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放射性降下物集積地方
手をつないで少年と少女が土手を歩いている。防塵マスクで顔を覆っているがすでにボロボロで役目を果たしていない。スニーカーもリュックサックもボロボロだった。ガス汚染のニュースは昔に聞いたが検討する余裕はなかった。留まって殺されるよりガスで死ぬほうが良かった。
男の子が川を――川にあるものを――見ると顔をこすった。涙が出た。少女も川を見たが、彼女は一瞥しただけで男の子の顔を強引に逸した。なおも川を見たがる男の子の背中を突き飛ばすと、少女は無理して歩く。
しばらくして後ろを振り返った。追ってくる気配はない。土手を町側に降りる道があり、崩れたバス停があった。地名は読めないがベンチはそのまま残っていた。少女と少年は我先にと争ってベンチに走り、二人して同時に腰を下ろした。その瞬間にベンチだったものがバキバキ音を立てて壊れ、二人は尻もちをついた。すぐ横に尖った破片や折れた部品が突き出て錆が浮いていたが、男の子と女の子は大笑いした。もう一度男の子が座るフリをすると、女の子は下痢の前駆症状みたいに腹を抱えて笑った。顔を真っ赤にして、二人は色の違うガラスをこすった声を立て続けた。
夜になる前に建物に入ることができた。二人で入るにはちょうどいい廃墟だった。外にはホテルとか休憩とか書かれていたのでおあつらえ向きだ。逃げやすいように入り口近くの部屋に入り、壊れていないソファに腰掛ける。残り物の水ボトルを見つけると少年は少女に飲ませ、彼は魚の缶詰を暗闇から隠すように食べた。置いたカンテラが二人に強い逆光を浴びせていた。
水ボトルの下に残っていた写真を二人で見た。常夏。青い海にボードを持って歩き回る人々。それから壊れていない車。目を引いたのは太陽だった。二人は太陽を見たことがない。海の近くを歩いたことはあるが太陽を見る機会はなかった。太陽の大きさや威力について二人は議論を交わした。思ったよりも大声が出たが近くで生物の気配はなかった。やがて疲れた女の子が何か言うと顔を覆う。残響のような嗚咽が場を満たした。少年は呆然としたが、少ししておずおずと女の子に腕を回した。女の子はゆっくりともたれかかって二人は抱擁しあった。寒々しかった。
少年が少女の耳に口を近づけて何か口にすると、笑みを浮かべた少女は彼の頬に自分の頬を擦りつけた。マスク越しのくぐもった声が二人を繋いでいた。それから少女は指を絡め、垢だらけの掌を重ねあわせた。少年は顔を赤くしたが、自分から鼻と鼻をくっつけあった。皮膚が触れ合うと少年は霊感を得た顔つきになったが黙っていた。
フゥフゥと熱い息が静かに木霊した。少女の髪を撫でると透明な瞳で彼女が応えた。彼は天井に空いた穴から雲を見つめ、もう見えない星々の名残を眺めた。廃墟の暗闇で二人きりだった。誰も追ってこない。背中を撫でていた少年が知っている子守唄を歌うと、少女は静かに目を閉じた。リズムも音程も何もなくみすぼらしい歌だったが。暗黒で彼は歌いながら少女の心臓を感じていた。しばらくして少女の寝息が聞こえ始めたが、彼は暗闇に目を凝らし、彼女を抱きしめたまま暫く起きていたのであった。
《終わり》
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