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こんな感情に、再び出会えると思ってなかった - さなのばくたん。ハロー・マイ・バースデイを超えて

去年、もう名取さなに杞憂しないと決めていた。だからこそ、「名取さな」としての終わりはまだまだ来ないと安心してこの会に臨んでいた。
不穏要素のチラ見せがちょっと不安だけど、きっとワクワクするものになると信じていた。
今年はお手紙も素直な気持ちでいつもありがとう、これからもよろしくね、と、まるで名取に今後手紙を送ることが当たり前になるかのように、大事だけど特別だけど、失くなってしまうものじゃないんだという気持ちで書いた。
「ばくたん。」は特別だけど日常になった、これからもこういう機会はずっとあるんだ、そういう平穏な気持ちでいた。

……

入場。大量のフラスタ、劇場の迫力のある音と、日常だと分かっていてもとても落ち着きを失ってくる。
開演、そして最初からのメチャ・ハッピー・ショー。楽しかったほんとに楽しかった去年のテーマソングを最初に持ってきたことで、ついに始まったという興奮、そして最大級の安心を得る。だってこの曲は名取の気持ちが現れていて、そしてこれからについて語る曲だから……。
興奮も冷めやらぬまま話は進んでゆき、王の悩みを解決したところでのいよわさんによる新曲。「パラレルサーチライト」……明るいとも暗い(中を照らす)とも取れる曲名だが、いよわさんということで■奈をモチーフにした曲かと予想していた。そんな曲は「先行きを照らす」明るい曲だったので、じゃあもう 1 曲はなんなの!?と期待と少しの緊張を同時に覚える。

キョンシー名取、次いで学生名取と 3 人の平行世界の自分の悩みを解決し、元の世界に戻ろうとするところ。
ここで■奈の世界に進んでしまうのではないかと息を飲む。しかし辿り着いたのは元いた世界。
「そうか、■奈は自分自身だからパラレルワールドではないのか!ミスリードか……」と、そしてこの「■奈はパラレルワールドではない自分自身である」ことを暗に明確にするのが今回のお話だったのか、と腑に落ちた。

重大発表、夏祭りの告知もされ、尺的にあとは新曲とおうた歌って終わりかなとか、「夏祭りやりたスギィ!」って大丈夫ですか?とか、「杞憂勢息してる~?wってツイートしようかな」とか、もういつもの配信を見ているときのようにリラックスしていたところ。


扉の音。今日は触れないのかと思っていた存在の予感。
そして的中。

今までの安堵が嘘のように血の気が引いた。

今まで名取がひた隠しにしてきた存在。見ないようにしてきた存在。
考察要素を出すにしても、それは「作り手の名取」としてのものだと思っていた。
逆に言えば「物語の名取」とは交わらないものだと、勝手に思い込んでいた。

■奈のことを「違くないけど」と認める名取を直視させられ、感情が限界値を超える。こんなダイレクトにぶつけてくるとは思わなかった。

それを受け入れた名取からの新曲。
暗いような掴みどころのないイントロ。■奈のか細い声で歌う。感情が揺さぶられ尽くしていて歌詞が頭に入ってこない。

中盤を超え間奏で漸く正気を取り戻して、精一杯意識して歌詞を聴く。「ねえ、あなたはどんなときの私が好き?私はどんな私が好き?」……歌い方が感情を刺激する。
そして歌詞の意味を即座に理解する。
せんせえである我々が名取を好きなことは、控えめな名取でももう理解している。そんな名取に必要なのは「名取さな」が「■奈」を受け入れるという意味での「私が私を好きになる」ということだったのだと。

名取さなを「名取さなの物語」として見たとき、この日は間違いなく大きな、そして初めての区切りだと思う。名取さなは成長して■奈である自分を受け入れることができた。
本当によかったが、手放しでハッピーエンドと喜べるような経緯では到底なかったので、複雑な気持ちで感情を噛み締め、終焉してからも座り尽くして、呆然と、どんな感情か整理も理解もつかないまま、ずっと泣いていた。
「このショーが終わっても続いてくストーリー」であることは去年示してくれたから、決して終わりを恐れることも悲しむこともない。
それを理解していても、目の前で起きたことを受け止めきれず、ただ泣き続けていた。

……

起きたことを理解するにつれて、■奈は作られた人格で「物語」の一部というメタに意識が向く。
しかし■奈が「物語」だとしても、そこに重なる昔の名取は、名取の不安は本物だった。だから、その「不安の象徴である■奈」を名取に受け入れたということは、「作り手の名取」とも切るに切れない関係であるのだろう。
「名取さなの物語」で散りばめられた欠片を形にし、第一幕はせんせえ達の想像を大きく超える形で締めくくられたのであった。

「ばくさん。」を越えて、はじめてであるとともにリベンジでもある「ばくたん。」で大泣きしたとき、これを超える感動はない、この日を迎えられてよかった、と心から思っていた。普通に考えて、言ってしまえば逆境の中で、かつはじめての「ばくたん。」なのだから、その悲しみを乗り越えたからこその感動だと、原点であり頂点であるのだと、ずっと思っていた。
そして「メチャ・ハッピー・ショー」で名取さなの未来を語ってくれ、せんせえを安心させてくれた。だからこそ、「ばくたん。」は日常になり、「悲しみを乗り越えた特別」にはもうならないと思っていた。
そんな「超えられないと思っていた原点」を、「名取さな」は「物語」で超えてきた。 5 年間積み重ね紡いできた自らの「物語」で、「逆境の初回」を超えたのである。
こんなすばらしい「作り手」を、そして「物語」を、 5 年間見てこれて、本当によかった。
「ていねいなお誕生日会」のときの涙が「作り手の名取」に対するものとすると、今回の涙は「物語の名取」に対するものであったともいえよう。

……

会のテーマを理解した上で振り返ると、選曲にも意味があるように見える。「だじゃれくりえいしょん」がないのは言わずもがな、定番であった「さなのおうた」が無いことが目立つ。
「メチャ・ハッピー・ショー」が「さなのおうた」のアンサーソングであり、名取自身の言葉で綴られた言葉であるということもあるが、「好きだよせんせえ」とあえて言葉にしなくてもお互いに大好きである、そのことを名取自身知っているから、「さなのおうた」を選曲しないという大胆な選択をできたんじゃないかとも思う。
当初好かれることに慣れていなかったように見えた名取が、いまやちゃんと好かれている自覚を持っているなんて、こんなに嬉しいことはない。

自覚といえば、せんせえ達の感想の中でもこのツイートにひときわ強い衝撃を受けた。

その自覚が、せんせえである自分にとっては、何よりうれしく、そして恥ずかしくもある。

……

英題「HELLO AGAIN MY BIRTHDAY」にある「AGAIN」は皆さんもお察しの通り、「わたし」であるところの「■奈」の誕生日であることを示していると思う。
しかし自分にとっても、初回を超える感動を「再び」体験する、思ってもみない形で「AGAIN」を感じる会であった。


改めて、誕生日おめでとう。そして、これからも末永くよろしくね。