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『したい』が『するべき』に変わってしまったことに気づいてますか?

私がいつもひっかかっているのは、息苦しさを感じる原因は、これだと気づいた。いてもたってもいられなくて、これは書き残さないとダメだ、とnoteを開いた次第だ。

私は他人よりめちゃくちゃ何かをしたくてたまらない時と、めちゃくちゃ何もしたくない時の差が激しいのでは、と感じていた。したい時は、あれもこれもとやりたくて楽しくて、やることなすこと全てがキラキラして見える。

でも一度不安を覚えて、あれもしないとだし、これもやってないし、もう無理なのではないかと思うとやる気をなくしてしまって本当になにもやりたくない、出来なくなる。
ということを繰り返していた。


そしてしまいにはなんでこんなにできないんだろう、やる気が足りないのか。すぐできなくなる自分には何か欠陥があるんじゃないのか。自分がやりたくてやってたはずなのに、いつの間にかもう何もかもがめんどくさくなっていて投げ出してしまう。こんな自分何も出来ない。

と、自分を責め始める。自分を責めていいことなんかひとっつもないのにも関わらず。

笑えることに、その自分を責めた事さえも責めたくなるんだよね。責めていいことなんか無いのになんで責めたんだ!あほ!って(笑)もう無限ループ。

何回も繰り返すもんだから、もうやる気のあるなにかを『やりたい』モードになっても、どうせまた落ち込んで何にもできなくなるのかな、って怖かった。どうにかしたいと切実におもった。

前置きが長いね。と、いうわけで今日気づいてちょっと書いたものを見てほしい。ちょっと汚いのはご愛嬌、ごめんね。

まあ、こんだけなんです。私は自分の『したい』と思ったことを、不安や恐れなどの自分自身の思考によってあれもこれも『するべき』だ!と自分を段々と縛り付けていってた。そうすると、どんどん負のループに入っていくだけ。なにをしても足りない気がする。自分の『したい』から始まった『するべき』。この2つの区別がつかなくて、私の『したい』に自信が持てなくなって、私自身にも自信が無くなっていく。そんなことを何度も、何度も繰り返した。

これに気づけたらほぼ解決したようなものだと思う。自分は今自分が『したい』と思ったことから行動しているのか、『したい』をいつの間にか『するべき』にねじ曲げて自分を縛ってはいないか、常に自分に問うていきたい。

これからは、『したい』ことを全力ですることが出来る。行動の推進力になるのは、恐怖や不安からくる『するべき』思考ではなく自分の幸せフィルタを通した『したい』思考だと確信している。

したいことと、するべきこと。どちらがしていて楽しいかは明白だ。そして楽しいことと楽しくないこと、どちらが身につきやすいか、これもまた明白な事だ。
もちろん生きていく上で最低限するべきことというのはあると思うが、それ以外のこと、折角の人生したいことをしよう。

自分がしたかったことを、自分でねじ曲げない。
その瞬間を楽しむことを忘れない。

思うままに書きなぐったので至らないところもあると思うが、このnoteが私と同じようなひとの助けに少しでもなれば嬉しい。書いてて楽しかった。

このnoteも、『したい』から始まった。自分の『したい』に、敏感に。鮮度を大切に、楽しむ姿勢で生きて行きたい。

読んで下さってありがとうございます(*^^*)

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