凋落の予感
・二人の王女──メアリーとエリザベス──
「王子」の為に計画されていた壮麗な騎馬試合は取りやめになった。
産まれてきた子供は「王女」だったからだ。
それでも、昔の王妃は退けられ、彼女の一人娘メアリーは、推定女子相続人と謂う1516年以来ずっと占めてきた地位を失った。
国王の伝令は生まれたばかりのエリザベス王女を、王の最初の「正当な子」と宣言した。メアリーは、アンが健康な赤ん坊を産んだその時から、敗者、或いは二番手の烙印を捺されたのである。もっともこの時点では公の廃嫡はなされていない。
と、謂うのも、出産の危険性、そして赤子の命の果敢無さを思えば、この王女がまた、推定女子相続人…と謂う立場に返り咲く可能性も十二分にあった。
それでも、メアリーは、その家臣団を解散させられ、彼女自身は(たとえ彼女が「妹としては認めましょう。だけど、王女としては決して認めません」と謂い放っていたとしても)、エリザベスの宮中に入れられた。つまり、公に妹の下、という扱いになったわけである。
それでは、ヘンリーのメアリーに対する愛情は如何だったか。
元々は愛情深い性質で、「自分に逆らわない限りは」子供には優しかったし、そもそもメアリー王女も綺麗で大人しく可愛らしい少女で、ヘンリー王自身が「私の真珠」と呼び溺愛していたし、メアリーはメアリーで、父親を自分の人生でも国内でも一番偉い人物として父親を敬愛していた。
母親が幽閉された後も、メアリーは母親との文通は許されていたし、彼女が病気になった際もキャサリン王妃の侍医と薬剤師が彼女に付き添うことは許されていた。
と、謂うわけで、実に「正当な結婚」によって、子供も無事生まれた。だから、テューダー家の相続問題は解消された…と謂えば決してそうではなく、「王子」が緊急に必要だという事実は変わっていない。アンはそう感じる。
彼女の記念メダルに刻まれた「もっとも幸多き者」。
エリザベス一人を頼みとする幸せが完璧か?決してそんなことはない。
この頃にはアンの欠点───すぐかっとなり思ったことを口にする───も、見え始めていた。
・国王至上法と継承法の制定
国王至上法の下に、イングランド教会の首長として国王が求める権限は、信仰のあり方そのものにまで及ぶ。イングランド国王は教会の最高首長という「称号と権利」にもならず、「同教会の最高首長と謂う名誉に付随し関連する」あらゆる特権をも享受することになる。ここに、イングランドの絶対王政は着実に歩みを進め始める。
継承法は、国王ヘンリーと王妃アンの結婚が合法であることを正式に表明し、併せて二人の間に生まれた嫡出子(この時点ではエリザベス)に継承権を認めるものである。
メアリー王女を庶子として名指しこそしていないものの、其れこそこの法律の意味するところは其れだ。これで、メアリー王女は「プリンセス」ではなく「レディ」と呼ばれることになる。
メアリー王女にとってこれは屈辱でしかない。侮辱だ。公式にはエリザベスが「正当な」王女だが、メアリーからしてみれば憎き妾の娘だ。自分の家中は取り上げられ、エリザベスの後塵を拝さねばならぬ生活。ただでさえ気分がすぐれないというのに、「私生児」に場所を譲らなければならないとは!メアリー王女には耐えがたい屈辱だ。斯くして、誰も知らないところで「ブラッディ」の種が、王女の胸にそっと植えられる────……。
そして、下々に対してはもっと過酷だった。継承法を支持する先生を拒めば終身禁固刑。けれども、国王が教会の首長であることを否定したという証拠が示された場合は、その者の頸に斬首の斧が振り下ろされる。
サー・トマス・モア、フィッシャー司教、尊敬と敬愛を集める指導者の頸も、ロンドン橋に晒された────……。
・薄れゆく愛
王は、妻が妊娠していようがいまいが、忠実であろうと思ったためしはない。
王の周りを飛び回る蝶───、まず、マーガレット(マッジ)・シェルトン嬢があげられる。彼女の母親は、サー・トマス・ブーリンの妹。つまり、アン王妃とは従姉妹同士の間柄にあたる。
酷く魅力的な娘だったようで、活発で男好き。つまりは、王の好みの女性だった。
そして、マッジ・シェルトンの次に現れたのが…彼女だ。
「ジェーン・シーモア」。スペイン大使の報告では「大層美しい乙女」と記されている。
王妃になり、アンの欠点、気の短さや口の悪さは収まるかと思いきや、相変わらずだった。伯父で宮廷の超有力者、ノーフォーク公に対しても遠慮なく侮辱の言葉を吐きかけ、ノーフォークも面と向かっては謂わないが「大娼婦」と吐き捨てるように呼ぶようになったと謂う。
離婚に関しても宗教的傾向に関しても利害が一致していたトマス・クロムウェルも「アン王妃被害者の会」の一人だ。彼が、スペイン大使シャピュイに語ったところによると「首を刎ねてやる!」と怒鳴られたという。
1535年夏ごろには、国王は新王妃に「飽き飽きして」しまい「あえて逆らわないようにしている」とヴェネツィア大使が報告している。
ただ、アンの方はアンの方で、男の子を産まなければならないと、そして、王の周りに綺麗な女性が見え隠れすると、どうしようもなく不安になり、気苦労の絶えない日々を送っていた。その不安が、彼女の心を尖らせ、暴言に走らせるという悪循環に陥らせていたのだろう。
だからこそ、「大層美しい乙女」、ジェーン・シーモアを彼女は一度は宮中から追い払っている。その時王は、酷く癇癪を起してアンを怒鳴りつけたという。
そんな、アン王妃の唯一にして最大の武器は王に男の跡取りを授ける力だった。
だからこそ。1534年に妊娠に失敗したのは王妃にとって強烈なダメージを与えたんだろう。
そして、1534年の秋から、1535年初頭にかけて、アンは今一度の妊娠に己の未来の希望を託す。
一方、キャサリン王妃はと謂うとハンティングトン近郊のキンボルトン城に居所を移していた。逢うことを許される人も制限され、娘のメアリー王女にも逢えなかった。
世間からも隔離され、政治的な利用価値もなくし祈りと信仰に身を置く日々は、むしろ尼僧のようだった。
そんな彼女の健康も徐々に蝕まれていく。
1535年秋の間中彼女の体調はずっと悪かった。クリスマスには衰弱していると伝えられた。
そして────、トマス・クロムウェルに齎された報せ。1535年末に、彼はこう伝えられる。
「王太子未亡人 危篤」
そして、アン王妃の腹には、新しい命が宿っていた────
・キャサリン王妃の遺言書
キャサリン王妃は、最期まで「神が与え給うた伴侶」ヘンリー八世を想っていた。
彼女が臨終に際して口述させた遺言を紹介したいと思う。
そして、この遺書の最後は、自ら手紙に署名している。
「イングランド王妃キャサリン」と。
彼女は最期まで、敬虔なキリスト教徒らしく宙に手を掲げて「魂を神の御許に委ねる」迄、イングランド王妃だった。
1536年1月7日 キャサリン・オブ・アラゴン 逝去
キャサリンは、キンボルトン城から40キロ離れたピーターバラ聖堂に葬られた。その葬列はヘンリー八世から禁じられていたにもかかわらず一般市民500人が彼女を弔うために列を組んだと伝えられている。
そして、その墓銘には、こう刻まれている。
「Katharine Queen of England (イングランド王妃 キャサリン)」
・度重なる流産。迫りくる凋落
キャサリン王妃の訃報を聞いた時、ヘンリーはそれほど嘆かなかったと伝えられている。それどころか喜びの色である黄色の服を着て、同じく黄色を纏ったアン王妃と踊り狂ったことになっている。
またもう一方の説では、王はキャサリン王妃の遺言を見て、静かに涙したと謂う。
少なくともアン王妃にとっては「目の上の瘤」、キャサリン王妃が居なくなったのだから当然、我が世の春が来るはずだった。
けれども、運命の暗い影が彼女に忍び寄る。
1月の終わり、アン王妃は流産してしまう。それも、「男児」を。
アン王妃の落胆は酷く、気が狂わんばかりであったと伝えられている。
思い当たるところがあった。
国王が最近、騎馬試合で落馬して2時間意識が戻らなかったのだ。その時のショックが酷くて子供が流れたのだ。それだけ貴方を愛しているのよ、未だ産めるわ。王妃が叫ぶ。
けれども、王はこう嘆いたという。
「神は我に男児を与え給わらないのか…」
記録では、病の床からようやく起き上がれるようになったアン王妃と国王の間にはこれまでにないような冷たく冷え切った…凍てつくような空気が横たわったという。
そして、国王がアン王妃に投げつけた言葉は、恐ろしいものだ。
「もはや息子は生まれまい。…そなたとの間には」
そして、王は独り善がりに嘆く。
昔、王が若く美しいアン王妃に夢中だった頃、恋の魔法をかけられたと浮かれていた。今は、まるで真逆の意味で魔法にかけられたと謂うのだ。
「アンに誘惑され、その妖術と魔力で2度目の結婚を無理矢理させられた」
と。つまり、最初の妻を捨てることになったのもアンが自分を魔法にかけたからで、自分は悪くないと謂うのだ。
…これには、キャサリン王妃も「…」と、なるかもしれない。
・新たな恋 ジェーン・シーモア
アン王妃との仲が冷めてきたことで、その存在感を否応なく強くしているのが、ジェーン・シーモアだ。
シーモア家は古く由緒正しい家柄で、堅実に宮廷と緊密な関係を抱いてきた家系だ。夭折した子供も含めれば、ジェーンは10人兄弟であり、5番目で、最初の女の子である。1509年頃の生まれだと伝わっている。
ジェーンは、小悪魔的で魅力たっぷりのアン王妃とは正反対に、淑やかで物静かで取り澄ましているといっても良いくらいだった。
国王がアン王妃とは正反対のその性質に魅力を感じていたのは間違いないだろう。貞淑で高雅なキャサリン王妃とは正反対の、小悪魔的で性的魅力たっぷりなアン王妃に乗り換えたように。
新たな魅力的な恋人が登場したことで、風向きが一気に変わる。
王は新たな恋人、妻を欲しておられる。
だから、トマス・クロムウェルが、「狭い通路などを使って気付かれずに王の部屋と行き来できる」私室を急遽明け渡して、サー・エドワード・シーモア(ジェーンの兄)夫妻がそこに移っている。
そして、おそらくそこに移った人物は、エドワード・シーモア夫妻だけではなかったろう。
国王第一の臣下が果たすべき重要な任務の一つは、国王が望むときに望む妻を調えることだ。
王は、新たな妻を欲しておられる。これが全てだ。
アン・ブーリンに、静かに、そして確実に凋落の足音が迫る。
アン王妃も「離婚」で修道院に追いやられるのだろうか?
否、彼女にはキンボルトンで眠るかの王妃よりも辛く過酷な運命が待ち構えていた。
・ロンドン塔へ
4月24日、王はクロムウェルが差し出したとある書類にサインする。
それは、大蔵大臣オードリーをはじめとした何人かの判事と貴族たち(王妃の伯父、ノーフォーク公と王妃の実父も含まれていた)に一連の事件の調査が任されることになった。
内容はまだ特定できないが…「反逆罪」に関することだった。
4月30日。その件の重要参考人として一人の楽師が密やかに逮捕された。
彼は貴族ではないから斟酌は無用。拷問を受けたに違いない。
そして、マーク・スミートンは罪を告白する。
次に、逮捕されたのはヘンリー・ノリス。アンの弟、ロッチフォード卿の友人だ。
「スミートンが暴露したぞ」と謂われても、彼は信じられないというように首を振る。しかしながら、彼も速やかにロンドン塔に送られた。
更に、ロッチフォード卿も逮捕される。
これは、王妃の庇護を受けたもの、王妃のお気に入りたちを戦慄させる。王妃の弟ですら、逮捕されるのならば、自分達も簡単にロンドン塔に送られるのではないか?
そして───…5月2日。
王妃その人が逮捕され、審問委員会の前に引き出される。
審問委員会の顔ぶれを見て、アンはさぞや驚いただろう。伯父のノーフォークがそこに居る。
アン王妃が告げられた(恐らくアンには全く身に覚えのない)罪状は、姦通、近親相姦(火炙りの刑が適用される)、そして、国王暗殺を謀ったことである。
アン王妃は直ちに拘束され、グリニッジ宮殿から舟でロンドン塔へと移送された。
なんという運命の変わりようだろう!3年前の同じ5月、ロンドンにやってきたのは頭上に王冠を授けられるためだったのに。吟遊詩人が声を限りに己を讃えていたのに。
ロンドンに向かう道は、明るく煌めいていたのに今は如何だ。
ぽっかりと口を開けているのは全き闇ではないか。
ロンドン塔に着いた時、アン王妃が今にも意識を失わんばかりだったとしても無理はない。
ロンドン塔───……、そこに着くなり、アン王妃は悲鳴を上げたという。
──この前来た時には盛大な歓迎を受けたのに…!
アン王妃は啜り泣き、そして糸が切れたように笑いだしたという。
王妃は門を通り抜けることはできたがそこで、力尽きてしまう。膝をつき、付き添いの貴族たちの前で「お咎めのようなことはしておりません───…!」と神に助けを求めた。
そして、今度は貴族たちを見ると泣き濡れた目で皓哀願する。
どうか…王様が「自分に寛大でありますように」お頼みくださいませ─────……。
その、「王様」は、魔女で売女で夫殺しの妻のことは、最早他の者に任せて、間もなく新しい妻になるジェーン・シーモアとの優しい未来を夢見ていた─────……。
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