そして夜はすべて この手の中

2016年1月に、REPUSMYT.COMという謎のサイトが現れて、これ逆に読めばTHE YELLOW MONKEY SUPERの頭文字じゃないのという話があって動揺に動揺しまくったときの日記です。こういうのはね、今となってはもう絶対書けないから書いとくもんだなと。この時はまだ1月8日に何が発表されるのか、薄々アレだろうと思いながら違ったら立ち直れない、と思ってた時でもありますね。

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しかし、実際に自分が当事者になると、これはどうしていいかわからんもんですね。みなさまあけましておめでとうございます。年始早々振り回されまくっております。なんの説明もなくこのまま話を続けますし実際これ着地点ないです。ないまま書いてます。持て余す!そう、今のこの宙ぶらりんな状態を持て余しているのです、まったくのところ。

すごくお恥ずかしい話ですが、今まで、つまりイエローモンキーがこの世から消えてから今まで、再結成、再始動、というものに至った数多のバンドの姿を見る度に、万感の思いに浸るファンの方々を見る度に、私はいつも妄想していました。これが、もし、イエローモンキーだったら?そうだったら、自分はどんな風におもうんだろう。

で、その「もし」に手がかかっている(と思われる)今、どんな風におもっているかというと…
なにもおもっていない!
うそ!
なにをどうかんがえていいかわからない!
正解!
みたいな感じです。リアルに想像すると一気に自分のまわりの空気が薄くなってくるような感覚に襲われるのでこれはもしかしたらある種の病気かもしれません。お薬多めに出しておきますね。

さっき(と思われる)と括弧書きで書いたけれど、この括弧書きが問題で、今のところはまだこの騒動の行き着く先が明示されているわけではないというところもやっかいだ。実際、その、その三文字の事態(ここにきても明快に書けない、そう俺の名はチキン)に至るのかどうかわからない。正直、一気に示された数々の「思わせぶり」なヒントに、そう、あの思わせぶりさがまさしくあのバンドだとより実感させられるが、9割ぐらい、そうなんじゃないか、と思う自分がいるわけです。でも逆に言えば、1割は違うかもと思っている自分もいる!ここが問題です。もし、万が一、蓋を開けたらその1割の方だったら?あーなんだ、やっぱり、そうかそうか、とかいって日常に戻っていく…とか
できるわけねええええ!!!(卓袱台ひっくり返し)
一旦夢をちらつかされたあとにそんな仕打ちだったら、「探さないでください」の書き置き残して私もひとり連絡船に乗り凍えそうなカモメ見つめ泣いていても遠くで私を叱らないでって感じです(もはやこの時点で相当の落ち着きの無さを露呈)。

昨日もね、まあそれなりにツイッターのTLにいろんな意見が流れてきてて、今じゃないとか、なんで今なんだとか、カッコワルイとか、カネのためなんじゃないかとか、もうね、そう、いろんなことを言う人がいる!当然です。そりゃそうです。しかし私はしょせんトラとウマが強力な基本キモイマジヲタのため、ほかのことなら流せるそれらのことにもいちいち心の波風が立つ!こわい!今まで磨いてきたスルースキルがいっぺんに瓦解しそうです。しばらくついったやらないほうがいいかもしれない。

でも、今まで心底入れあげた劇団やバンドにことごとく解散されてきたからこそ、「今じゃない」とか言っていたら、永遠に「今」なんて来ないんだろうなってことはわかります。

1月8日の0時になって、もしそうなったら泣くかも!とか言いたいとこだが、実のところもう昨日の時点でさんざんびえーんって泣いてるので泣くかもどころじゃないのであった。もし、もし、もし、そうだったら、ここに先に宣言しておくけど、わたしは全力でこの波に乗りに行くつもりなので、そうでない人にはどうか遠くからそっと見守ってほしいし、もしそうじゃなかったら、私の荒れようがおそろしいことになりそうなのでその時もどうか遠くからそっと見守ってほしい。いずれにしても遠くから見守ってほしい。

昨日ついったにも「これだけ長いことネットのうえでうだうだやって(書いて)ると大抵のことを言い尽くしてる」って書いたけど、ほんともう、とくにあのバンドについては、骨をしゃぶり尽くす勢いでああだこうだ書きまくってきた過去があるので、もはや新しくいうことは…ない!みたいな境地に達しつつあります。そもそも、ブログのタイトルからしてそうなんだ。配給ノスタルジー。これは大槻ケンヂさんが、筋肉少女帯の再結成についてのインタビューで語っていた言葉を拝借したものです。筋少復活について尋ねられた大槻さん、バンドが再結成すると喜ばれる半面「懐古主義じゃないか」「お金儲けのためじゃないか」「格好悪いじゃないか」と言われるけれども、という話の中で、格好悪いじゃないかということについては、ロックバンドというのはそういうもの、解散や再結成を繰り返していくものだと思っていると、お金儲けってことについては、もちろんそれは重要なこと、だってプロなんだからと、言ったうえで、かさねて懐古主義じゃないかということについては、こう答えている。曰く、

「昔はね、やっぱりロックて革新的なものだから、常に前へ、前へって言ってたんだけど、日本のロックでさえそれなりの歴史が出てくると、やはり昔聴いた音楽って懐かしいわけですよね・・・ロックミュージシャンというのは、ノスタルジー配給係としての役割っていうの、絶対あると思うんですよ。僕は再結成してよかったなと思うのは、再結成っていうのは単にバンドが、メンバーがよりを戻すってことだけではなくて、そのバンドが再活動することによって、スタッフとの再会があったりだとか、他のミュージシャンとの再会があったりだとか、ファンとの再会があって、ファンはファン同士の再会があって・・・結局わかったのが、ロックバンドの再結成というのは、ほんとにたくさんの、無数無限の再会をいたるところで派生させるための、音楽による、大いなるきっかけという本質があるんだなと思ったわけですね。」

この言葉を受けて、配給ノスタルジーなんてblogをやっている人間が今なにを思っているかなんてのは、もう文字にして言わずもがななんじゃないかっていう。つって結局書いてるけど。だって持て余してるから、今のこの事態を!(話が戻った!)

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