「みんな巨匠」と言われて思ったこと JAMログ#1
No Borders さん主催の「自分の中にARTを持て!」というワークショップに参加しています。2022年3月から3ヶ月間、全6回。せっかくなのでnote に記録していこうと思います。
ちなみに、私にアートの素養はありません。美術の授業もそんなに好きではありませんでした。絵を描くのが好きなタイプでもないです。でもアート思考は気になっていたし、ブルーピリオドをちょうど観ていたし、なんかピンときたので勢いで飛び込みました。
ちなみに、アート思考についてはこちらの本から入門しました。アートに詳しい方からすると賛否両論あるようなのですが、私は前述の通り何も素養がないので特に引っかかりなく読めました。
授業みたいな構成で読みやすいので、気になる方はぜひ。
カラー写真がたくさん掲載されているので、電子書籍よりも紙の本がおすすめです!
心に残ったグランドルール
ワークショップの冒頭、3ヶ月間のグランドルールが発表されました。その中で一番心に残ったのが「みんな巨匠」です。(正確な文言をメモしわすれたので実際はちょっと違うんですが、意味は多分同じはず…)
この言葉をすーーっと受け取れた感覚がありました。なんの違和感もなく。いやいや私巨匠じゃないし、とも思わず。
自分にとっての巨匠でいること
巨匠って、主に芸術のなんらかの領域で素晴らしかった人のことですが、私も巨匠になれる領域があるなと思ったんです。それは、自分の内側に湧いていることの表現。これを私よりも正確に捉えることができる人はこの世にいない。
私以外の人が私について表現してくれたことは、すべて想像か推測か仮説です。でも私だけは実物を感じることができ、私だけが直接それを表現できるんだな思いました。だからなりたければ巨匠になれるんです。この領域で。というよりも、私以外の人は巨匠になりようがない。私にとっての巨匠はきっと私しかいないんです。
だから、自分の内側を知って欲しかったら、自分が考えていることが現実になれば良いなと思ったら、言葉にし、行動にし、だれかに認知される形に表現していく。
自分以上に表現できる人はいないのだから、誰かに代弁してもらうのではなく自分でやる。言葉や形を与えてアウトプットし、現実との接点を作っていく。そうしたら、自分が思っている何かに近づけるんだと思います。
自分を表現することと評価されることを切り分ける
そんな風に何かアウトプットしようとしたとき、きっと気になるのが周りからのリアクションです。
重要なのは、どのような評価を受けても「自分のある時点の内側を表現した」という意味では世界で唯一の大正解を叩き出していることだと思います。周りからの評価がどうであれ、自分の内側にあるものはそのままで良い。変化したければ変化しても良い。人に迷惑をかけたり悲しい思いをさせたりしなければそれでいいんだと思っています。
もっと言えば、評価に合わせ始めた瞬間巨匠がいなくなって、少しずつ自分を見失う気がします。巨匠でいるためには、評価される作品ではなく、出したい作品を考え続けることなのかな。
今まで、「良い人」「ちゃんとした人」でいなきゃと思って私の巨匠が不在の時もあったなとか、「言わなくてもこれくらいわかってほしいんだけど」って思ってサボっていたこともあったなと思いながら、いつも心に巨匠を住まわせたいなと考えた第一回JAMでした。
最後まで読んでいただきありがとうございました。