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ゴブリン・イン・ザ・ダーク(『グランブルーファンタジー』二次創作小説)、後編

(文字数:16,783文字 読了目安:34分)

前編

1


 一番早く顔を上げたのはハシスだった。くっついてゴロゴロしていた彼女が天井の岩石を均した岩に眼を向けた途端、洞窟全体が揺れ始めた。ミニゴブが遅れて気づいた時には石の欠片がミニゴブの頭に落ちてきていた。


 正確にいえば大岩の名残だった。ミニゴブは名残が落ちてくる際、自分たちの真上に魔力で編まれた網があることに気づいた。ミニゴブはフィーナとともにあやとりをするが、フィーナが格子を作っては牢屋に入ったルシウスを作るのでよく笑っていた。それに似ている。ネットのように張られた、魔力で編まれた格子は落石を防ぐ。岩の大きさを自動的に検知すると落下エネルギーを吸収して跳ね返し、砂粒だけを下へ落とす。


「ブロック! ティラノス! フロントに!」
 エンペラが揺れている椅子から立ち上がると背後に向かって命じた。椅子に座っていたブロック――洞窟の入り口をギリギリ通れるの巨大さだ――が立ち上がり、洞窟の奥にある部屋からは大きな2本足の魔獣――さながら四足歩行から進化したベヒーモスだ――ティラノスがやってきた。ルシウスがいっていた【立ち犬】だ。ティラノスの背中は大盾でカバーされ、腕や足、頭は戦闘用のフェイスヘルムが装着されていた。腕にはガントレットめいた漆黒の武具が取り付けられ、人間の兵士を真似した恐竜のようだった。ティラノスが吠えながら突進し、後続を盾兵が続く。奥側は単なる寝室と思っていたミニゴブはぽかんとしながら見送った。


「ミニゴブちゃん、こっち」
 ハシスがミニゴブを抱き寄せ、呪文を詠唱する。周囲に緑色の膜ができあがった。ドームのように彼女たちを覆った膜からは緑色の槍が突き出す。ハシスは目を閉じて何かを指すように天井と洞窟入り口、それから後方――いまティラノスが出てきた場所――を指した。


「――敵影7、8……エンペラ姉さん! 上から、」
 彼女が叫ぶと天井の軋みが激しくなった。地面の揺れは相当で立っていることが困難になる。ドームが二重になる。ルシウスが武具を掴んだ。


 遠くから何かを爆破する音が聞こえていた。揺れに乗じてやってくる破壊音は真上から、真横からしていてものすごくうるさかった。やがて唐突に止んだ。一呼吸分置いてから天井が内側に爆発し、崩落した岩石の大部分が絨毯にからめとられた。衝撃エネルギーを次々吸収する絨毯に続いて落ちてきたのは――オーガゴブリン。両腕には半ば自分よりも巨大なドリルがあったが、さながら邪悪な発明品のように腕そのものとドリルが一体化していた。肩の付け根から異様な音がする。オーガゴブリンの背後から次々と着陸するのはソルジャーゴブリンの群れ。彼らは絨毯に弾かれながら、濁った眼で真下を睨んでいた。天井に空いた穴からはわずかに青空が見えた。


「行け――――ッ!」
 ハシスが叫ぶと緑のドームから矢が飛び始める。数は15。緑の矢は絨毯をすり抜けるとオーガゴブリンの顎を真下から打ち抜いた。さながら釘打ち機で打たれたようにオーガゴブリンが吹っ飛ぶ。逃げ遅れたゴブリンが2匹、足を貫かれて絨毯に転ぶ。ひととき遅れて絨毯に赤い魔力が満ちると、倒れたゴブリンが油でもかけられたように炎に包まれた。


「一番槍ィ!」
 頂点に空いた穴から降下してきたメイジゴブリンは槍のように杖を構え、絨毯に突き立てた。水属性の魔力が絨毯に流れて拮抗し、絨毯が不穏な点滅をする。メイジゴブリンがもう一度絨毯に杖を突き立てようとした途端、メイジの首に苦無が突き刺さった。ルシウスの投擲。首を押さえるメイジの杖を奪ったソルジャーが代わりに杖を突き立てるが効果はない。悪態をついたソルジャーは死にかけのメイジを踏みつけて足場にした。メイジが燃える顔で叫ぶ。


 揺れの中を無理やり走り込んできたエンペラがドームに入る。全員が無事なことを確認すると自身も詠唱をする。どうやら絨毯を再構築する積りで、すぐにエンペラから放たれた魔力光が天井の絨毯へと飛んでいく。入り口では破壊音と打撃音。いまのところティラノスと盾兵が役割を果たしているのだろう。だけどさっきハシスは後ろも指していて――


 奥の詰め所が爆発した。あそこの通路は寝室やティラノスたちの待機場所につながっているとミニゴブは聞かされた。だけど入り口ではなくどうしてそこが爆発するのか。ドームへ瓦礫が降り注ぐが彼女たちを包むシェルターに溶けた。緑の槍が向きを変えて詰め所へと方向を定め、放たれる。


 詰め所だったところから走り出てきたのはゴブリンめいた生き物だったが最初から頭部がなかった。手足はついているが頭の部分に木箱が据えられていた。緑の槍が生物の手足をかすると転び、そして炸裂した。


 まるで砲弾が間近で爆発したような衝撃に体が震えた。目を凝らすとルシウスは倒したテーブルを盾にして爆発を避けている。ミニゴブリンを向いて頷くと苦無を抜いた。向ける先はあの生き物たち。


 そうではない。あれは生き物ではない。もうゴブリンでもない。手足がついた自走爆弾だ。

2


 ルシウスは苦無を放った。足と腹に当たる。2体。各自が倒れて爆発する。テーブルに突き刺さった何らかの破片から見るに、あちこちに金属片が仕込まれている。それにもましてルシウスは顔をしかめた。痛みというより嫌悪感のほうが勝っていた。


 敵は見るからに男ゴブリンの群れだ。ここの女ゴブリンを力づくでさらいに来たか。それにしてもゴブリンのくせにこんなくそ爆弾を作った知恵にヘドが出る。つい先日まで行き倒れの武装をはぎとるような生活をしていた奴原どもが、どうしてこんなことを考えついたのかは不明だが。


 しばらく待ったが自走爆弾の次ウェーブは来ない。ルシウスは天井を警戒しながら足を進める。絨毯上に残ったゴブリンは六。焼け死んだ仲間の死骸を足場にしているか、壁にとりついている。爆発で広くなった詰め所に近づくと、中で動く気配がした。おそらくは先程と同じオーガゴブリン。詰め所に入った直後、真横の死角からオーガが襲ってきた。眼で見ないで剣先を切り下げ、足を深く斬る。足を半ばで切断されたゴブリンはバランスを崩し、床にドリルをこすりつけた。首を切り落とすとその首を詰め所へとつながっている道へ――ついさきほど、山の向こう側から掘ってきた道だろう――蹴り込んだ。


 蹴り込んだ先からソルジャーゴブリンが群れで襲いくる。


 一番手の首を呼吸なしではねると、続く剣先で2番目の胸を刺す。その後ろから襲いかかる一体をかわすと腹を蹴る。剣を抜きしなに肩口へ切り下ろし、切断。脇の一体の顔面には苦無をお見舞いする。一呼吸置いたところで暗闇から矢が飛んできた。一発が脇腹をかすめる。うめきたくなったがこらえて、苦無を音のほうへ投げ込む。悲鳴がして動きが消えた。呼吸を整える間に声が聞こえてくる。


「お見事お見事。先遣隊は全滅か」


 言葉とともに風の刃が飛んできた。視認はできない。気配を感じて転がるといまいた場所に大きな斬り跡が入っている。暗闇でわずかに、ホールからの光にぼんやり照らされた男の顔が見えた。黒魔術師特有の帽子をかぶっている。二発目、三発目の刃が飛んでくるがこれもかわす。通路で戦ったのでは不利だ。


 ホールまで後退する。男もじらす積りはないのかホールまで追ってきた。エンペラが、ミニゴブが、ハシスが、男を見る。男も少女たちを見返した。


「君らは超希少種だ。殺したりはしない。痛めつけもしない。警戒を解いてほしい」


「エルステ帝国にしては洒落た物言いができるじゃないか」
 ルシウスはいった。状況把握の時間を稼ぎたかった。


 男が眼を剥いた。戦闘に関しては油断できないがこの時は隙だらけだった。だが男はまっすぐルシウスに風の刃を投擲したので躱すしかない。ルシウスが回避すると男が歯噛みした。


「我々をあんな俗物どもと一緒にするな、下郎」
 男がいった。
「我々はいっそう高級な価値のために研究しているのだ。一時は共闘をしたが、あんな魔晶などで満足している屑に賢者の価値がわかるか」


 ピンときた。こういう発言をする奴は自分を語りたくて仕方がないのだ。おおかた研究しているうちにプライドに取り込まれたか、プライドの高さ故に高級な研究を始めたのだろう。


「こいつらを使って不老不死でも作るハラか」


「そんなものに関心はない。我々の関心は開祖超え――究極生物にある。パラケルスス様の指示なくしてこんな田舎に来るものか。メスゴブリンは破壊の女神。全身から良いデータが取れる。死んだ後も内蔵は我々に多くを提供してくれる。それに錬金術師カリオストロは女性の身で頂点に至った。メスゴブリンには大いに利用価値がある」


 思い出した。ヘルメス錬金術学会だ。以前にクラリスやカリオストロに危害を加えようとした。


 ヘルメス錬金術学会はカリオストロを開祖とする錬金術に関する組織だが、彼女が封印されてからは暴走して路線を変更し、現在はなんと開祖カリオストロを超越するために星晶獣や錬金術を研究しているという。以前はエルステ帝国と組んでグランサイファーの面々を襲った話も聞き及んでいる。


 それにしても研究のためにゴブリンと共闘するとは。見下げた根性もあったものだ。


「パラケルススの親玉に女を連れて帰るということか。悪党そのものだな」


「あの方をそんな風に呼ぶなッ!」
 男が激昂した。
「それにメスゴブリンは人間やエルーンの女性ではない、あくまで魔物だ。これは害虫駆除の一環だ。私を悪魔のように呼ぶんじゃあない」


 返事の代わりに後ろから緑色の矢が飛んだ。10か15の魔力矢がルシウスの外側から錬金術師に突っ込むが、錬金術師が腕を振るうとすべて薙ぎ払われた。腕は黒色の膜で覆われていた。


「星晶獣アルフェウスの小型化とでもいおうか。素材は雑だが王水で溶かしきってから賢者の石でコーティングして一部を加える。これにより疑似賢者の石を作成できる。破棄自由、複製も容易だ。おかげで偽装工作から突貫工事もなんでもできた。とはいえ君らは普段、魔力で監視しているようじゃないか。それにそこの剣士も山を行ったり来たりだ。おかげで迷彩の良い訓練ができたよ」


「戯言は地獄で吐け」
 ルシウスは男に突進した。あれこれ発射させたおかげで風の刃は見切っている。低姿勢で錬金術師に臨むと男は腕を光らせた。構わん。


 ――悪鬼彷斬。ルシウスが対ゴブリン戦用に編み出した技の一つ。自身のマナ力を少量敵の顔面に飛ばし、視界を邪魔した上で斬り飛ばす。相手が並ならこれで決着が着く。


 が、剣の到達先には錬金術師でないものがあった。眼前にソルジャーゴブリンの顔があり、視界を奪われたゴブリンの手甲に剣が引っかかっている。ルシウスは困惑しながらゴブリンを蹴飛ばす。何が起きた?


「上だゴブ!」
 ミニゴブが真上――絨毯の上――を指して叫んだ。見上げると錬金術師が絨毯の上、ゴブリンの死体の上に移動しており、手を絨毯に触れさせている。苦無をつかんだが遅い。風の刃が絨毯をばらばらにするとエンペラが苦痛のうめき声をあげて転がり、上空からゴブリンの群れが落ちてきた。あちこちに散らばったゴブリンたちは取り決めたようにハシスたちを取り囲む。ルシウスの眼の前には錬金術師がゆっくりと、風に揺れながら降りてくる。


「ご自慢の錬金術で位置を入れ替えたか」
 時間稼ぎと思ってルシウスが口にすると錬金術師は口元を歪めて笑った。


「まあ、ある意味で等価交換だ。天井のゴブリンたち全てに印が入っていてね、私が術式を作動させればいつでも入れ替わるという寸法だ。ゼロからイチを増やすのではなく、イチが単にイチと変わるだけなのだから困難はそれほどない。ただし近距離とはいえ岩盤や魔術を通り抜けての物質交換、そして物質だけでなく魂や知能の再構成も必要になる。だが、俄ごしらえとはいえ賢者の石だ。頭はスムーズに動く」
 錬金術師は言葉を切り、立ち上がろうとするエンペラを風の縄で縛る。風を押し縮めて細くまとめている。
「剣を捨てたまえ。知人を見捨てたいのなら別に構わん」


 一瞬、無視してエンペラもろとも錬金術師を斬ろうかという考えがよぎった。そもそも自分はゴブリンに苦しめられてきた。そしていまはゴブリンの超希少種――破壊の女神――を殺す機会だ。つまりゴブリン族の戦力を削ぐ絶好のチャンス。ゴブリンに男も女もない。あるのは魔物という特徴だけだ。いずれミニゴブに暴力性が芽生えるのなら、ルシウスたちを殺すかもしれないのならば、いま殺してもいいのでは?


 考えはすぐに去った。お人好しのティナやフィーナ、それから団長にルリア、ビィが頭を過ぎった。彼女たちはあまりに眩しすぎて善でないものは入っていけない。そしてここで女ゴブリンたちを斬ることは罪だと、あれほど議論した相手――穴はだいぶあるだろうが――をした相手を殺すのは罪だと、自分の心がささやいている。男ゴブリンがあれほど憎悪の対象なのに。


 やはり自分の原風景は滅ぼされた村にあるのだとルシウスは思った。未来にどれほど良い思い出を積み重ねようといまの自分はあそこから始まった。槍を構えるゴブリン。踏み殺される親子。焼けて炭になった家々。魔物の群れ。そこにたまたま女ゴブリンがいなかっただけだ。遠くから双眼鏡で見つめるように原風景を見ながら、ルシウスは親が死んで泣き叫ぶ子どもの声を聞いている。


 ルシウスは剣を留め金から外した。よく見えるように床に置くと、エンペラがうめいた。


「よろしい。念のために聞くが君はゴブリンかね。私は殺人鬼ではない。人間に対する無用な殺傷は避けたくてな。もしこれ以上邪魔しないのであれば、そこに座っていて構わん。我々が撤収したら帰ってくれ」


「その人はヒューマンよ、私たちがさらったの」
 ルシウスが答える前にエンペラが叫んだ。ルシウスは久しぶりに眼をキョトンとさせて彼女を見る。
「彼は旅人でこの件には何の関係もない。だから構わないで。解放して」


「ほお。ではなぜ旅人がここにいる。なぜさらった。食うつもりだったのか」
 錬金術師が冗談半分、好奇心半分の眼で尋ねた。ルシウスは顔をしかめた。ハシスがこちらを凝視している。エンペラはうめいてから答えた。


「そうよ。彼を捕まえてから食べるつもりだったのよ。私たちは魔物でゴブリンだから、ひどいことをして傷つけてから食べるつもりだったの。彼は巻き込まれた単なる被害者、そうでしょ?」
 エンペラが必死な目つきでルシウスを見た。加害者は被害者をそんな目で見ないものだ。彼女なりにルシウスをおもんばかり、彼を逃がそうと必死なのだろう。だが場にそぐわない言葉に錬金術師は腹を抱えて笑い、それを見てルシウスも笑いたくなり、実際に笑った。


 腹がよじれるほど笑った。


 久しぶりにこんなに笑った。


「ちょっと、ふざけてるの」


「いいや。だが庇ってくれてありがとう。どうやら俺は誤解していたようだ」
 ルシウスがいうと錬金術師も頷いた。
「ここにおいて義があるのはゴブリンだ」


 とどめを刺す気らしく錬金術師が腕を向けて。ルシウスは覚悟したが、その前にゴブリンが一匹近づいてきた。武器を持っているが構えてはいない。


「オイ。分ケ前ダ」


「後にしろ」
 錬金術師が忌々しげにいった。その口調を聞いてルシウスはひとつ納得した。最終的にこの錬金術師が総取りするつもりなのだ。どこかの時点でゴブリンたちは全滅させられる。
「気が散ると暴発する」


 ゴブリンはすごむように顔を近づけた。


「ソノ女ダ。我々ノコミュニティカラ消エタ奴」
 ゴブリンがハシスを指さした。
「ソイツヲ取リ戻ス。ソノ為ニオ前と契約シタ。兵士モ差シ出シタカラナ」


 錬金術師が舌打ちすると、頷くように腕をひねった。


 その瞬間のハシスの顔をなんというべきだろう。捨てた過去がいきなり現在にやってきた認識。そこからいろいろに分裂する。恐怖というか閉塞というか憂鬱というか、あるいは心細さと悲しみというか、あるいは自分の数分先を垣間見た顔をしてはるか遠く先の未来――それこそ己の死後――さえも見通した顔もしていた。彼女はここで様々な楽しい経験をしたのだろう。エンペラとかけがえのない思い出を作ったのだろう。それが根底からひっくり返されようとしている。思い出すべてを飲み込む何かがやってくる。記憶を根こそぎ冒すものが来る。一秒か二秒ほど、さまざまなものが突き抜けていきそれはハシスを叩き潰した。


「やめて」
 エンペラが消えいる声でいった。次の叫びはいっそう大きくなった。
「やめてっ。ハシスっ、だめ!」
 縄をほどこうとしてあがくエンペラをゴブリンが殴りつけた。ハシスが泣き出した。


 まるで子どものわがままのような叫びだとルシウスは思った。だがその動きはさらわれる家族に必死にあがく姉そのものだった。エンペラが無理やり詠唱しようとしてゴブリンに腹を蹴られる。ハシスは泣きながら身体をよじるがソルジャーとメイジに三つ編みと肩を掴まれる。髪を引っ張られて首が曲がり、引きずられる。遠ざかる。


 原風景が戻ってくる。故郷の壊滅。あの日も大勢の人が連れ去られた。彼ら彼女らはどこに行ったのだろう。森に向けて歩いていった人々は二度と帰ってこなかった。まるで世界の外にそのまま放り出されてしまったように消えた。空の底に投げ落とされたように。あるいは彼らは遺骨となって廃坑の中に眠っているのかもしれず、そうでなければ生きているのかもしれないが、あの日の彼らはやはりどこか無限の遠くへと行ってしまい、あの日のまま永遠に帰ってこない。


 エンペラがとうとう悲鳴を上げた。ハシスはどんどん離れていく。泣き声が耳に突き刺さって痛い。ルシウスは一瞬、自殺覚悟で錬金術師に体当たりしようかと思った。そして見やるとミニゴブがいない。いないというより、少し離れた場所に立って彼女の側に杖が浮いている。彼女を捕縛していたらしいゴブリンは倒れている。ミニゴブの背後からは赤い極光が浮かび上がり、立ち上ると光線になってゴブリンたちの頭を襲った。


 即死効果だ。


 倒れた魔物が痙攣したのを見た錬金術師が反応した。指を上げて術式を作動させようとしたがミニゴブのほうが早い。錬金術師の腕を苦無が貫いていた。先程渡した苦無。赤い極光が飛ばした苦無は錬金術師の腕を刺すだけでなく半分ぐらい破壊し、思い切り彼を吹き飛ばした。賢者の石とやらを塗りつけた装置が吹っ飛び、壁際に落ちる。ミニゴブの顔は硬いが決意がみなぎっている。腕がかなりなくなった錬金術師は動けない。


 ルシウスは剣を拾い上げる。ミニゴブは急ごしらえのバリアを張って内部の魔物を外へと弾き飛ばす。錬金術師にすごんでいた親玉ゴブリンが壁際に叩きつけられた。天井付近に残っていたゴブリンが矢を射るが弾かれる。最初に近づくべきはハシス。魔法に耐性があったらしいメイジが引きずりながら走っているがすぐに追いつく。メイジの頭を飛ばす。ハシスを抱えると彼女はあらん限りのちからでルシウスにしがみついた。疑似賢者の石を拾い上げようとする錬金術師に苦無を投げつけると、指が飛んだ男は喚きながら詰め所へと走った。意識があるゴブリンたちもそれに続き、天井から逃げる。残りは殺した。


「ハシス、ハシスっ」


「姉さん」


 ハシスが泣きながらエンペラにしがみついた。二人とも怯えているが魔法はまだ解けていない。次第に上空の絨毯が再展開されていくが、ゴブリンたちは外で咆哮しているらしく、彼女たちは聞こえるたびに震える。正式な入り口が崩れていき、内部から盾兵のみが半死半生の身体で出てきた。盾が血まみれで臓物まみれになっているが本人のものではなさそうだ。【立ち犬】については期待できそうもない。


 ルシウスは剣を整え一部の苦無を回収すると歩き出した。追撃するためだったが、ミニゴブは自然とついてきた。構わない。


 が、エンペラはミニゴブの裾を引っ張った。ハシスはミニゴブにすがりつかんばかりだ。戻ってきた盾兵は自分の意思とは関係ないとばかりに地べたに座り込んでいるがルシウスたちを凝視している。


「行かないで、行ったら捕まるわ」
 エンペラがいったが力がない。目尻に涙が溜まっている。
「ここにいたほうが安全だから」


 ルシウスは一歩歩き、ニ歩進んでから待った。どうしようともミニゴブの自由だった。


 ミニゴブはルシウスとエンペラを見比べてから、ルシウスの横に並ぶ。


「どうして。危ないわ」
 エンペラの声は悲鳴じみていた。
「死ぬかもしれないのよ」


「エンペラ姉さんは正しいゴブ。でもいまは、あの悪い奴をやっつけるほうが先決だゴブ! あいつは強いから、手助けが必要なんだゴブ! ルシにーちゃんだけじゃ難しいゴブ!」


 ミニゴブの瞳に迷いはなく澄んでいた。ただのガキだと考えていたが、考えを改めねばなるまい。ルシウスは三秒ほど考えてからミニゴブに告げた。


「言ったな。いまからゴブリンではなく一人前の騎空士として扱う。ここを守りきれるかはお前次第だ。戦い抜くぞ」


「わかったゴブ!」
 それから後ろを振り返ったミニゴブはいった。
「行って来ますゴブ!」

3


「あいつらが崩れたのは理由がある。お前を雑魚と思い込んでいたからだ」
 ルシウスたちは錬金術師たちが掘削してきた洞窟を歩いている。錬金術で掘り抜いた割には構造がしっかりしており、ちょっとやそっとでは崩れそうにない。これだけの工事を行うには、似非賢者の石を用いてもかなりの労力と騒音が求められる。あいつは偽装にかなりの労力をかけていたはずだが、それでも疑いを持てなかったのは失点だ。

 ルシウスが明かりを担当し、先程よりも粘つきが強い前方をにらみながら話す。朝というのが信じられないほど闇が濃かった。エンペラたちはホールで待機しているが、いまの状況を見るとそのほうが安全だ。また上からやってくることも考えられなかったが、錬金術師のあの様子だと、裏取りするほど頭はまわらないだろう。

「縛られなかったけど杖は取り上げられたゴブ。でも杖がなくても魔法使えるゴブ」


「なるほど。崩れているうちに叩く。灯りを消すぞ」


 場が暗くなる。前方には暗黒が開けており、かなり後ろのホールからはやや光が伝わるが薄い。どろりとした闇が身体に絡んで不安になる。ルシウスが眼を閉じると、前方から風の流れとともにかすかな喚き声が聞こえてきた。ルシウスは自走爆弾のことを考えて、そこにゴブリンをプラスした。あの錬金術師、生け捕りにする案は捨てたか。策を立てる時間は与えていないから上出来だろう。


「外には残党がいる。だが襲ってきたゴブリンの主要メンバーは殺した。つまり外に残っているのは予備だが、逃げた錬金術師はあいつらを爆弾に仕立てる積りだ」


「あの走る爆弾ゴブね?」


「その通りだ。仕組みなど考えたくもないが、いまは首を引っこ抜いて爆弾と入れ替えている最中だろう。そいつらをここまで走らせて、俺たちにぶつけて爆発させる。もし俺たちが逃げてもトンネル内で爆発されれば山は崩落し、俺たちは生き埋めだ。ミニゴブ、あいつらを立ったまま麻痺させられるか? あいつらは転ぶと爆発する」


「やったことないけど、やるゴブ」


「その意気だ」
 ルシウスがいいしなに外の声が極端に大きくなった。ルシウスが灯りをつけると、その場で膝をついた。ミニゴブは立っている。ルシウスは耳を集中させた。闇は深い。


 ルシウスは考えた。奴らが爆発するとすれば俺たちの半径数メートル。どこかで監視できるほど広いトンネルではない。熱源探知かそういう仕組みだろう。途中で起爆させることも考えたが、あの錬金術師のことだ。確実な爆死を望んでいるはずだ。


 あと15メートル。


 あと10メートル。


「構えろ」
 ルシウスが息を吐くとミニゴブも息を吐いた。呼吸をせず、ただミニゴブは先を見ている。――暗闇とその先を。


 暗黒から何かが走ってくる。


「撃ッ」
 合図でミニゴブは魔法を打った。黄色い光がトンネルを疾走する元ゴブリンの身体を捉える。いつもなら拡散する黄色い光は、自走爆弾に激突するとそのまま強く縛り付け、その場に固定させた。ニ体を麻痺。その後ろからまた走ってくる自走爆弾。


「第二ッ」
 また打った。魔力光は麻痺したゴブリンを湾曲して迂回し、麻痺ゴブリンにぶつかる直前だった自走爆弾を止める。停止。三秒待って爆発しないのを確認してから近づいていく。どうやら時限爆弾の機能は凍結させられたようだ。汗が耳の後ろを伝う。


「ミニゴブ、麻痺時間はどれくらいだ」


「三日だゴブ」


「よし」
 エンペラたちを避難させれば後は大丈夫だろう。麓まで被害が及ぶことはあるまい。


 次ウェーブに備えて耳を済ますが、足音は聞こえてこない。戦力の逐次投入は避けたいか。ホールに一度戻ることも考えたが、エンペラたちのあの様子だと、上に開けた穴から伝って逃げるのも難しい。このまま突っ切る。


 思ったよりもトンネルは長い。湿った空気と土の匂いが鼻に来て、光が完全に消える。光が見えないのはきつく、疲労を強める。ルシウスはミニゴブに疲れてないか尋ねようとした。


 が、思ったことと違うことが口から出た。


「お前、俺を攻撃したいと思ったことはないか? 別に俺じゃなくても、ティナやフィーナでもいい。暴力を振るいたいと思ったことは?」


 ミニゴブはしばらく考えてから、首を横にふりかけて、縦に振った。


「あるのか」


「夜中にあるゴブ。満月の日や、雷雨とかの日が多いゴブ。寝付けなくて背中がザワザワして、なんでもいいから投げたくなるんだゴブ」


「それで、実際に投げるのか」


「そうゴブ。騎空艇の遊び場にダーツバーがあるゴブね? たまにJ・Jにーちゃんとかローアインにーちゃんたちが遊んでるゴブ。困った日はそこに行ってダーツを黄色くしたり赤くして投げるゴブ。色を混ぜてから投げることもあるゴブ。すごい勢いで飛ぶゴブ。真っ赤にしたり真っ黒にすると震えてキーンって音がするゴブ。投げるとダーツボードに色がうつって面白いゴブ。でも朝になると色は消えてるゴブ」


 ルシウスは噴き出した。


「それで満足するのか」


「たくさん投げると疲れるから満足するゴブよ。最初は的に当たらなかったけど、最近はだんだん真ん中に当たってきたゴブ。ピュンピュン投げると音が楽しいんだゴブ。それにちょっと本で調べたゴブ。利き腕の肘に片腕を添えると安定するゴブね? あと、つまむときに小指と薬指にキュッと力を込めるゴブ。そうするとダーツの投げ具合が違うんだゴブ。ダーツしても足りないときは光を出して、消して、出して、また消すゴブ。十回もすると眠くなるから部屋に行くゴブ。今度はヴァンピィねーちゃんとかカルメリーナねーちゃんともダーツしたいゴブよ」


 聞きながらルシウスは笑っていたが、次第に事実がなじんできた。


(理性は十分に発達しているというわけか。これなら性徴期に入っても対策を立てられるだろう)


 帰ったら二人に相談してみるか。騎空艇には人間ではないが女性は多い。なんとかなるだろう。


 トンネルは次第に蛇行して下がり始めた。分かれ道が右に向かって伸びており、まっすぐ進むと次は左にカーブする。更に歩くと左に分かれ道。まるで蟻の巣のように道があちらこちらに繋がっている。嫌な予感がする。足を止めてしゃがみこむと、遠くで風の音が聞こえ、耳をつんざくそれは眼前に迫ってくる。爆弾ではない。


「撃ッ」
 叫ぶとミニゴブが黄色い光を打った。暗黒へ向けて飛んでいくそれは何かの刃らしきものに激突する。刃が停止し、落ちる。乱反射してきた風の刃だ。


 第ニ陣が来る。音がわめきあって伝わらないが第三、第四もあるに違いない。立っていればバラバラになる。わかれ道や回り道を反射して風が高速になる。


「シールドだ」
 ルシウスはいい放ってミニゴブを自分の陰に隠す。できるだけ姿勢を低く。幾十も打たれた風たちはシールドに弾かれて先や後ろへと消えていき風ならではの轟音が吹き荒れる。シールドで全身を包んでいるのにさらされている感触は台風だ。風の最中で聞き親しんだ足音が近づいてきた。走ってくる。明かりを先へと向けると自走爆弾三体が駆けてくるが眼前でスピードアップした。くそ、風でバフをかけたか。ニ体が迂回路に入った。最後にはこっちに道が続く。こっちに走ってくるはずだ。


 ――白刃炎斬。


 ルシウスが技の一つ。剣に炎属性を走らせて叩き込む剣術だ。炎属性の魔力を用いるので本来ならばティナと組んでこそ真価を発揮する技だがやむをえない。暗黒に剣状の光が灯る。自走爆弾を胴体から真っ二つにして、刃を振り抜くと腰から上がはね飛んだ。下半身が力なく脱力し、上半身は下に落ちた。爆発前の点滅はまだ起きない。ミニゴブが息を飲む。焦げた断面から嫌な臭いがする。シールドが消えた。点滅が始まった。


「ゴブッ!」
 ミニゴブが杖を振った。自走爆弾の頭に黄の極光が直撃し、落ちた身体は身じろぎしなくなる。まだ二体。ルシウスはミニゴブの視線へとカンテラを走らせる。左右の分かれ道。どこから来る、どこから――


「当たるゴブッ!」
 ミニゴブが極光を投擲。当てずっぽうではない。カンテラが照らす奥、通路の更に奥に潜んでいた自走爆弾を麻痺させる。もう反対側から全力疾走する自走爆弾。走りながら点滅が始まる。体当たりでもされたら終わりだ。ルシウスは苦無を抜くと迫る自走爆弾の首に突き刺し、体をつかんで壁にぶつけた。ミニゴブから距離を取る。点滅が早くなる。バラバラになった自分が目の裏を過ぎった。


 再度の極光。ルシウスを逸れた麻痺光が自走爆弾に激突して爆弾は停止。


 リチャージを無視して魔力を使い続けたミニゴブの顔は汗まみれだ。吐きそうな顔をしている。ルシウスも汗だくになっている。こんなに息詰まる戦いも久しぶりだ。肺から息を絞り出すとあえぐような声が出た。深呼吸をしたくなる。


 が、この場所で次ウェーブが来たら止められる自信はない。ルシウスは早足で歩く。小さい山のはずなのに出口がまるで見えない。このまま空の底にでも繋がっていそうだった。息苦しさで胸がつまる。


 前触れなしに風の刃が飛んでくる。先程よりも数が多いが、爆弾でないなら切り抜けられる。


 ――連影撃。


 シンプルに三度の斬撃を加える技だ。以前に団長から指摘されたが、ルシウスが斬撃を加えている時、彼には一回分の動きしか見えていないという。ルシウスは三度斬撃し、実際に標的は三度切られているのだが。


 今回はそれが活きた。一度、二度、そして三度の動作で風の刃を完全に断ち切る。息が荒いが体を動かす。


 自走爆弾、風の刃、他に奴の弾はない。見切った。錬金術師がいるなら出口、そこを叩く。吐き気の波が収まったミニゴブに極光を準備させ、ルシウスは暗く狭いトンネルを突っ切る。分かれ道が途切れ途切れになり、流れ込む風の量が多くなる。


 出口がある。風の先に出口がある。


 何度目になるかわからないカーブを曲がり切ると、直線に見えるのは光。最初は点だったが、進むにつれて明かりが大きくなる。その安堵をなんと表現すれば良いのか。胸が洗われるような心地だったがすぐにトンネルの明かりが何かで塞がれた。


 先んじて麻痺を飛ばそうとしたところ、前から風の刃が飛び込んできた。速い。シールド。ミニゴブをかばいながら暗い道を進む。自走爆弾が叫び、やってくる。これが最終ウェーブに違いない。


 よく目を凝らすと、自走爆弾は単独ではない。何体もの自走爆弾が風で数珠つなぎになっている。先程エンペラを縛ったのと同じ原理だが、今度は自走爆弾群が走るというより風でトロッコのように運ばれてくる。カンテラの向こうに見える木箱の群れが恐ろしい勢いで迫ってくる。あの野郎、爆弾を一括りにして投げ込んできた。


 ミニゴブの魔力だけでは足りない。複数体が繋がっている。ルシウスがやるしかない。息をつき、肺の空気を吐ききってから剣を構える。行くぞ。


 ――白刃一掃。


 瞬間、ルシウス自身が風になった。剣を振り抜く動作なのに、どこか異なる次元を通過する感触がある。轟風というようなそれは一瞬の間坑道を貫き、彼は自走爆弾群をすりぬけた先にいる。遅れて自走爆弾らの首が飛び、崩れ落ちる。奥義を使ったルシウスはほんの一瞬、足の脱力を感じて力を込め直す。背後の自走爆弾の首らをミニゴブが魔力光で包む。体積が小さくなった自走爆弾らはこぞって麻痺していく。ほうとルシウスが息をついた。


 錬金術師がルシウスを強襲した。


 刹那だが気を抜いたのが命取りだった。明かりに影が見えていたはずなのに視野に入っていなかった。さきほどミニゴブにふっとばされた錬金術師の片腕はゴブリンのものに変わっていた。自走爆弾のどこかから引っこ抜いたのかもしれないし、違うゴブリンかもしれない。錬金術師はルシウスの正面に躍り出て、まるで自身もゴブリンになったような低姿勢からルシウスの足を裂いた。足が崩れた拍子に傷がついていた横腹もえぐられ、腹のちからが抜ける。風の刃をゴブリンの腕にまとい、ルシウスを転ばせる。錬金術師の顔はどす黒い緑に変わりつつあった。


「ルシウスにーちゃ、」とミニゴブがいいかけた。ルシウスは半ば安堵、半ばあきらめの心境で剣を手放し、苦無を掴む。せめてこの山が崩落しなくて良かった、ミニゴブが死ななくてよかったと思ったのだ。戦闘中なのにまるで別なことを考えたのと、山に来る前とは正反対の感情が湧いたことにルシウスは笑ってしまった。視界の隅にミニゴブが見えて、ルシウスはミニゴブにいくつか言伝しておけばよかったと思った。ティナをよろしく頼む。フィーナと団長にすまないと伝えてくれ。それから、チョコレート作りを手伝えなくてすまない。


 倒れていく体に錬金術師の拳が振り下ろされる。ルシウスの内蔵をえぐろうという腹か。この苦無がどれほど妨害になるかわからないが、せめてミニゴブが逃げる時間を稼げれば――


 ルシウスをバリアが包み、錬金術師の腕が風もろとも弾かれ、バランスを崩した。


 バランスを崩した錬金術師の全身を、バリアから伸びた緑の矢が貫いた。


 ごへぇと錬金術師が血を吐くと、その血液すら矢となって刃を身体へと向ける。ルシウスがたまらず眼をそらすと矢は次々と増殖してやがて錬金術師が破裂した。残滓がバリアに叩きつけられる。転んだままのルシウスが後ろにカンテラを向けると、汚れまみれのカンテラの先にはルシウス以上に荒い息をついたエンペラ、ハシスが詠唱体勢のまま立っており、二人は力を使い果たしていたがミニゴブに近寄ると抱きしめ、ルシウスは倒れたままの体勢でそれを見ていた。


 3人は暗い中でしばらく動かなかった。


4


 トンネルの外――山の中腹のかなり下、生い茂った草むらに出る。魔力で偽装されていたその部分は紫色に腐っていた――で錬金術師やゴブリンの死体を土葬して、麓の村に報告をする。さりげなくゴブリン族の財宝について切り出すと長老はひどく汗をかいてて弁解を始めた。彼はゴブリン族のものとは知らなかったとうそぶき、ルシウス以外にも別な冒険者にも依頼をしていたともらした。ルシウスは無言で報酬を受け取った。それからゴブリンの巣へ戻り、荷造りを手伝うのに一昼夜かかった。


 結局ルシウスは、女ゴブリンたちを討伐しないことにした。彼女の話をすべて信じてはいないが、一概に敵だと決めつけられなくなっていた。


 ゴブリンならば全て殺す。かつてはそう考えていた。おそらくゴブリンキングを討伐する前に出会っていたならば、憎しみのあまりルシウスは女ゴブリンたちを手にかけていたかもしれない。だが最大の怨敵であるゴブリンキングは死に、憎しみの釜は幾分目減りした。


 それにエンペラが話した通り、人間と同じくゴブリンも変わりうる生物だ。やがて人間など眼中にないゴブリンが出現するかもしれないし、人間以上の文明を持つゴブリンの群れも生まれるかもしれない。そういう時に自分だけ殺意に振り回されたままでいいのか――暗黒の生活を生ききったルシウスは、そう考えるようになってきた。もちろん自分の原風景が消えるはずもない。あの死に絶えた村はやはり死に絶えたのだし、母は死んだのだ。だが村の跡地に何か作られることもあるだろう。何かはわからないが。


 エンペラたちが出発する準備が整った。次なる家はハシスの希望もあって海の近くにするという。がらんどうのホールに生活感はもはやなく、ゴブリン少女は小物の整理をしている。


「そんなところに行って人間に見つからないのか」


「これでも1年ぐらい暮らしてきたから大丈夫よ。でも、次はもっと気をつけないと。結局はあなたのように手配書からあいつらに見つかったようなものだし」


「まあそうだな」


 ルシウスは入り口の整備作業をしている盾兵を見る。彼に詰め所からの出口は狭すぎるので正式な入り口から出なければならない。盾には煤や血の汚れがまだ残っている。


「あいつは置いていくのか?」


「ブロックくん? まさか。連れて行くわよ。あなたたちが麻痺させたウチのゴブリンも、荷車で連れて行かないといけないし。――でも、彼が自走爆弾を大部分防いでくれたみたい。改めて感謝しなきゃね。死んだティラノスも善戦してくれたし」


 ミニゴブが近づいてくる。彼女はそもそも荷造りに参加しておらず、手伝いだけだ。


「ルシにーちゃん、いつ帰るゴブ? ティナねーちゃんのチョコ作りも手伝いたいゴブよ」


「よし、行くか」
 ルシウスは立ち上がる。エンペラはチラリとミニゴブを見たがルシウスに眼を戻した。


「気をつけてね。寂しくなるわ」


「縁があれば会うこともあるだろう」
 ルシウスはいった。
「それにミニゴブは、エンペラたちと行く気はないんだろう?」


「うん! ミニゴブはエンペラ姉ちゃんの家族だけど、フィーねーちゃんの家族でもあるゴブ! それに一緒にイスタルシアに行くって約束したゴブから!」


「ほお。ところでイスタルシアに着いたら次はどうする」


「え。えーっと……そこでピカピカを探すゴブ! フィーねーちゃんよろこぶゴブ! あと、いっしょにダーツするゴブ!」


「あなたは一人前のゴブリンね」
 エンペラはミニゴブの頭をなでた。
「教育だ保護だと言ったけど、その必要はなかったみたい。がんばって、あなたならいつかたどり着けるわ。でも辛くなったら、私たちを探して。あなたの魔力光なら、探せると思う。私たちのシェルターはいつでもあなたを歓迎するわ」


「わかったゴブ! でもミニゴブは独立心おーせーだし強いゴブリンだから、ピカピカさえあれば寂しくならないゴブね」


「わたしはさみしー!」
 ハシスが割り込んできた。そのまま女たちだけで話し始めたのでルシウスはそっと場を離れ、天井を見上げた。ゴブリン盾兵が近づいてくるのには最後まで気づかなかった。


「オイ」


「俺のことか?」
 ルシウスが盾兵に訊いた。盾兵はこくりと頷く。彼とは話をしたこともなかった。


「選別ダ。コレ、ヤル」
 盾兵は巨大な手に似つかわしくないものを差し出した。宝石の原石だ。見た感じは青だが、磨けば虹色になるかもしれない。どちらかといえば宝晶石に似ている。ルシウスが眼を白黒させていると、盾兵がつけたした。
「アノ子ニ渡シテクレ」


「ああ、ミニゴブか。自分で渡せば良いだろう」


「ゴブリンノ男ハソンナコトヲシナイ。ソレト、俺ガ奮戦シテイタコトモ十分ニ伝エテクレ」


 ルシウスはミニゴブを見た。それから盾兵に眼を戻し、頷いた。


 盾兵はまた入り口の整備に取り掛かる。ルシウスは終わらない女たちの歓談を聞きながら、そういえばゴブリンの男とまともに会話したのはこれが初めてだな、と思った。

 何か新しい可能性があったのかもしれないが、ルシウスはやがてティナが作るチョコレートの材料はどこで調達するのだったか、と考え始めた。


《終わり》

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