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黒い瞳


・運命の女

1526年、ヘンリー八世35歳は恋に落ちる────。
彼を射止めた黒い瞳の娘がヘンリーに与えた「娘」は、イングランド史上最も偉大な「女王」になる、運命の女。

父は、トマス・ブーリン。母は2代目ノーフォーク公トマス・ハワードの娘エリザベス・ハワード。
(※因みに3代目ノーフォーク公もトマス・ハワード。以後ちょこちょこ登場する(予定)のトマス・ハワードは3代目のトマス・ハワードであることに注意。ややこしい…)

トマス・ブーリン

トマスとエリザベスの夫婦は3人の子供に恵まれるが、生まれ年も生まれた順番もはっきりしていないが、本稿では一般的に謂われている説を採用しようと思う。
①メアリー(1499年生まれ)

メアリー・ブーリン

 ②アン(1501年生まれ)

アン・ブーリン


 
③ジョージ・ブーリン(後のロッチフォード子爵)(1504年生まれ)

ジョージ・ブーリン


アンを栄光の座に押し上げる土台は、トマス・ブーリンの外交と語学の才にあったと謂っても過言ではない。外交官としての最初の任務で、メヘレンのマルグリット・ドートリッシュ大公女の宮殿で教育を受けることが出来るように計らうことが出来た。ここで、アンは貴婦人としての作法を身に着けることになる。
その頃のアンの評価は、マルグリットがトマスに宛てた手紙に見出すことが出来る

人前に出しても恥ずかしくないし、気立ては良い。まだ若いのに大したものです。娘さん(アン・ブーリン)のことでは、わたくしが貴方に感謝しなければなりません。

マルグリットの手紙

次に、フランス王妃となっていたヘンリーの妹、メアリー王女に使えるべくフランスに渡る。
メアリー王女の夫、ルイ十二世が崩御した後も、その息子フランソワ一世妃クロードに仕え、7、8年ほどフランスに留まった後イングランドに帰国している。フランス時代に、「フランス仕込み」の機知と教養で楽しませる術、ウィットとエスプリに富む会話術を身に着けたと謂われている。

さて、国王の心を捕らえた女、アン・ブーリンはどんなに美しい容姿の女だっただろうか。
後々彼女が巻き込まれる大事件のせいで、怪物めいた醜女と伝える資料もあるが(イボだらけだったとかほくろだらけだったとか首が太かっただとか黄疸にかかっているみたいだとか…)、そんな化け物は王の心をとらえるどころか、宮中に上がることも無理だからスルーするとして…。
ヴェネツィア大使さんは「絶世の美女…と謂うほどではない」と冷静な評価を下している。事実、あの陽気なベッシー・ブラントの方が器量は良かったと謂われている。
アンは、「まあまあ美人だった」と謂うのが一番正しいだろう。
事実、美貌はにおいては姉のメアリーに軍配があげられるだろう。
と、謂うのも、当時の理想は「色白で、金髪、青い目のふっくらした女性」とされていたからだ。キャサリン王妃も、肌の美しさと豊かな金髪が称賛を浴びた。
さて、アンは如何だったか。アンは「中くらいの背丈」で、細身だったようで、胸は大きくなかったそうだ。ヴェネツィア大使さん曰く「胸は殆ど膨らんでいない」と書いている。
膚はそれほど白くなく、ほくろも少しはあったが、ほくろは彼女の容姿を引き立てていた。髪は多く豊かで艶やかで真っ黒だった。
と、謂うように当時の理想の美人とは離れていたが、アンは確かに魅力的な女性だった。
彼女の魅力は「瞳」だった。そして、その瞳を際立たせる黒く絹のようなくっきりとした眉毛。彼女は、瞳の使い方をよく心得ていたそうだ。遠くを見つめるような眼をしたと思いきや、真っ直ぐに相手を見詰めて思いの丈を訴えかける。
そして、長く美しい項。「象牙のような首をすっと立て」ていると何とも言われぬ優雅さがありそうして踊っているさまは美しく、この点は誰も否定していない。そして愛らしい歌声の持ち主だったと伝えられている。
「溌剌とした若い乙女。その蝶のような足取り────……」

アンとヘンリーが出会った1526年。アン25歳。王妃キャサリンの女官だった。
その間、ピアース・バトラー、サー・トマス・ワイアットや、後のノーサンバランド伯ヘンリー・パーシーとのロマンスもあったようだがいずれも成就していない。

・国王の恋

兎に角、ヘンリー八世がこの黒い髪の乙女への恋情を燃え上がらせる。まだ35歳。エネルギッシュでハンサム。体もまだまだ引き締まっている。…尤も、帽子をとると生え際がそろそろ後退を始めている模様。
この5年後、口さがないヴェネツィア大使さんが「顔は天使のよう」だと述べているし、「こんなに背が高くて気品のあるお方は他に居ない」と書いている者もいる。…まあ、頭は「禿げてカエサルのようになっていた」らしいが。

ヘンリー八世は、欲しいものは何としても手に入れる性は今も昔も失われていない。キャサリン王妃と結婚した時も、父親が崩御して早々に彼女の手を取ったではないか!
その彼が、妻の侍女にどれだけの熱を上げたか。あの手紙が大嫌いなヘンリーが自筆で恋文を書いているのだ。彼の自筆の手紙で残っているのは数えるくらいだ。
アンに逢えないと、王は我慢できなくなってペンを執る。部外者が読んでごめんね…って思うような熱烈な愛の言葉が並ぶ。
「身も心も私にくださるのであれば、これからも今までと変わらぬあなたの忠実な僕として」「貴方をただ一人のミストレスと定め」「貴方だけにお仕えしましょう」
「こんなに愛を捧げているのに」「我がミストレスよ、貴方から離れていることがどんなにつらいか」「貴方の僕。貴方と弟さん(ジョージは王の近習だった)が入れ替わってくれればいいのにと思う者より」
と、まあこんな感じ…。
王は魔術にかかったという。「恋の魔法をアンにかけられた」と。国王は愛してくれとアンに希う。
───…其れは、後年、「アンが魔女であるが故」に、塗り替えられてしまうのだが。
通常であれば此処までだった。ヘンリーの隣には正統な王妃が居るのだから。
アンは、身ごもったとしてもその子は庶子となり、身分とそれなりの栄華を貰って身を引き、適当な貴族の息子の所に嫁ぐ。それでおしまいのはずだった。
フランスの宮廷で、王妃より華やかに王妃の役割をこなし、後に公爵夫人の位まで手にするエタンプ公爵夫人の役を演じるわけでもない。そもそも、イングランドには「公妾」というものも存在しない。
アンに与えられるのは、アンを待ち受けているのはもっと厳粛な宿命、運命とでもいうべき道のりだ。
いつからか…恐らくは1527年頃、王は神の思し召しにより、人生二度目のチャンスにかけるべきだと決意する。
これは良心のお告げなのだ。最初の「妻」と自分は正式な結婚ではない。仮初の「妻」を厄介払いして、黒い瞳の乙女とともに新しい家族と作るのだ…!!

アンとヘンリーの出会い

・離婚劇の始まり

さて、ここで謂う離婚とは、現代に馴染み深い離婚(離婚届を提出した時点から夫婦関係は抹消される)ではなく、結婚を「無効」にする手続き、即ち、結婚の発生した時点まで遡って婚姻の効力を失わせる。つまり「なかったこと」にする手続きである。ヘンリーは1527年の今も結婚していないし、1509年にキャサリン王妃と結婚した事実もない。キャサリン王妃は抑々王妃ではなく、後にも先にもアーサー王太子の未亡人である、ということになる。ンな無茶な…と現代の感覚では思いがちだが、当時のキリスト教国における考え方は、結婚は神が認めたもうた神聖な結びつきである。故に、神がいったん御認めになった関係を途中で終了させるなんてありえない。これは、手続きや確認事項に不備があったのだ。だから、その不備を正して、そして、間違った結びつきは最初からなかったことにして正しい道に引き戻すのだ…と謂う考え方である。
何やら大袈裟で面倒くさそうな手続きなんであるが、イングランドの貴族に於いてこれって割とよくあることだったんである。
ヘンリー八世のケースが特別に特殊だったとか、予想外の展開でもない、ということは確認しておきたい。
王の妹メアリーの旦那様、サフォーク公だって一度は離婚しているし、メアリーと結婚するためにはローマにお伺いを立てて教皇の特赦状を得なければならなかったし、その特赦状を得るのに13年かかり、メアリーの三人の子供は特赦状を得て漸う、嫡出子と認められるに至るんである。
妻の離縁は「日常茶飯事」だった。経済的事情、子供が出来ないなどの理由で(この時代不妊はすべて女のせいにされた)、妻をお払い箱にしたい場合結婚の協定そのものに落ち度を見つけるしかない。婚姻の不備が申し立てられたりある日突然婚前交渉が疑われたりなんかしてでたらめの特免状の発行により、夫にとっての都合の悪い結婚はおしまいになるのだ。
逆に、女性の側からもこの婚姻の無効は申し出ることが出来た。但し、「その力」を有する女性に限って…ではあるけれど。
その強い女性の代表がこれまた国王の姉、スコットランド王妃マーガレットだ。
……ヘンリー7世の子供達、結婚生活はとっても波乱万丈……。

と、まあ、ここまでで述べた通り、貴族の離婚はそこまで珍しいことではないし、ヘンリー八世とキャサリン・オブ・アラゴンの婚姻の無効だって、状況次第では案外すんなり終わっていた可能性だってあるのだ。
すんなり終わっていればイングランド国教会の成立、プロテスタントの確立等々の波乱も生じなかった…可能性もある。
では、何故、あんなにも波乱が巻き起こり、国王がローマ教皇から破門され、イングランドでイングランド国教会が成立し、あんなにも時間がかかったのか。
それは、キャサリン・オブ・アラゴンが「強い女」だったからだ。キャサリンの高貴な身分。彼女は、神聖ローマ皇帝カール五世の叔母であり、カール五世は教皇を動かす力を有していた。
そして、王を巡る二人の女性…、キャサリン・オブ・アラゴンも、アン・ブーリンも強い女であり、鉄の意志を貫いたことが大きく影響する。
若しも、キャサリン・オブ・アラゴンがスペインの王女ではなくそこら辺のさして力もない小国の王女だったなら、ヘンリー八世の離婚はもっとすんなり事が進んでいただろう。

・人もしその兄弟の妻を取らば……

国王が(彼にとってはとても都合の良い)「良心の呵責」を感じるようになったのは、いつだったか、それは判然としない。
ただ、王の良心の呵責の陰には、「レビ記(旧約聖書の中の一書)」がある。
その中にはこんな記述があるのだ。

人もしその兄弟の妻を取らば是汚らわしき事なり。彼その兄弟の陰所を露したるなれば。
その二人が子無かるべし

レビ記20章


そして、唯一の「嫡子」。メアリー王女の発育の問題。
メアリー王女はとても聡明だが、小柄で、若しかしたら、王が崩御するまでに「跡取り」を産むことが出来ないかもしれない。そんな風に見られていた。テューダー王朝が危ない。
徐々に、「男を産めない」古女房キャサリンへの苛立ちが募る。
そこに現れた黒い瞳の女、アン・ブーリン。
アン・ブーリンは王妃になる確約が得られるまでは王に体を許さなかったという。「フランス仕込み」の手練手管を用いて王の官能を弄んだけれど、最後の最後までは決して許さなかった。
アンは国王を焦らしに焦らした。他の側面もある。当時、避妊の術が確立していなかったから、下手に許すと、ベッシー・ブラントや、メアリー・ブーリンのように子供が出来てお払い箱……。
アンは考えなければいけない。自らが「より上へ」行くには、ヘンリーに何を与え…何を与えないのが最良か、と。

そう、アンは若い娘だ。アンは、国王に未来を約束する─────。
キャサリンがこれから、ヘンリーに与えることは無理だけれど、アンであれば、ヘンリーに与えられるもの
それは、未来の「テューダー」、即ち、息子である。
そして、アンが産む子供が玉座に座るためには、アンは正統な結婚をした王妃でなければならない─────。

そして、ヘンリーの中では二つのモノが合致する。
「テューダー家の王位継承に関する想い」と「最も大切に思う女性」への執着。
だから、王は信じるのだ。この後、離婚手続きの間も、ずっとずっと、ヘンリーはアンに生まれるのは「男子」の「跡継ぎ」であると。だからこそ、「プリンセス・オブ・ウェールズ。女王太子」メアリー王女もお払い箱にした。
考えてもみよう。ヘンリーは、アンと出会うまでは離婚など考えてすらいなかった。キャサリン王妃との間に、メアリー王女しか生まれなかったから、何とか彼女の血統でテューダーを繋ぐ道、即ち、メアリー王女を結婚させて彼女の夫を後継者に据え、彼女の子(メアリーは当然、元気で丈夫な男の子を生むだろう!)へと道を繋ぐ心づもりだったのだ。

だが、全ては変わった。抑々、キャサリンとの結婚は間違いだったのだ。兄の妻を娶るという罪を犯した自分に、神は罰を与えた。
神は、自分の望み(息子)をお与え下さらない。兄の妻を娶るという罪を犯したからだ。だから、この過ちを正さねばならない。
過ちを正せば、神は厳しい罰をお与えになるのをやめて、(悔い改めた)神の僕(ヘンリー)に報いてくれるだろう。

王の良心が命ずるところと、慾望が命ずるところがここに目出度く一致をみる。
「王妃キャサリンを退け、アン・ブーリンを新しい王妃に迎えるのだ!」


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