キャサリンを巡る攻防
・若き王太子の死
王太子逝去の知らせがグリニッジの宮廷に齎されたのは翌日、王太子逝去の翌日、4月3日遅くの事だった。評議会は国王の気持ちに配慮して、ヘンリーの聴罪師であるフランシスコ会原子会則派の僧を近辺の修道院から呼んできて王に話してもらうことにした。
そして、一番辛い任務、即ち、母であるエリザベス王妃に告げる任務は国王自ら告げることにした。
突然の知らせに王妃は蒼白になるも、泣き崩れるのではなく、毅然としてテューダー王朝の行く末を心配する王に向き直ってこう進言した。
「皇太后には、子供と謂えば陛下しかおられません。でも、神のご加護があって今日までご健勝で来られたのです」
わたくしたちには、未だ弟のヨーク公ヘンリーがいる。まもなく兄の跡を継いで王太子の役目につくだろう。娘も二人、スコットランド王と婚約しているマーガレットと妹のメアリーがいる。
それに、と、王妃は繋げた。一族がこれで終わりと謂うわけではない。
「わたくしたちはまだ若いのです」
エリザベス36歳、ヘンリー七世45歳。
早逝はしたが三男エドマンドをほんの三年前に産んでいる。「まだ産めます」
事実、アーサーの死から一か月後、エリザベスは身ごもり、そして出産する。翌年二月の事だ。
でも、この時点で彼女は知らぬ。生まれるのは女児で、その子はすぐに亡くなり、エリザベスもすぐにその後を追うことを───。難産で、産後の肥立ちが良くなかったのだ。
・王太子未亡人キャサリンの去就
夫を亡くしたキャサリンの去就は今や国家の一大事だった。
ほんの半年前、きらびやかな花嫁衣装に身を包んだ姫君は、今は喪服に身を包んでいる。若き未亡人に遣わされた気遣いは、エリザベス・オブ・ヨークが喪に服すにふさわしい黒のヴェルベットの輿を差し向けたりしているだけ。垂れ幕も房飾りも黒。王妃御用達の仕立て屋が作ったものだ。
王妃からの配慮は「旅行できるくらいに元気になったら、これに乗ってロンドンに来てください」というもの。
それ以外は配慮らしい配慮はなかった。スペイン人たちは王女のためと称し、言葉もほとんどわからない異国の地で彼女をますます外界から切り離そうとしている。義父ヘンリー七世も、頭にあるのは王女の将来に関する現実的な問題と、持参金の事ばかり。
手っ取り早い解決策としては、フェルナンド二世曰く「現在の王太子」即ちヘンリーとキャサリンを結婚…少なくとも再婚させることが考えられた。
この危うい同盟を安定化させるにはそれが一番のように思われた。
次に生々しいが、金の事。フェルナンドは、持参金の残り半額をまだ支払い終えていなかった。
スペイン側の理屈としては、最初(アーサー)との結婚で支払った分はそのままヘンリーとの結婚にスライドさせる。イングランドとの同盟はそのまま継続させる。このように契約を改定することはイングランド川としてもさほど悪いこととは思われぬ。
イングランドとしては、この契約改定に於いて二歩ほどスペインの上手を謂っているという自負がある。
何より、花嫁──キャサリンの身柄はイングランドに在り、ヘンリー王子は1502年6月末で漸う12歳。とりあえず婚約するには格好の年齢でもあるし、結婚承諾年齢になってからでも婚約は御破算に出来る。
ヘンリー七世「貰った持参金は返さないからな!!」
結局は金である。理屈ではこうすっきりすることが出来ても、今度の婚姻協定に関して適正な持参金は幾らなのか。この点ではすっかり険悪になった。
フェルナンド王には確認しなければいけないことがまだあった。娘の健康状態などは如何でもよくて、「床入りの有無」だ。
アーサーとキャサリンが完全に結婚していれば、王太子未亡人は支払った持参金の返却と、約定通りウェールズ、コーンウォール、チェスターの収入の1/3を貰うこともある。
ただ、キャサリン付きの女官長、ヘンリー七世に食って掛かったドンナ・エリビラは二人が完全に結婚したという事実を否定している。
フェルナンド王は天を仰いで嘆く。
「神がアーサーを召されたのはあまりに早すぎた!娘は、此処にいたときのまま(乙女のまま)である!!」
そして、花嫁候補と花婿候補そっちのけで、父親同士の腹の探り合いが始まる…。
・フェルナンド王VSヘンリー王
経済的に逼迫したフェルナンド王と強欲ヘンリーの、戦いである。
ヘンリー王子とキャサリン王女の婚約の取り決めが為されたのが1503年6月23日の事だ
教会法によるとこの二人の場合「血族結婚」になるので、特例としてローマ教皇の特免状が必要になるのだ。
日本の親等の考え方とは若干異なるので補足だけ。
夫婦生活のなかった結婚は別の書状が必要になってくる。
床入りがなくても、最初の婚礼は公衆の面前で行われた。(アーサーとキャサリンの結婚はこれにあたるだろう)この事実が認められて初めて、次の結婚が合法であると判断されるのだ。
めんどくせーなー…、と思われるだろうが、この目的は、生まれてくる子供の為だ。婚姻を法にかなった社会的関係に位置付け、生まれた子を嫡出子として位置付けるためのお墨付きを得るためなんである。
スペイン王がローマにキャサリンとヘンリーの再婚許可を願い出たとき、スペインから希望して書いてもらった特免状の文面には「おそらく(forsitan//ラテン語)」床入りを含んでいたということが言及されていた。キャサリンの運命を知る後世の人間ならばわかる大きな爆弾だ。
このときは、フェルナンド王は床入りがなかったものと確信していたし、ドンナ・エルビラも、等のキャサリン本人も激しく否定していたが、スペイン側の戦略である
つまり
「イングランドでは誰もが王女がまだ処女だと知っている。だが、イングランド人はへそ曲がりだからここは床入りがあったように言っておいたほうがよろしかろう。教皇の特免状が婚姻協定の寡婦年金と矛盾しないようにしなければ」
「キャサリンとヘンリーの間に生まれた子に王位継承権が認められるためには、この協定が誰の目にも合法的なものであることが必要だ」
つまり、キャサリンの持参金について特になるようにとの算段だ。
特免状を貰って兄の寡婦と結婚することは異例ではあるが全くないことでもない。「おそらく」という言葉の爆弾も、この二人の初夜の経緯もしらみつぶしに検証されるのはまだ20年以上も先の事。
この婚約も亦、王室間のパワーゲームの一つであり、花嫁も花婿も、チェスの駒の一つに過ぎないのだ。
さて、キャサリンの身の上をさらにややこしくしたのは、姑のエリザベス・オブ・ヨークが1503年2月に崩御してしまったことだ。
この優しい姑が生きていたなら、キャサリンのこの後の辛い人生は随分違っていたと思われる。
エリザベスの崩御が何を意味するか。王室間の「婚姻」というパワーゲームの駒に、ほかならぬヘンリー七世が躍り出ることを意味する。事実、スペインには「王は、アーサーの未亡人になったキャサリンと再婚を目論んでるんみたい」だ。
公式にカトリック両王は強い遺憾の意を表明する。
「前代未聞、聞くも憚られることだ」と。抑々、娘とヘンリー王子の縁談交渉を続けて来たし、ヘンリー王とキャサリンはどう見ても第一親等の間柄じゃあないか!
そしてもう一つ、これはスペイン側の要因として、ヘンリー国王が再婚しようが、キャサリンとの間に子供が生まれようが、ヘンリー王子が王位継承権者であるという厳然たる事実は変えようもないのだ。ヘンリー王子は不幸でもない限りは、ヘンリー王より長生きするであろうから、キャサリンは結局国王の寡婦どまり。王太后にも摂政にもなれないのだ。
「そんなことは口にするのもたまらないことである」
1504年、もう一人の王妃にして母親が崩御する。キャサリンの生母、イサベル一世崩御。
フェルナンド一世も亦、王室の婚姻というチェスゲームに躍り出る。フェルナンドは再婚して早々にアラゴン国の跡取りを作らなければならないしね…!
と、謂うわけで、フランス王の姪 ジェルメーヌ・ド・フォワ(18歳!)と、早々に結婚する。
そんな中、ヘンリー七世はハプスブルク皇室と縁組を画策しているという噂が流れる。それによると、メアリー王女の婚約者はハプスブルク、カスティーリャ両方の跡取り息子カール。ヘンリー王ご自身はカールの叔母で再び未亡人となったマルガレーテ、皇太子ヘンリーはカールの姉、オーストリア公女エレオノーレと結婚するだろう。
そして、ヘンリー王は息子をキャサリンとの婚約から解放しようとする。1505年6月27日 ヘンリー王太子、王太子未亡人にしてスペイン王女キャサリンとの婚約の破棄を正式の表明────……
この仕打ち以前から、キャサリンの置かれた状況は日増しに悪くなるばかりだった。
ヘンリー王はヘンリー王で 持参金マダァ?(・Д・)っ/凵 ⌒☆チン チン の、繰返し。
そして、その要求とともに「最低限の生活費以外はやれない」と慇懃ではあるが断固とした調子で謂いきるのだ。さすがドケチ。
父親は父親でスペインで自分の事ばかりにかまけて娘に応分の金を送ってよこすことさえも忘れ、召使のことなど考えもしなかった。
結果、贅沢はダメ、余分なものもダメよ、ということになった。
1504年春にはパンを買う金もなくなった、とキャサリンは述べている。
キャサリンの不安は募るばかり。現在の不自由な暮らしばかりでなく、結婚が御破算になるかもしれない恐怖。1506年4月にキャサリンが父親に語ったところによると、彼女はヘンリー王に涙ながらに縋って食べ物を買う金を貰おうとしたが駄目だった。
此処までキャサリンをいじめておきながら、ヘンリー王子に婚約を破棄させておきながら、ヘンリー王はわざと態度を曖昧にしている・
ヘンリー王子は、父親の入れ知恵で、キャサリンが父親に泣き言を書いていたのと同じころにキャサリンの義兄フィリップ王に向かって「我が愛しき最愛の伴侶、我が妻なる姫」とキャサリンを呼んでいるのだ。
生活費にすら不自由するキャサリンは、宮廷と王の宮殿を行き来するほかなく、その際にヘンリー王子と幾度も顔を合わせている。少年から青年へと成長していく見目麗しい王子に、だ。
が、ヘンリー王は二人を引き離す。
キャサリンは、父に訴える。「夫の王太子に逢えぬ日々が続いています。もう4か月も!二人は同じ宮殿に居るのに……」
ヘンリー王子は1507年に16歳になった。どんどん大人びてきている美少年だ。キャサリンには皆同情を寄せている。ロマンティックな心の持ち主ならなおさら……。
そのキャサリン。ヘンリー七世に、あのヘンリー七世によくぞ言ったものだ!
「ヘンリー王子とわたくしの結婚は『もう確定していること』とわたくしは考えています」と。
そう、キャサリンに謂わせたのは、使命感、王女として受けた教育、王女としての矜持もあるが、彼女も年頃の乙女だ。
花婿候補が「大変見栄えの良い」「世界中でこれほどの美青年は、王太子のほか居られますまい」と評されるほどの相手だった、ということも無関係ではないだろう。
1509年春
キャサリンの精神力もついに尽きてしまう。
「もう、ヘンリー七世のいびりには耐えられません。スペインに戻りたい。そして余生を神のしもべとして過ごしたいのです……」
弱っていた王女に、ヘンリー七世はこう言放つのだ。
「お前たちを養う義理は何もない。情けで養ってやっているにすぎないのだ」と。
そして、キャサリンがスペインに帰る準備をしている矢先─────…
1509年4月22日…
国王ヘンリー七世 急病で崩御。
アーサー王太子が亡くなってから7年が経っていた。
国王崩御、国王万歳
・うつくしい花婿
ヘンリー七世が亡くなってから6週間後、1509年6月11日、新王ヘンリー八世とキャサリン・オブ・アラゴンの結婚式がグリニッジ宮の城壁すぐ外にあるフランシスコ派修道院の小礼拝堂で執り行われた。
花婿は18歳、花嫁は23歳だ。
初夜の話になると、ヘンリー王はさも嬉しそうに「妻は処女だった」と広言したものだ。…後年「あれは冗談だった」って訂正するんだけどな……。
事実、兄とキャサリンの関係に少しでも疑惑がある以上、決着をつけておきたいと謂うのが働いたに違いない。実際、決着はついて居たつもりだった。この時点では。
ヘンリー八世はヘンリー七世崩御後、間もなくキャサリンと結婚している。ヘンリー七世生前は前途多難そうだったのに何故。
ハプスブルク家の総代、マルガレーテにヘンリー八世が送った書簡によると「父王が死ぬ間際にヘンリーに結婚を完遂するように頼んだので、その意思を尊重した」と謂う。
実際、ヘンリーは父王の臨終に立ち会ったから、その説明もあながち間違いではなさそうだが、ヘンリー七世はキャサリンをあれだけ苛め抜き、生前は結婚させなかった。これは、マルガレーテの姪、エレオノーレとは結婚しないという事実を誤魔化しているだけだと考えられそうだ。
実際は、スペインとの縁戚関係よりも何よりも、ヘンリー八世自身の意思だった。
キャサリンは、こうも語っていた。
「婚礼はすぐにでも行われるはずなのです。ヘンリー七世が亡くなりさえすれば」
つまり、自分とヘンリー王子の結婚を阻むのは、ヘンリー七世だけという確信があったのだ。
幼い頃より、「愛しき最愛の伴侶」と教わってきた少女の不幸に心動かされてきた。兄の伴侶としてスペインからやって来て、兄の死とともに自らの伴侶となる美しい少女に心動かされたとしても不思議はない。少女は優しく「我が夫である殿下」に敬愛を捧げてくれる。
ヘンリー王子がキャサリンのとの語らいの中で、彼女と(国の外交ゲームである婚姻とは別に)将来を誓ったということだってない話ではない。
結果、ヘンリーは漸くキャサリンの手を取ることが出来た。
ヘンリー八世はロマンティストなのだ。そのロマンティストは、州都のフェルナンドにこう書き送る。
「もし自分がまだ自由な独身であったとしても、迷わずキャサリンを選ぶでしょう」
若く美しい国王と王妃は、まるでおとぎ話のようだった。
ヘンリー八世は間違いなく、当時の王侯の中で一番の美貌を誇っていた。
これ
を、忘れて、国王になりたての、若かりし頃のヘンリーの美しさを湛える言葉を紹介しよう。
顎髭は「金色に光り」肌のきめ細やかさ、色の白さは女性顔負け。
「世にも楽しき光景は」と、かの時代の人は言う。
「王がテニスをしているところだ。色白の肌が上気していくのが薄いシャツを通して透けて見える」
微妙にえr…って思うのは筆者だけか。
照り映える金髪、青い目、白い膚、188センチの長身、広い肩、筋肉質で長い脚。跳躍、ダンス、乗馬、狩り、レスリング、槍、馬上試合に仮面舞踏会と、じっとしているのが嫌いで、手紙すら苦手だった王は忙しく飛び回る。
それでも、脳筋と謂うわけではなく、読書を趣味にし、神学論争に夢中になり、音楽も大好き、歌や楽器もこなす。たいていの武器を弾きこなし、初見で歌を歌い作曲もした。更に、ラテン語、スペイン語、フランス語も理解して、多くの本に注釈をつけ、更に著作も行った、イングランド王室史上最高のインテリでもあった。
なんというマルチっぷり……!!
小説やゲームだったらチートすぎて即却下されるか悪役側でしか出て来られないタイプ…!!
キャサリンも苦難の中容姿は衰えていなかった。
美しい髪、膚の色は損なわれておらず、たっぷりとした金茶色の髪は背中を覆う。薔薇色の肌は今でも見る人をうっとりさせる。
夫のような派手な美しさはなくても、楚々とした美しさを保っていた。
しかし、苦難は魂に刻まれ、心は鋼のように強くなった。
アーサー王子に出会った時のようなおどおどした少女はもうどこにもいない。
どんな苦しみにも、彼女の心は屈しない。但し、苦難は彼女の心に、柔らかく撓ることも忘れさせた────。