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存在しない日記 2021.3.20
これは架空の人物による、架空の出来事の日記である。空想の日記。妄想とも言う。つまりこれは存在しない日記。
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2021年3月20日
朝からずっと雨だった。今日はずっと家で過ごした。買うだけ買って読んでいない本は沢山ある。こんな日は小説の気分だ。会田誠の『げいさい』を読み進める。少し世代が異なるとはいえ、我が母校が舞台の小説だ。読み進めるうちにくっきりと風景が脳裏に映る。
美術大学で教鞭を取っている古い友人たちは昨年だけで急速に進んだ授業のオンライン化には、相当悪戦苦闘している様子だった。最近はどうしているのだろうか?
美大のオンライン授業で悩ましいのは実技だろう。大学にあるような特殊な機材は使えないし、学生によってはスマートフォンで受講している場合もあるだろうから画面も小さい。そんな環境で一体何を教えられるのか。
昼食はUber Eatsを利用した。弁当一食で運んでもらうのは気が引けるので、いつもつい頼みすぎてしまう。
しばらくするとインターホンが鳴り、ドライバーの到着を知らせた。先日エレベーターに閉じ込められて以来、ずっとカメラのことが気になっている。見回すとカメラはどこにでもあって、スマートフォンやPC、街のあちこちに設置された防犯カメラ、それにインターネット上で公開されているライブカメラというのもある。最近では検温のためにカメラを設置しているお店も多い。そしてもちろん、インターホンもそうだ。
そのせいなのか、ずっと触れているはずのインターホンのコントロールパネルに初めて興味を持った。普段全く使ったことのない沢山の機能があるではないか。
室内から玄関のカメラを動かせるし、拡大縮小もできる。そしてそれらの動作は私のみが知る行為であることは、なにより興味深い。外にいて撮られている人は気づきようがないのだ。
インターホンのカメラの前に立つ人は、撮られているということをあまり気にかけていないだろうし、カメラが作動しているのかどうかもわからない。しかし室内にいる私はインターホンのコントロールパネルを用いて、見たい場所を見ることができる。
一方的な見る / 見られるという関係の中で少しだけ自分を神格化するような気持ちになった。
大衆化された神様像というのは、雲の上から下界を眺めている人物(?)として描かれている。当然天上から下界は見ることができても、下界から天上は見ることができないし、見られている意識すらないだろう。
明日はライブカメラのことを調べてみよう。