時計とは自分の残りの寿命を教えてくれる物である。
A・ビアスの悪魔の辞典にある、時計の揶揄。
読んだ当時は中学生で(だからひねくれた)、よくそういう意味で物事見れるもんだ!と感心したけれど。
近頃、度々ナイスミドルな年齢に達した先生方が、
自分の残り寿命から考えると、描きたい物が描く時間がないと逆計算したり、残り何本描けるか…とポツリと呟くのを見て、私も考えてみました。
私は残り寿命は
考えないタイプ←
…知人、親、友人が突然死したから。
災害もあるだろうし事故も犯罪巻き込まれもありうる。
テロだってオウム見てるのでいつ何時人間死ぬか分からない。
驚く程、人間は簡単に死んでしまう。
ならばこそのメメントモリ…死を忘れるな、が私の根幹に深く基づいてるし座右の銘でもある。
常に死を意識して生きてきた悪習慣だと思っていたのだけど、岡本太郎さんの生死に纏わる遺された御言葉(調べてね。きっと心に響くと思うよ!)のお陰で、メメントモリは良い意味となった。
…それに私は残り寿命を考えても恐らくは長く無いだろうし、
その時の全力で描くのが1番悔いが無いんじゃないかなぁ?
いつ遺作となっても良い様に。
てか遺作云々関係なく、いつも全力で描くのがプロだと思うんだけど。
作品を見た方が最期に見た絵の可能性だってあるんだから。
全力で。
まぁ私は先生方みたいに(まだ←)売れてないけども。
あっ、ブーメランざっくり
バタッ!←
…でも、一つだけ先生方に反論する。
漫画だろうと絵だろうと文だろうと音楽だろうと、表現者は死ぬ瞬間まで表現したがるし、するのが本能として備わっている!
生意気ですが、そう思います。
おなかすきました。
投げ銭にします。
以降の文章にはヘッダーの写真しかありません。
あ、写ってるお薬はただのビフィズス菌薬です(笑)
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