時間」「お金にもかえがたい父親との経験」ができればとそう考えています。
「再婚した別居親」、新たなステージのスタートです。
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