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僕の理想とする社会人像

僕は今エンジニアをしている。
一エンジニアとして、プロダクトに向き合い、必死にバグの修正や、メインとなる機能の変更に合わせて、周りの調整を行なっている。
メインの部分を触ることはないので、ひたすらに下地の整備だ。
誰の目にも止まらない。目立つこともない。

そんなことをしている自分だが、人の感動には触れたいと常々思っている。
僕の書いたプログラムが感動を引き起こすのでも良い。
僕が頑張った施策によってチームの動きが良くなったり、感じ方が変わってくれたら良い。
僕の案がキッカケで、次々に装飾するような案が生まれて、良い結論に導かれれば良い。

そう、なんでも良いのだ。
僕は、僕が関わった事で人々が幸せに、いや、幸せなんて大層なモノじゃなくて良い。少しでも気持ちが楽になったり、次に繋げるキッカケになれれば良いと思っている。

そして、そういう人は社会には必要だ。
特定の職業について言及するつもりはないが、どんな職業でも世のためになることだから存在している。
もちろん、AIなどの発達によってやらなくても良い事になる可能性はある。
それでも、その時その時で必要な仕事だから、みんなは取り組むし、取り組まないと社会は回らない。
僕もITエンジニアとして、IT業界に身を置いてはいるが、やっていることは大層なことではなく、言って仕舞えば「誰でもできること」だ。
でも、その仕事も誰かがやらなければならず、それを僕がやることで誰かが助かるのであれば、僕はそれを一生懸命やる。

ただ、やはり感謝という言葉は大事で
大層なことをしてる人、声の大きい人は評価される。
そんな中、誰にも感謝されず、ひたすら下地で頑張る人を評価しないという状況は無くしたい。

さて、長い前置きを置いたが
僕の目指す社会人像は、そういった下地を支える人にも少しでもいいので勇気と元気と幸せを掴んでほしいという気持ちから、そういう人たちを文章で勇気づけられる社会人というものを目指している。

ある会社で、今はVPoEをしているが、これまでEMをやられていた方のブログをよく拝見する。
彼のブログの記事では、一つの記事は1000字も満たない量の内容だ。
しかし、その内容は一つ一つの記事に胸を刺すような鋭く、本質を捉えたような内容が多い。
そして、それは決して言語化し易いものではないことを、1000字にも満たない量で伝えることをしている。
ただ、それだけで僕は勇気がもらえた。
技術的なすごいことが書いてある訳ではない。
完璧なノウハウを書いている訳ではない。
それでも、その人の思考、方向性、経験が詰まった文章は、僕の心を突き刺していて、彼のようなEMになりたい、といつしか思わせてくれるようになっていた。

僕も、長いようで短い社会人人生、めいいっぱい使ってそういった発信ができるような人間になりたいと思っている。
下地で頑張りながら、発信を続ける自分ではあるが、この文章が誰かの目に留まって、勇気をつけてくれると信じてる。

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