原美術館からの道すじ
先日、知人に聞いて開館から40年の幕を下ろす原美術館に行ってきました。
原美術館を知った時が閉館のタイミングで、しかも観覧予約は既に埋まっているという状態。しかし、ラッキーにもキャンセルが出たことでネットから予約を入れることが出来ました。
品川の住宅地にある原美術館はひっそりと佇んでおり 建物はモダン。
曲線のラインが印象的な建築に窓が大きくとられ開放的で庭の景色を存分に楽しめる作りになっています。
展示品もさることながら
建物自体の素晴らしさと、以前ここはどんな使われ方をしていたのだろうと妄想しながら観て回る楽しさ。
窓枠の間に、いつ死んでしまったのか…
カラカラに乾いた大きな蜘蛛の死骸があり
それさえも美術館の展示のひとつになっているのかしら?と妄想しながら存分に堪能してきました。
実は原美術館のことに触れながら
この後、別日に行った知人と観覧した感想をシェアしていた時の会話からの言葉がキッカケで、書き残しておきたいとnoteに向かっています。
今回は「光-呼吸 時をすくう5人」のアーティストの展示があり、
その中のひとりの作品が特に印象に残り面白いと感じた事を伝えたら
その知人は「生命力をあまり感じなかったな~」と感想を言ったのです。
その知人が感じた生命力という概念が私には無かったので、とても印象に残る言葉となりました。
ふとその言葉が蘇ってきた時に
生命力ってなんだろう?という疑問が浮かんだ。
生きる力。
生きぬく力。
私の母は21歳の時に病気で亡くなった。
その時、私なりにとことん死ぬということについて考え、その時にたどり着いた答えみたいなものが生きるということだった。
これまでの人生で『死』について考える時間はたびたび巡ってきて、
その度に生きることも一緒に考えてきたのだが・・・
しかしである。
私はいつも『死』を通して『生きる』を見てきたような気がする。
「生きる」はシンプルに言えばただ生きるということに他ならないのだが、
そこには前向きな力や躍動感、彩も感じられない、ただの「生きる」しかなかったような気がした。
自分の足で歩いて行く。
与えられたもので生きるのではなく、自分自身で掴んでいく。
自分の歴史を刻んでいく。
言葉はいろいろあれど、この瞬間を機に生きることへの探求心が少し芽生えてきたのでした。
人と話をすることで自分には無い価値観に触れ
どういう視点で物事を見ていたのかに触れた出来事でした。
美術館に行ったという話から紐づいた流れがなんとなく面白く、結論付けをやめ宙に浮かせておこう!
そんなふうに思っている。
人はその場面場面で感じ方も、捉え方も変わってくる。
その変化を楽しんでいこう!
よろしくお願いします♡