生きててよかった
社会人一年目。
表向きが馴染みやすく明るいキャラに対して、新しい環境に馴染むのが不得意で、毎日帰宅して靴を履いたまま玄関で数時間眠ってた。
仕事も家事も上手くいかなくて、毎日床に置いてある「今日も畳めなかった、紫のワンピース」を眺めながら、明日はもう少しいい日になればと願っていた。
新しい環境、新しい生活、慣れるだけで命を削ってしまう、それが私だった。
そんな私に母がしてくれることは「毎日必ず電話する」という掟だった。
その毎日の電話が、愚痴を聞いて、相談に乗ってくれる、そんな内容なら毎日したくなるだろう。
毎日の電話が、たわいもない話で、癒される内容だったら、毎日したくなっただろう。
母の電話は、毎日、毎日、毎日、毎日、ずっと愚痴と否定だった。
私が実家を出ることで母がどれだけ負担を被っているか。
私を育てるために母がどれだけ身を粉にしてきたか。
母が家族をどれだけ1人で支えているか。
私がどれだけ親不孝な人間なのか。
私がどれだけ母から恵を受けたのに、恩を仇で返しているか。
毎日、毎日、毎日、毎日、毎日、電話が来る度
骨がきしんだ。心臓が潰れた。
耐えて、耐えて、ある日母に激高された。
「お前は毎日、私の電話をだるそうに聞いている。ここ数日は毎日ではなく、隔日になる時もある。お前は私たち家族をなんだと思ってる。」
だるそうに聞いている理由は、考えないんだな。
私は電話をするかしないか、それすら決める権利がないのか。
母さんの誕生日に、母さんへ母の日に、帰省する時は手土産を……その程度では恩返しが足りないのか。
あと何年、私が私を殺していけば、母は私を許してくれるのだろう。
私は母に心を殺されるほど、何かとてつもなく大きな罪を犯したのだろうか。
あと何年経てば?あとどのくらい頑張れば?
私は私でいいんだって、この世界に、母に、自分に、認められる日が来るのだろう。
社会人になるまで耐えて耐えて、ようやく呪いから解放されたと思ったけど、実家を出ても支配下であることに絶望しかなかった。
このままだと、殺されると思った。
包丁で刺したり、首を絞めたり、そんなこと以外で人を殺すことが、殺されることが、本当にあると。
感情を殺していた実家から出て、取り戻した感情が皮肉にもそう強く感じていた。
止まらない嗚咽を抑えながら、泣きながら携帯で検索した。
Safariの検索ワードは、「電話 相談 無料 助けて」。
回ってない頭で、生存本能が助けようとしてくれた。
どこの県か分からない東北の方で、東北の方限定で悩み相談室という電話番号が書かれていた。
考える前に電話していた。繋がった。
恐る恐る口火を切る。
「私、東北ではないんですけど、どうしても助けてほしくて、話を聞いて欲しくて。」
あの時優しく話を長く聞いてくれて、ただただ肯定してくれる、電話口の人がいなかったら、私は確実に殺されていたと今でも思う。
あの頃の私も、あの頃の私のような人も、
弱いんじゃない。