生きるのは難しい
昨日は久しぶりに長時間、様々な論点で会話をした。
様々なバックグラウンドを持つ人達と会話をすることは新たな気づきを得るのだが、同時に生きることの難しさを感じる。
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。
住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟とった時、詩が生れて、画が出来る。
人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣にちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。
ちなみに、情に棹さすとは、その流れに乗って勢いづけるという意味であることは注意。
漱石の草枕はこちらから。
さて、生きづらいと思ったこと。
アメリカの心理学者であるハヴィガーストは、青年期の発達課題を10個挙げている。
男女両性の友人との交流および成熟した人間関係を構築する
男女の社会的役割の学習
自己の身体構造を理解し、身体を有効に使うこと
両親や他の大人から情緒的独立を達成すること
経済的独立に関する自信の確立
職業の選択と準備
結婚と家庭生活の準備
市民として必要な技能と概念の発達
社会人としての自覚と責任ある行動
行動の模範となる倫理体系や価値観の形成
生涯学習研究e事典 「青年期の理解と学習」
http://ejiten.javea.or.jp/content04ad.html
より引用、2023/09/11確認
ざっくり項目を分ければ「友情、性、自立、家庭、職業(選択、倫理感、行動規範)、価値観、結婚、社会人基礎能力」とでも言い換えられようかと思う。
さらに、壮年初期(20-30代)の発達課題をエリクソンは親密性と生殖性について精神的、社会的特徴としての中心課題と捉えている。
またハヴィガーストは以下を壮年初期の発達課題としている。
配偶者の選択
配偶者との生活を築く
子どもを加えた家庭生活の開始
子どもを養育する
家庭を管理する
職業に就く
市民としての責任を負う
自分に適した社会集団を見つける
(2013), 成人看護Ⅰ
メヂカルフレンド社
1953年のハヴィガーストの原典に当たったわけではないので、どちらにしても表記にゆらぎがあると考えるが、わかりやすさを優先してこの表現を引用した。
それにしても青年期(~18歳)の課題が、確実に長期化しているように感じる。正確に言えば、青年期の発達課題をクリアすることができないため、壮年初期の年齢となってもこのゾーンにまで踏み込めていないということではないか。
こういう事を考えていると、果たして自分がやっていることは何であろうかと自問するし、日曜の夜には暗く陰鬱な気分に否応なくなる。
これを人様の前で見せてしまったことは非常に反省しているのだが、どうにも自分の中で未だ消化できないことが多い。
自信を持って今やっていることが正しいと言えるのか、という観点で自分の行動を省みたときに、一点の曇りなく正しいといえ、また自分自身を裁いたときに同じくすべての行動に一点の曇りなく正しいと言えるのか。
と考えると、やはり否定的な文脈のほうが強化されてしまうことが原因のように思う。
自分が果たしてこの課題を早々にクリアできるのか。全くその見通しがつかない。
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