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メンヘラという生き物

 私自身が長いこと精神を患っているのだが、Max病んでいた時のことと、そこから脱却した時のことを書き記しておきたいと思う。
 備忘録みたいなものです。


メンヘラになった経緯

 簡単に言えば毒にまみれた実家に強制的に戻されたことと、愛する親友の自殺によってメンタルは崩壊した。
 親友母も結構な猛毒をお持ちだったので、今なら対抗出来たのにな……と二十年前のことを悔やんでたりもする。その猛毒を向けられたのは親友だけでなく私もなのだが、親友と同世代で親子ほど歳の違う私相手にエグい真似してくれたのは一生忘れない。

 親友母は親友の死後、彼女が持っていた個人サイトの消去を私に依頼して来た。使っているPCの規定が違うので私には無理だと断ったのだが、とにかく来てくれと言われ親友宅に向かった。実際PCを前に何もできずにいれば諦めてくれるだろうと考えたから。
 ところがどっこい親友宅に来て親友の部屋、PCの前に座った私が眼にしたものは、マウスでチェックボックスをクリックすれば終わる状態の画面。

 血まみれのキーボードとマウス。
 クリックするだけで終わる画面。
 ファイルを探す手間もサイト作成ソフトを起動する手間も省かれた状態だったわけだ。理解が及ばずポカンとした私はなにも悪くないと思う。
 どういうことかと疑問の視線を投げれば出入口塞ぐように立つ親友母。「これなら判るでしょ」的な言葉。

 いや寧ろそこまでやったなら全部貴方がやりなさいよ!
 最後の一手は自分でやらない、自分は直接手を汚さないって状況証拠作るのおかしいでしょ!
 知ってんだよこっちは貴方と親友に確執があったの知ってんの!
 そんでサイトの日記にその愚痴書いてあるのも知ってんの!!
 それが周囲に知られたら『娘を自殺で失った憐れな母親』ではいられないんだよね、だから消したいんだよね!?
 でも自分で消してそれを周囲に知られたらそれこそ誰になに言われるか判らないから嫌なんでしょ!?
 だから私にやらせたいと!
 クソがーーーーーー!!

 って今の私なら言えるのにな。
 当時の私はネット上の親友を自分の手で殺す(サイト削除)って罪悪感で思考停止してた。あの瞬間は得体の知れない恐怖でしかなかったけど、歳を取るにつれ「あの人(親友母)自分の罪を隠すために私を利用したんだな……」と気付いた時の気持ち悪さよ。
 貴方よくもよそ様の娘である私にそんな業を背負わせましたね?
 一生忘れねえから。

 この事件から私は精神の不調を来し、以降転がるように精神科のお世話になる。
 Max病んでた時は寝る前の睡眠薬がおよそ二十錠。まだ薬事法改定前だったので、今なら一発アウトの眠剤も六錠ぐらい出されていた。それでも寝られずODする日々。
 とにかく意識がゼロになりたい、だが酒は嫌い。あまりODすると今度は次の診察日までの薬が足りなくなる。なくなったのでくださいでもらえる薬ではないし、既に何度も断られているので地獄の日々だった。
 今だからこそ笑い話だがリスカなど生易しいものでは済まないことを何度もした。

 あまつさえ数少ない残った友人の失恋話を聞かされていた時、友人とその彼氏がどういう風に出会いどういう交際をしていたのか判らんかったので、「まあこういうのはどちらも悪くないよ……」と当たり障りなく宥めていたのだが、「どっちが悪いなんて話はしてない! こんな時〇〇(親友)が生きてたらよかった!」と八つ当たりされて残っていた理性が完全クラッシュ。
 えっ私は親友から二種類の遺書を託され、更にネット上の親友を殺す片棒まで担がされメンタルボロボロなのに、失恋話に上手く対応出来ない程度で「親友ではなくお前が死ねばよかった」ばりの暴言受けなきゃいかんの?
 私の存在価値ってなんなんだろうな。
 利用価値がなくなったらゴミ扱いかよ報われねえ……。

 そんな鬱屈と病んだ心を抱えていた私だが、ある日を境にODを辞めた。胃洗浄ではなく下剤のお世話になったからだ。
 救急車で運ばれ病院のベッドの上(処置台?)で意識朦朧としている私に、これ飲んでくださいね~と手渡された紙コップ。意味も判らず飲んでみると美味しい、ブルーベリーヨーグルトみたいな味。
 「これなんですか……?」と訊けば「下剤です。下から出しましょうね」と言われ「ああ……はい……」となる私。急転直下の便意。
 トイレに行きたい私は車椅子に乗せられ、看護師さん付き添いでトイレへGO。看護師さんが隣にいる状態で腸内のすべてをトイレにまき散らす地獄。人生最大の羞恥プレイ。

 この瞬間私はメンヘラであることより『おのれの尊厳』を選択した。
 無理
 衆人環視の下痢排便無理
 これまでODのし過ぎで寝ながら糞尿垂れ流した(もちろん自分で始末する)ことはあれど、それはすべて自宅の布団。しかし他人の眼と耳のある中での糞尿まき散らしは無理。しかも下痢だし。
 私は私の尊厳を取り戻すため、メンヘラってる場合ではないと開眼した。

 ちなみに人の脳が働き続けていられるのは三日が限度というのも理解していた。ODのし過ぎで睡眠薬がなくなり、三日三晩ホモい小説を読み続けたのだが、三日目の夜唐突に意識を失った。
 思うに単なる作業やシンプルタスクならもっと徹夜できるのだろうけれど、脳内の想像力を休みなく働かせ続けるのは三日が限度なのだろう。情報の多さで脳処理落ちするのを学んだ。

メンヘラからの脱却

 私は私自身の努力でメンヘラから立ち直りつつある。
 一番大きかったのは自分の母親は毒親だと自覚したこと。洗脳から解けたこと。あと衆人環視の下痢排泄
 自分の努力が足りないからだとおのれを責めてばかりいたが、母の要求するハードルが娘に向けたものではないと理解した瞬間、何故だかホッとしたのを憶えている。おかしいのは家族のほうで、私はおかしくなかったのだとその時やっと地に足がついた。

 毒親に苦しめられている人々の中には、それまでの自分を否定したくないがばかりに親を庇うこともあるらしい。私の場合はその逆で、親や家族を否定することにより解放を得た。
 それまでは自己否定のが多く、家族は正しい、家族の言うことは世間と同じだと信じて疑わなかった。
 みんなとか普通とか世の中とか、とにかく母親の主語がデカかったからだろう。幼い頃から母親の母親役をやらざるを得なかった私は、母親の言う世界がこの世の全てでもあった。少しでも不満を抱けば「どこの家庭だって似たようなものだ!」と言われて育ったので、問題の大小はあれどよその家庭も同じなのだと信じ切っていた。
 母親が言うことは正しく、私が間違えているのだと思い込み、私の努力が足りず母親の満足行く結果を出せないのがおかしいのだと。

 しかしそうではない、違うと知った時、私の心は土石流を吐き出すかの如く解放された。
 長年苦しんでいた自分の中の自分が報われ、もっとおのれのやりたいように生きても許されるのだと知った。

 そうして私が励んだのはウォーキングだ。
 自立するには身体を搾って体力付けねばならんと開眼した。
 日中に水筒をリュックに入れ、毎日十五キロ以上ウォーキング。とにかく太陽光を浴びること。太陽光には幸せ物質セロトニンが含まれている。毎日していれば雨の日もあるが、雨の日でも構わず十五以上キロウォーキングし続けた。身体を動かせば多少強引でも前向きになれる。母親の支配下から逃れるため気力と体力を付けなければと戦い抗う覚悟を持った。

 母の毒と洗脳からゆっくり抜けつつある中で、新たな友人に少々愚痴をこぼしたことがある。その日も母と揉めちょっとした愚痴を聞いてもらっていたのだが、その子が「私ならまず例え家族でも『お前』呼びされたら激怒する」と言ったので、そこでも「ああ、今の環境ってやっぱおかしいんだ」と判断材料になった。
 ねえちょっとアンタお前としか呼ばれないのはおかしなことであると知る。
 同時期、ネットの修羅場まとめ記事を読んでおり、『自分の旦那がエネだと思っていたが、自分がはっちゃけているだけだった』的な内容を読んだ。これもまた私には身につまされる内容で、まさに自分は物心ついた時からはっちゃけ続けていたのかと気付かされた。

 眉唾に感じていたが、太陽光を浴びまくることで如実に私のメンタルは平静を取り戻し、母の支配から目まぐるしいスピードで解放されていった。惜しむらくは障害を持つ前におのれの実家の歪さ、異常性を理解しきれなかったことだ。
 病であれば完治するが、障害は完治しない。
 障害を持ってしまった以上、上手く付き合ってゆくしかないのだと広い眼で自分と向き合っている。

メンヘラが嫌い

 さて、私自身がメンヘラではあるものの、声のデカいメンヘラゴリラが私は大嫌いだ。
 最初にそれを自覚したのはSNSでとある人と議論していた時。その人は旗色が悪くなった途端「俺はメンヘラなんだよ!!」と言って来た。

 だからなんだよ。
 お前と会話してるこの私もメンヘラだが?
 障害手帳と自立支援受けてるメンヘラだが?
 私はおのれがメンヘラであることを盾や武器にしたことは一度もねえぞ。

 そう思った瞬間の嫌悪感が凄まじかった。
 努力してメンヘラから立ち直ろうとしているにも関わらず、メンヘラであることを印籠が如く使うやつに嫌気がさした。自分はメンヘラだから配慮しろってか?
 こんなのと同列に私は見られているのか?
 クソが!!

 こちとら日々この状況から逃れようと情報をかき集め足掻いているというのに、お前らはSNSで承認欲求満たしてメンのヘラをそのままにしてるのか!

 こんなんと同一視されたくねーーーー!!
 毒親に悩まされてるのを思春期・反抗期と思われるのと同じレベルで腹が立つ!!こういうやつらのせいで世の中治療に励んでいるメンヘラたちは益々立場がなくなってんじゃねえのか!?
 メンヘラの敵はメンヘラだったよくたばれド畜生!!

 そしてSNS上にはそうしたメンヘラが腐るほどいる。
 迷惑行為の写真や動画を載せて「こんなのが生きててサーセンw」とか発信している。マジ迷惑だからサーセンじゃねえから頼むから黙れよ
 お前らみたいな似非メンヘラのせいで真っ当な精神持ってた人までもが「自分メンヘラかも!」ってよく判らん厨二病発動させちゃうんだよ。そんでそういう人は漏れなく(本当に漏れなく)ボーダー方面に行く。ボーダーか自己愛性人格障害、いずれにせよモラハラ性質が巨大化する。
 ただただ被害が拡大してゆくだけだから、頼むから黙れ。
 大人しく治療に専念してくれ。
 お前らのことを今後似非メンヘラと呼ぶわ。

 という経験から、私はメンヘラであることを盾や武器にし言い逃れているやつらが嫌いだ。メンヘラでも統合失調症・知的障害の重度以外は刑事責任を問われる。ならばネットで敵意や承認欲求満たしているメンヘラは全員『責任』を問われる立場。
 メンヘラは言い訳として成り立たないし、メンヘラだからと配慮する道理もない。議論に乗ったなら議論する、迷惑行為をしているのなら反省する。メンヘラ以前に人として当たり前の理屈であり、宇宙から電波受信している人以外は須らく責任を負うべきだ。

 責任義務を放棄したのなら権利も放棄しろ。
 自分の権利ばかり主張する似非メンヘラが嫌いで仕方ない。

似非メンヘラは反省しない

 似非メンヘラにありがちなボーダーも自己愛性人格障害もモラハラ野郎って部分は同じ。
 自分の都合で相手の感情をコントロールしたがり、「〇〇してくれないなら××する」と脅迫行為にあっさり手を染める。
 個人的にボーダーが行き過ぎると自己愛性人格障害に発展するように思う。境界型(ボーダー)までは『自分』が見捨てられないよう必死だが、自己愛性になると『他人を見捨てろ』と攻撃に転化する。そのため気に入らない相手の悪評を流し、その相手が評価されるとおのれの評価に瑕疵が付いたと喚く印象がある。

 つい先日も見捨てられ不安からメンタルがおかしかった人が、唐突に攻撃的になった瞬間を目の当たりにした。おーおー化けの皮剥ぎよって……と流していたのだが、私の場合相手が化けの皮剥いでからがスタートである。
 それまで被害者ぶっていた相手が敵意むき出しに加害行為を始めたのなら、あとはもう私のターンだ。それまで向こうからのわけ判らん要望・要求を「受け入れられない」と断りつつも、妥協案を出したりなんだり策を弄していたので、あちらさんが加害者として加害行為を始めた瞬間、私の大義名分が成立する。

 先に殴って来たのはお前なんだから、殴り返される覚悟はあるんだろうな?という大義名分だ。

 此処で言う殴り返すは物理ではなく言葉であり、そして言葉を返さないことだ。
 もちろん言いたいことは言わせてもらう。相手の矛盾をすべて指摘し、他からの証言や証拠を眼前に叩き付け「私は以後お前に関わらない」と断言する。
 ボーダーや自己愛性人格障害者、モラハラ野郎は殴り返されると想定してないため、此方からの反撃により泡食って言い訳を始めるが全スルー推奨。
 そこで反応してしまうと付け入る隙があると見なされるから、相手に成功体験をさせてしまう。やつらは此方に罪悪感を植え付けたいので、植えるだけの土壌すらねえって知らしめなければならない。

 また、メンヘラは大抵話が飛ぶ。
 旗色が悪くなると途端に話が飛んでゆく。
 主軸の話からどんどん逸れてゆくので、それにいちいち付き合うのはよくない。話をズラされたら「今その話はしてない」と切り捨てるべき。論点がコロコロ変わるのはメンヘラの特徴だ。常に自分が被害者でいたいゆえに、少しでも旗色が悪くなれば別アプローチで被害者になりたがる。モラハラ野郎も同じこと。

 メンヘラが相手に求めるのは無償の愛だ。親兄弟でもない他人にそれらを要求する。「返事くれないなら死ぬ」や「信じてくれないなら死ぬ」といったものも、相手の行動と感情をコントロールしたい支配欲から来ている。
 返事できる状況かどうかは考えないし、信じる信じないは相手の自由のはず。真っ当な人間、自罰的な人間は『返事が来ない理由』について考えるだろうし、自分が相手の気分を害したのかもと連絡を控えるだろう。

 しかしそれらを許さない・許せないメンヘラはなんの疑問も抱かない。命を軽んじているからこそできる発言なので、こんなのを真に受ける必要はない。なんならそれでメンヘラが命を落とそうが未必の故意にもなりはしない。但し「死ねば?」と返したら自殺教唆になるので貴方が罪に問われるだろう。

 よって正解は『沈黙』。
 事前に「もうお前とは連絡取らない」と発言、もしくはメールやトークアプリで言っておくのがベスト。
 もし自分が見捨てたら本当に死んでしまうのでは……と思うかも知れないが、それこそがメンヘラを悪化させるだけである。何故なら命を使った脅迫行為に出るのは、以前その手口を使い成功した経験があるからだ。成功体験によって同じことを繰り返すので、貴方が罪悪感を抱く必要はミリもない。
 メンヘラは相手が自分と同程度の知能しかないとよく判らん慢心を抱いているので、よくよく「〇〇(メンヘラ)の家族です。〇〇は死にました」と自作自演するが、「左様で」と生温かい眼で見られているのにも気付かない。自分のやらかしをゼロにしようと画策するが、自作自演お疲れさんと大爆笑してよい。
 翌日か数分後には別の依存先を見付けているので心配要らん。

 似非メンヘラは反省しない
 反省しないから同じことを繰り返す。

 ただ理解して欲しいが、メンヘラは一人では成立しない。
 依存したいメンヘラがいて、依存される他人がいる。
 依存したいメンヘラが依存先を見付けたのは、依存される人と出逢ったから。メンヘラ一人で壁打ちで、いもしない誰かに依存するなどあり得ない。

 メンヘラが一人孤独にポツンといるだけなら無害なのである。
 そこにメンヘラを甘く見た他人が手を差し伸べたから依存する人・される人の図式が完成する。

 似非メンヘラは反省しないが、メンヘラに依存され地獄の苦しみを経験した人はおのれを省みたほうがいい。
 これ以上は容認できんと、自身の中で確固たる線引きを作り上げておく必要がある。

 甘いだけでは優しくない。
 一定の距離を崩されたら「それは許さない」と拒絶するだけのメンタルを鍛えておこう。自衛とはそういうことである。

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