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QUANTUM GIFT 5.17.2021
セラピストのOCOさんと、月曜日の朝にお話をします。大きなテーマは「感覚をひらく」ということ。アーカイブは残しません。その時、その場の空気感を尊重します。アーカイブは自分の記録であると同時に、未来で誰かに出会うためのツールです。ですから、アーカイブの代わりに僕のテキストによる記録をつけることにしました。
5月17日(月) 8:15
先週の土曜日にホニャララLIVEの中で、兼松佳宏さんからお話を伺った。多方向に盛り上がったのだけど、冒頭で「肩書き」の話をしている。兼松さんの肩書きは「勉強家」であり、一般的な肩書きがDoだとすると、これはもう少し深い個人の動機のようなもの、つまりbeの肩書きだという。なんとも興味深い。
OCOさんの今日のお話も同期=motivationについて。動機には2種類ある。内的(内発的)動機と外的(外発的)動機だ。特に重要になるのが内的動機だという話だった。
内的動機とは、内側から湧き上がるようなやりたいこと。居ても立っても居られないといったようなものもそれか?外的動機は他者からの評価や、置かれた状況によるもの。つまり重要だとする内的動機とは、「やるべきこと」ではなく「やりたいこと」とも言えるのだろう。
それが大切なのは多くの人が気づいているところだろう。奇しくも風の時代。風にのって生きていくためにも、自分のやりたいことを実現していきたいものだ。ところが現代は内的動機を忘れさせるには十分な量の「べきこと」に溢れている。いかにして内的動機を取り戻せるのだろうか?
OCOさんからのお話は二つ。「気づくこと」と「覚悟すること」。今日は若干スパルタOCO。
気づくことはそのままの意味。自分のやりたいことに気づくこと。そのための問いを疎かにしないこと。OCOさんは高校生の頃にある出来事から自分の思いを父親に伝えたそうです。すると「こんな仕事があるよ」と紹介されたのが理学療法士だった。そこから人をサポートする仕事に入っていくことになる。
覚悟することもそのまま。気づいているのにできていないことって誰しも多少心当たりがあるのではないかと思う。それが仕事だろうが趣味だろうが構わない。やりたいと思っているのに、なんらかの理由でやれていないこと。そこにはたくさんの理由があるのだろう。忙しいとか、経済的なものとか。でもそれすらも自分が選択しているのだとしたらどうだろう?
やりたいことをやれない状況は自らが選択している。
この話、スパルタに「やれ!」と言われているだけのようで、気付かされることは思いの外多かった。それは主に3つ。
①気づくことは必ずしも内観的な作業の先にあるものではない。冒頭で紹介した兼松さんの「勉強家」というbeの肩書きは自分で言い出したものではなく、他者に言われたものを使っているのだとか。OCOさんのお話もそうで、高校生の頃の出来事や父親の発言が自分の動機につながっている。気づきは自分の外側にある場合もある。
②覚悟することは声に出すこと。今日、OCOさんがこの話をされたことに僕は勝手に「覚悟」を感じていました。それはおそらくセラピストとしての覚悟。自分のできることの還元をするという覚悟です。覚悟を決めることの一番原始的なやり方は「声に出すこと」なのだろうと思います。漫画『ONE PIECE』の第一話(多分)でルフィは「海賊王に 俺は なる!」と声に出します。これが覚悟。そしてこの覚悟はブレない。ルフィのセリフの言葉順も面白いのだけど、それはまた別のお話。
③気づいて、覚悟を決めても実行は簡単じゃない。誰だって挫けそうになる時はある。そんな時に支えになる人がいることは大切。OCOさんのようなセラピストはその一つだろうと思うし、学校や職場の同期、同僚というのもその可能性を秘めている。自分のやりたいことは誰かにはできない。だけど誰かの助けを借りることはできる。
そんんわけで、僕はこのラジオ配信はお堂のない寺のようなものを目指そうと思いました。(どんなわけ?)平たくいうとOCO住職。月曜日の朝の決まった時間に話を聞くというのは、いかにも説法です。かしこまって聞くのではなく、それぞれの環境の中でリラックスした状態で聞くというスタイルも、現代的で良い。寺だなと言うと、軽々しく聞こえたら恐縮ですが、あくまでもものの例えとして。そのようにあれたらいいなと。