「心の次」の時代に向けて
こんにちは。安田登といいます。能楽師をしています。
しかし、ここでは能の話はあまりせずに「心の次」の時代の話をしていこうと思っています。このことについて何冊か本を書いたり、古代(正確にいうと前・古代)の神話を上演したりしています。
上の写真は、前・古代の神話のひとつであるシュメール神話『イナンナの冥界下り』の開演前の様子です。
イギリス(ロンドン大学)とリトアニア(国立ドラマ劇場)で上演しました。セリフはシュメール語で、女神イナンナは人形で演じました。ぶら下がっているのが女神イナンナの人形です。これを身に付け(イナンナに憑依され)イナンナの役を演じます(以下が人形を身に付けた姿です。よく見えないと思いますが、この後ろに私がいます:笑)。
そのときのレポートは浪曲師の玉川奈々福さんが詳しくまとめてくださっていますので、詳細はこちのブログでどうぞ。
こちらをご覧ください→「欧州公演報告」
ところで「心の次」の時代って、聞くだにアヤシイ響きがありますね。でも、これはスピリチュアルな話でも宗教的な話題でもありません(「心の次」の時代には、このふたつはなくなると思っています)。
このブログは最初のブログですので、このことについてちょっとだけお話しておきましょう。
「心の次」とは何か。
結論をいうと、これから先の時代、「心」が別のものによって上書きされ、「心」を超えた何か違うものが人々の中に出現する、それが「心の次」の時代です。
いまは自明のものと思われている、あるいは自然に付与されるものと思われている「心」は、文字の誕生後にできたものです。「心」という文字は、文字の発生期には存在せず、それから数百年後にやっと生まれたのです。
たとえば古代中国でいえば、文字が生まれたのは紀元前1,300年ごろの殷(商)の時代で、甲骨文字や金文と呼ばれているものです。当時の文字数は数え方にもよりますが、5,000文字以上あるといわれています。ちなみに現代の常用漢字が2,000文字程度なので、5,000文字というのはとても多い数だということがわかるでしょう。
ところが殷(商)の時代の甲骨文字や金文の中には「心」という文字はないのです。5,000文字もあるのに!です。
「心」という文字を最初に見つけることができるのは、それから300年ほど経った周の時代。紀元前1,000年ごろです。「心」は王朝の変化とともに生まれた新生概念だったのです。
…となると、それはなくなる可能性だってあるということです。「心」がなくなったあとに何が来るのが、それを考えたいと思っています。
このことについて最初に考えたのは高校生のとき、いまから40年以上も前です(ちなみに今年で62歳)。その頃は、この話をすると、みんなから「バカなんじゃないか」と笑われていましたし、自分でも「心の次の時代が来るのは、数百年度、あるいは数千年後か」と思っていたのですが、レイ・カーツワイルがシンギュラリティについての著書を出してから、ひょっとしたら数十年後に起きるかもしれないと思い出しました。
そこらへんの話は、おいおいしていきますね。では、今回はまずはここら辺で失礼します。