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東南アジア放浪記-フィリピン過去編⑧-海漂民族バジャウ族を通して学んだ事Ⅰ

Hello the world. This is Kaito.

バジャウとヒロムとの出会いは、2024年現在のおれ価値観や生き方に少なくない影響を与えている。

今回の記事は約4年間ヒロムを通じて、バジャウ族に携わってきたおれの体験記
の前にまずはバジャウ族について、かいつまんで紹介しよう。
少し長いけど、この情報抑えるだけできっといろんな視点でバジャウ族とおれの記事が見えてくるはず。
それではお付き合いよろしくタノモウ。

--参考資料--
バジャウ族-Badjau Sama

1992/12 上智大学 卒業論文 長津一史さん
https://www.jstage.jst.go.jp/article/tropics/3/2/3_2_169/_pdf/-char/en

フィリピン・スールー諸島の海洋民バジャウの本格的なフィールドワークを行ったアメリカ人人類学者の本

バジャウと繋がりを持ったきっかけ

--参考資料--

バジャウ族-Badjau Sama
2024年、映画「アバター2」メトカイナ族のモデルとなったとして再度注目を集めている。
アバター2まだみてないや。。

近年、遺伝子の研究テーマとしてもあげられナショナルジオグラフィック .ヴァイスなどで取り上げられている。

  • バジャウ族は何世紀にもわたって、マレーシア、インドネシア、フィリピン周辺の海で暮らしてきた海漂民をルーツにもつ民族。現在も各国地域にバジャウ族のコミュニティを形成し暮らしている。

  • 今回はフィリピンスールー地方から、フィリピン各地に流れて来たバジャウ族の中のセブ島に存続するバジャウを通しての物語

おれが実際知っているのは広く伝わるバジャウの中でもフィリピン セブ島のバジャウ。
恐らく、バジャウの中でも最も近代化に呑み込まれている人々だ。

場所は、フィリピン セブ島 セブシティ アラスカマンバリン地区の海岸沿いにバジャウコミュニティは存在する。
近くには大型ショッピングモールがあり、みんなの想像よりも遥かに都会的に感じることだろう。

バジャウ族の村から徒歩圏内のSMシーサイド

マンバリン地区 特にバジャウと隣接しているエリアはセブシティの中でもちょっと近寄りがたい、ローカルのフィリピン人も用がなければ出向かないエリアだ。
というのも薬物売買に関与している人々や中毒者がちらほらおり、昼夜問わずシャブで目がギンギンなやつがちょいちょい徘徊している。笑
ドラッグ関係ない人々も生活は裕福ではなさそう。
そんなちょっぴりゲトーな雰囲気のエリアだ。

マンバリンからバジャウ族の集落へ繋がる道は
通称シャブロード
※これはヒロムが勝手に名付けた名前。夜になるとライターの底のライトでパケを照らしながら取引しているやつらがいるからだw

誤解してほしくないので一応説明しておくと、マンバリンエリア全体の治安がすげぇ悪いわけではなく、ローカルマーケットもありバジャウとビザヤ(フィリピン人)が混在して昼夜問わずメインストリートは人が行き来している活気のあるエリアでもある。
小さな世界がそこで完結している様な、"異世界感"とそこに迷い込んだ自分自身の"異物感"は観光地とは一味違うインパクトがある。

ヒトがごった返す日常。

しかし、このバジャウコミュニティも治安とは別の様々な課題 問題を抱えているのも事実だ。

⚪︎環境問題
半政府公認のスクワッドエリアの為、ゴミ回収などの行政サービスがない。
結果、ゴミ山が乱雑し彼らの暮らす海上の高床式家屋の下の海もドブ川のように汚染されている。
※そもそもセブのどのエリアも回収はあれど、ゴミ問題はバジャウだけでなくフィリピン全体が抱える問題。
回収しても焼却施設が十分に無く、そのほとんどが埋め立てによって処理されている。
※フィリピンのゴミ問題解決に取り組む日系企業がセブにある!見学に行ったので、その話もそのうち記事でまとめたいでし。

⚪︎生活様式
本来のバジャウ族は漁業を営んでる人がほとんどだった。
魚を素潜りで採り、販売やキャサバなどの穀物と交換し暮らす。
しかし古き良き漁では現代では生計を立てるのが難しく、バジャウの子供たちは頻繁に街へ物乞いや謎のタオルなどの訪問営業(商店や車のドライバーへの押し売り)へ繰り出している。

環境問題やダイナマイト漁での過剰な収穫 サンゴの破壊や人体へのダメージ。
漁業の商業化などによって彼らの収穫量は減少する一方だ。

また、彼ら本来の生活様式には都会の生活はミスマッチ。
浅瀬の海に建てた高床式の家屋に住み
トイレやゴミなどは基本そのまま海へ

これが従来のバジャウの暮らしならプラスティック類のモノや使い捨ての物品などは多く存在しなかった。
電気やスマホなどのテクノロジーを必要としない生活だったが近代化に伴い、必要な生活コストが上がっている側面も存在する。

使い捨てプラスティック
大量生産大量消費
の現代のサイクルに引き摺り込まれる様に、彼らの生活は変容していっていったのだと推測出来る。
否応にも、利便性を経た代償は歪みを産んでしまっている。

また陸地での
国籍や人種、カルチャーの違いによる差別も存在する。
※とはいえ、今現在は明らかにバジャウの血筋として差別されている感はあまりなく
ただマンバリンエリア全体やその他の貧困層と同じ扱いなだけと個人的には感じる。
実際バジャウとビザヤ(フィリピン人)の混血もたくさんおり
バジャウの中でもムスリムやカトリックと信仰している宗教も様々だ。
そしてバジャウ独自のサイタン(精霊信仰)シャーマニズム(アニマリズム)が存在する。
彼らは彼ら独自の文化を、長い年月を経て形成している立派な1つの民族なのだ。

※そもそも過去を辿ると宗教戦争によって
自らの居場所やカルチャー、信仰を奪われていった民族。
国境線なんて国家と呼ばれる組織の誰かが国家内の都合や理由により勝手に決めた事だ。
地図の上からはその線上に暮らす人々(国家にそぐわないモノ)は見えていないのだ。

様々な背景はきっとあるのだろうけど、2024年現在もガザ地区、ロシアウクライナ、アフリカ紛争、ウイグル地区、ヨーロッパ難民問題などボーダーによって見えない人々が誰かによって迫害されてる。

🫣🫣🫣

そして実際のバジャウ族(リアル)はどの様な場所なのか?
彼らとの生活のエピソードと体験談を、独断と偏見をもってお話しようと思う。

次回、東南アジア放浪記-フィリピン過去編⑨-海漂民族バジャウ族を通して学んだ事

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