焦点距離はなぜキリが良くないのか。
21 24 28 35 50 75 90 135…
写真を始めた頃には疑問にも思うことがなかったが、あるときふとなぜなんだろうと思うようになった。
この、焦点距離の数字の中途半端さ。
ライカのレンズにある焦点距離をあげただけでも、きっちりとした数字のものは50mm 90mmくらいしかない。5という数もまあキリがいいとしたとしても35mm 75mm。なんだこの5mmは、となってしまう。
だからいわんや21mm 24mm 28mmをや。なぜに20mm 25mm 30mmというふうにしないのだろう。そう思うとその原因を知りたくなってきた。90mmだってキリがいいとすれば100mmにしちゃう方がいいのでは、とすら思ったりもする。この焦点距離に何か由来はあるのか。
上にあげた数字だけでなく、一眼レフで見かける85mm。これも変な数字だと思う。75mmと90mmの間にあって、どうした由来でこの中望遠の焦点距離が定番化したのか不思議に思う。
この世界は、我々がやってきた時からすでにそうなっていたのだ。
言語とか記号とかシニフィアンとかシニフィエとか、多くのものがそんな状態ではあるけれど、光学に関してはなんらかの由来があるのではないか。我々がやってくる前の時代はそんなに古くはないのだから。
たとえばこの焦点距離を、画角に置き換えるとキリがいいのかもしれないと調べてみる。しかし例えば28mmはおよそ75度らしく、まあなんとなくキリは良さげだ。ところが50mm となると、焦点距離はキリのよい数字であるものの、画角で見るとおよそ47度となる。21mmは91度。75mmは32度 85mmは28度 90mmはほんのちょっと狭くなって27度ときたもんだ。
どうも、画角がちょっきりキリのいい画角になっている、というわけでもなさそうだ。
そんなわけで、ネットでこのことを調べてみる。「焦点距離 画角 中途半端 なぜ」というような言葉で検索をかけてみるものの、出て来るのは、焦点距離の意味とか、レンズの成り立ちとかばかり。あるいは35mmがいかに中途半端なのか、というものに出くわしたり。ただ、今のところ出てきたなかで、ああ、そうなのか、と思ったのがYahoo!知恵袋に残っていた。
これを読んでみると、まあ、結局、いろんな都合があってこうなったのだ、というふうになる。そりゃまあ、そうなんだけれど。
ただ、そこにレンズの作りやすさや、他の焦点距離との兼ね合いでそうなったのだ、と推測がなされているが、うむ、それでも、いや、それなら、作りやすいレンズが例えば40mmというキリのいい数字になったりは逆にしないのではないか、と思ったりもする。レンズの焦点距離も、「この世界は、我々がやってきた時からすでにそうなっていたのだ」と納得するしかないのかもしれない。
ひとつ、作りやすい焦点距離があった、ということ。
ひとつ、他の焦点距離との兼ね合いがあったということ。
ひとつ、その焦点距離そのものがなんらかの基準によって作られたということ( 50mmとかはフィルムの対角線に基づいているとか言われたりするアレ)
そんなこんなが絡まって今の状態になったのだと考えるのが一応の結論なのだと思う。
ただ、逆に言えば、純粋に写真を撮るにはこの画角がいい。この画角になるようレンズを作ろうとしたわけではない、と言うことは言えるのかも知れない。
僕は50mm とか75mmが好きだが、もしも自分で焦点距離を自由に変えられたなら、ここっ!という焦点距離があるかもしれない。ズームレンズでできることじゃん、と言われるだろうが、ズームだと両端があるが故に、最広角、最望遠を使いたくなるし、あるいはその場に立ったまま被写体に合わせてズーミングしてしまったりするから、およそ単焦点の使い方とは違うやり方をしてしまいがちだ。
ペンタックスのレンズには面白いものがある。31mmとか73mmとか。このわずか数ミリにこだわったというのはやはり由来があるのだろうと思う。ちょっと今後調べてみたいところだ。そうした微妙な違いの由来を知れば、定番の画角がなぜ定番になったのかを知るきっかけになるかもしれない。