東南アジア放浪記-フィリピン過去編 ①
Hello the world. This is Kaito.
これは地球をより楽しむ為に日本を飛び出した、おれの記録。
今回はフィリピン過去編。
時は遡り
2019/01/09
語学留学の為、日本を出てフィリピンへ
当時年齢は29歳。
海外渡航経験は19歳の頃、学校の旅行でフランス🇫🇷オーストリア🇦🇹への団体旅行。
26歳ぐらいの時に仲間とタイ🇹🇭へ行った程度。
※初海外のタイは強烈に楽しかった。
海外への憧れはなんとなく幼い頃から抱きつつも、どこか自分には到底辿り着けない。
海外生活などというのは夢の様な事と認識していた。
そんなおれが日本を出ることになるのだけど
そのきっかけをくれたのは、当時お付き合いをしていた女性。
彼女に振られた事で自分に言い訳が出来なくなり
またワーキングホリデーのリミットの年齢もあり
半ば現実逃避のごとく、留学を決めた。
当時はもちろん落ち込みに落ち込んだけど、きっかけを作ってくれた彼女にはいまでは本当に感謝している。
人生での出来事とは、振り返るとどう転ぶかは本当にわからないものだなぁ。
留学中のコトはまた別記事で詳しく書こうと思う。
出国当初は2ヶ月の短期留学を経て、東南アジアをぐるっと周り
帰国後、オーストラリアへのワーキングホリデーを計画していた。
2020/03/14
世界を襲ったパンデミック
留学後、ワーホリの際の滞在先(街)を決める為に来ていたオーストラリアからギリギリフィリピンへ入国。
※シンガポールの航空会社(スクート)でメルボルン→シンガポール→セブの便に乗る。
シンガポールでの乗り換えの際に、窓口でフィリピンへの入国が出来るかわからないと伝えられる。。
トランジットの際、母親からも電話が来て
【この先世界中でどうなるかわからない。お願いだから帰ってきてくれ】と言われるが、能天気なおれはあまり気にしていなかった。
その後なんとか無事にフィリピンへ入国。
後で聞いた話で、到着翌日から入国規制がかかり
フィリピン国籍、または永住権持ちの人でないと入国が出来なくなったとのこと。
いま振り返れば色々な事が重なって、フィリピンに導かれていたのだなと感じる。
晴れて入国は出来たものの
現地では厳重な、コロナ対策がされ
外出禁止、街と街の移動も禁止、ホテルなんて取れる状態ではなくなってしまった。
当時、日に日に状況が悪化していく中、周りの日本人(語学学校での友人や現地在住の方たち)はどんどんチャーター便で帰国するなか
残ることを決心した。笑
理由は2つ
①帰国しても仕事がない。笑
当時ナイトクラブの従業員
駆け出しのフリーランスカメラマンとして活動していたおれには、帰国後に出来る仕事もやりたいこともなく
また、このパンデミックはすぐ終わるものだと楽観的に捉えていた。
※このポジティブマインドは一体どこからくるのか?とたまに人に聞かれることもあるのだけれど
自分でもよくわからない。笑
②せっかく英語環境に身を置いたのにも関わらず、帰国してしまったら少しでも英語を話せる様になった経験値を無駄にしてしまうのでは?
実際、当時語学学校へ2ヶ月の留学をしただけであり、1人で海外旅行に行く程度には英語は身についていたが
英語で仕事が出来たり、活用したりするほどまでには全然到達していなかった。
そこから始まった、パンデミック下の海外生活。
ここでの出会いや経験、失敗などが現在のおれの価値観や人生観を形成してくれた。
フィリピン過去編②-現地での滞在生活とバジャウ族(マツダヒロム)との出会い
へ続く