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サカナクション「怪獣」の歌詞について思うこと

2025年2月20日、サカナクションとしては約3年ぶりの新曲となる「怪獣」がリリースされた。この楽曲はアニメ「チ。-地球の運動について」のOP曲でもあるのだが、その世界観がうまく表現された歌詞だと感じた。この記事では「怪獣」の歌詞について独自の視点で考察していく。

※「チ。」の内容もある程度含むのでまだ見てない人は漫画、アニメを見よう!

淡々と知る
知ればまた溢れ落ちる
昨日までの本当

怪獣/サカナクション

「知ればまた溢れ落ちる」と言う歌詞があるのだが、楽曲を聴くと溢れの「あ」の発音が弱く、「知ればまたふれ落ちる」と言うふうに聞こえる。

これはあえてこのように歌っているのではないかと思わされる。
「ふれ」→触れ、降れ、振れ と言ったところか。
「落ちる」という言葉も「堕ちる」とも取れる。

私としては「知ればまた触れ堕ちる」が1番しっくりくる。

「チ。」では第一部の主人公ラファウがフベルトとの出会いを通して地動説の
美しさに魅了されていた。地動説は“禁じられた研究“であり、唱えることは自らを破滅に追い込む危険性があった。ラファウは命をも懸けて地動説と向き合ったが、その様子は狂気的と言ってもおかしくはないだろう。

単純に生きる
懐柔された土と木
ひそひそと咲こう

怪獣/サカナクション

今回この記事を書こうと思った1番の歌詞はこの歌詞部分である。
「懐柔された土と木」という部分が楽曲では「懐柔され、たつ、ち、とき」と
いう切り方で歌われている。もちろん他の歌詞との韻やリズムの関係なども
あるとは考える。(一郎さん曰く韻から楽曲を構想することもあるのだそう)

ただ私の解釈は「懐柔され(立つ/経つ)地、時」である。
「立つ地」→人々は地に立っているというごく当たり前な意味はもちろん。
      「チ。」における地動説を唱えるために立ち上がったラファウ達を
      表しているとも取れるだろう。

「断つ(地/知)」→ノヴァクからの視点で考えてみるとこの言葉も当てはまる。
        ノヴァクは地動説を断つ、受け継がれる知性を断とうとする
        存在で作中では反知性の象徴として描かれている。

「経つ時」→地動説を研究する者達の知性、感動の受け継がれていく様子。
      「チ。」という物語の時系列を表している言葉だろう。

深読みしすぎている気もするがかなりこの歌詞部分はダブルミーニングで
あるのではないかと思う(落ち着け)

この未来は好都合に光ってる
だから進むんだ

怪獣/サカナクション

最初にこの歌詞を見た時は泣きそうになった。
鬱病を患った一郎さんからこんな言葉が出てくるなんて…
ただこの歌詞部分も楽曲を聴くと他の言葉に聞こえてくる。

それは「この未来は好都合に非確定」である。

これは「チ。」という物語における「真実と権力の間で揺れる不確定な未来」
という世界観にとてもリンクしているように思える。

ただ山口一郎からの我々への言葉として捉えることもできそうである。


とても簡単な言葉で考察してみた。
皆さんにはこんな深読みせず元の歌詞を味わって欲しい。


あと「何千回も」って歌詞 何百回とか何万回とかでもいいのに
千にしたのはチの文字と似てるからなんじゃないかな(怒られろ)

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