記憶の質感まで保管する。「やわらかなアーカイブ」がメタバースにもたらす豊かさとは CEO 田村賢哉|Eukarya観察日記
記憶の質感まで保管する。「やわらかなアーカイブ」がメタバースにもたらす豊かさとは
Eukarya(ユーカリヤ)は、既存のデータベース技術の課題を明らかにし、従来はこぼれ落ちていた情報、たとえば記憶の質感まで保管できる次世代データベースを研究開発するスタートアップ。目指すのは「ありとあらゆる情報を保存できる」未来といいます。
被爆者証言のデジタルアーカイブ「ヒロシマ・アーカイブ」などで知られる東京大学大学院・渡邊英徳研究室からスピンオフするかたちで、2017年に創業。次世代データベース『APLLO』の継続的な開発を目的に19年に行ったクラウドファンディングで、当時国内最高額となる約3億円を調達したことでも話題になりました。
データベースの研究開発で培った技術やノウハウを応用し、専門技術なしに誰でもビジュアルアーカイブを作ることができる同社のサービス『Re:Earth』は、このほど国のスマートシティ政策の基盤技術に採用されることが決定。メタバースやデジタルツインといった文脈でも、急速に注目が集まっています。
そんなEukaryaの魅力にテクノロジー、ファイナンスなどさまざまな面から迫るべく、Eukaryaのメンバーにフォーカスを当ててインタビューをお届けします。初回となる今回は、代表取締役の田村賢哉さんに創業の経緯や事業内容、目指す未来を語ってもらいました。
彼らはなぜ「すべてを保存」することに身を捧げるのか。「すべてを保存」できる未来は、私たちになにをもたらしてくれるのでしょうか。
丈夫でやわらかいデータベース
——Eukaryaが研究開発する「次世代データベース」とは? 従来のデータベースのなにが問題で、それとどう違うのでしょうか。
「ビッグデータ時代」と言われ、大量のデータを保持し、活用していく時代になりました。けれども、世の中にはまだまだ保存し切れていない情報や、適切なかたちで保存できていない情報がたくさんあります。
たとえば、解釈・文脈・雰囲気といった主観的な情報がそう。あるいは、バイオ領域で扱われる遺伝情報などのデータ化もできていません。
こうしたデータベース技術の課題を解決しなければ、いくら分析・解析のアルゴリズムやアプリケーションの開発を進めたところで、イノベーションは早晩頭打ちになってしまうでしょう。
そこで私たちは、さまざまな領域でまだデータ化できていない情報や、データ化はできていても最適化できていない情報を明らかにし、それらを蓄積・処理できるデータベース技術を開発することに取り組んでいます。
ゆくゆくはこの次世代データベースにより、多様な社会課題に対応したアプリケーションや産業の創出に寄与することを目指しています。
——会社のウェブサイトには「記憶の質感までも保管できる『やわらかいアーカイブ』」とあります。
利用者に合わせていかようにも変形し、その時々の目的に寄り添うことができる——。それが私たちの考える「やわらかいアーカイブ」です。
私はもともと、東京大学大学院・渡邉英徳研究室で被爆者証言のビジュアルアーカイブを作る「ヒロシマ・アーカイブ」のプロジェクトに参加していました。戦後70年という時間が経過する中で、証言をしてくれる被爆者の方も少なくなっていく。貴重な証言を保存し、受け継ぐ目的で始まったのがこのプロジェクトです。
しかし、実際に被爆者の方とお会いして話を聞くうちに、ある苛立ちを覚えるようになりました。
——苛立ち、ですか。
ノーベル平和賞の受賞スピーチで知られるサーロー節子さんとお会いした時です。彼女の「被爆者とは、ある日突然背負わされた業である」という言葉は、深く自分の中に刻まれました。
けれども、その感覚を誰かに伝えようとすると、どうにもうまくいかない。同じ言葉を私が口にしたところで、ご本人が発した時に確かにあった、あの質感や文脈がこぼれ落ちてしまうのです。
どうやったらそれらを含めて残せるのか。そう考えたところから「やわらかいアーカイブ」という発想は始まっています。
2017年に会社化して以降も、ビジュアライゼーションや保存の仕方などをその観点で追求してきました。たとえば被爆者の証言も、取り巻く環境や時代が変われば、その語り口は変わっていきます。そのため、証言を集めて可視化するだけでなく、それらをつなぎ、変遷自体を情報として保存する技術なども模索してきました。
このようにして私たちが研究開発している次世代データベース『APPLO』は、データを構造化されたかたちで保存し、閲覧・検索ができ、またその構造をいつでも気軽に変えることができます。そのような意味で「丈夫でやわらかい」データベースと言っています。
また、後で説明する『Re:Earth』など、さまざまなアプリケーションとも連携して、データの入力から情報の整理、解析、ビジュアライゼーションまでをワンストップで提供しているので、絶えず進化を続けるデジタルアーカイブの用途に適したデータベースだと自負しています。
アーカイブ作りを民主化する『Re:Earth』
——次世代データベースの研究開発プロジェクト『APLLO』に加えて、今お話にあった『Re:Earth』というプロダクトを開発・運営していますね。二つの関係は?
次世代データベースの研究開発を継続的におこなっていくには、多くの資金が必要です。そこで2019年にクラウドファンディングを実施したところ、ありがたいことに3億円近い支援をいただきました。
しかし、資金調達をしたからにはしっかりとビジネスにしないといけません。データベースだけ作っても多くの人に使ってもらうのは難しい中、サービス、アプリケーションまで自分たちで作って、見せる必要がありました。
では、データベースの研究開発で培った技術やノウハウを使ったら、どんなサービスができるだろうか。考えた末に導き出したのが、誰でも「ヒロシマ・アーカイブ」のようなビジュアルアーカイブを簡単に作れるというアプリケーション。2020年12月にリリースした『Re:Earth』です。
——ポイントはノーコードで「誰でも簡単に作れる」ところにある?
そうです。平和活動、コミュニティ活動をしている人たちが「こういう情報を入れて」「こういう見せ方で」「こんな意思を表現したい」と思ったら、彼ら自身で自由に作り、可視化するところまでできるアプリケーションになっています。
そうしたアーカイブを作りたいと思ったら、これまではエンジニアやデザイナーが介入することが絶対条件でした。しかし、それでは証言を収録してからアップロードするまでに、最速でも2、3か月はかかってしまいます。
決してリソースに恵まれているとは言えない彼らにとって、2、3か月はあまりに長すぎる。その間に活動が萎んでしまうことにもなりかねないんです。
——活動をエンパワーする意義あるプロダクトといえますね。
ただ、NPO相手だけだとマーケットとしてはそれほど大きくありません。ビジネスとしてスケールするには、別の見せ方を考える必要がありました。
そこで現在は『Re:Earth』を「汎用的WebGISプラットフォーム」、あるいは「最新Web技術による拡張可能なデジタルツイン構築プラットフォーム」として打ち出しています。要するに、スマートシティの基盤技術に『Re:Earth』を使えるのではないか、という話です。
——どんな親和性があるのでしょうか?
現実空間と仮想空間、ありとあらゆるデータをみんなで共有し、そこから社会を豊かにするいろいろなサービスやアプケーションを作っていくというのが、スマートシティの基本的な思想でしょう。
けれども、現状のスマートシティ文脈で生まれているシステムは、個別具体になっていて、データが統合されていません。そこから生まれてくるアプリケーションもバラバラになってしまっている。単体で見れば便利なものもあるでしょうが、スマートシティとしての理想の状態には程遠いと言わざるを得ません。
『Re:Earth』であれば、誰でもが位置情報ベースのデータを扱い、分析・可視化、さらにはアプリケーション開発までを一貫してできます。さまざまなサービスを横断するプラットフォームとして、うってつけではないかと考えたわけです。
地方都市に見たメタバースの萌芽
——リリースしてみての反響はいかがでしたか?
2021年7月に改めていまの打ち出しをしたところ、想像以上の反響がありました。国のスマートシティ政策の基盤技術に採用されることが決まり、2022年3月に「PLATEAU VIEW」としてリリースしました。
また、各地方自治体や民間企業からの問い合わせも一気に増え、会社としてもこの半年で急成長を遂げることができました。
——どんな活用のされ方をしているのでしょうか?
国や自治体、民間企業の持つさまざまな3D都市データや統計情報をアップロードし、防災、都市政策、環境シミュレーションなどの観点からそれらを分析・解析。ビジュアライゼーションしたものをウェブサイトとして市民に公開するという使われ方が多いです。
また、そういう統計情報以外にも定性的な情報、たとえば「ヒロシマ・アーカイブ」のように証言や活動をアップロードする例もあります。
中でも島根県益田市は一歩先を行っていて、『Re:Earth』を用いた「仮想益田市民構想」というものを打ち出し、「益田のひとMAP」というWebアプリケーションをリリースしています。
——仮想益田市民構想。
『Re:Earth』上に地域活動をピンするのはよくある使われ方なのですが、それだけではなく、益田市を出ていった人が住んでいる場所にもピンをする。そうすることで「益田市のことが好きだけれど、出ていった人」をつなぐことに取り組んでいるんです。
たとえば、北海道の釧路付近にもピンが3本固まって立っていたりします。そうすると、益田市から遠く離れた釧路でも同郷の小さなコミュニティを作ることができるわけです。また、益田市に住んでいる人がそこを訪れて、同郷の人に会うこともしやすいでしょう。
これが一体なにを意味するのかというと、要するに、デジタルに見える化することにより、リアル空間にアクションが生まれているということです。
なにを持って「メタバース」と呼ぶのかは難しいところですが、バーチャル空間とリアル空間がいかに同調するかというのは、大事なポイントの一つでしょう。その意味では、メタバースが理想とすることに近いかたちと言えるのではないかと。
——そんな先進的な事例が地方都市で起きているのは面白いですね。
日本全国で人口減少が進む中、益田市がいくら企業誘致や移住促進に力を入れたところで、人口が減る現実からは逃れられないことがわかっていました。だからこの10年、社会活動や教育などを通じて、せめて「益田市を好きになった上で出ていってもらう」ことに力を入れてきた。その中から生まれたアイデアが、この「仮想益田市民構想」です。
東京と比べれば仕事の選択肢が少ないのは事実だから、いくら益田市が好きだと言っても、仕事を求めて出ていってしまうのは避けられないこと。ですがコロナ禍がきっかけで、今ではリモートワークが当たり前になりつつありますよね。
バーチャル空間に益田市民が生まれ、そこにコミュニケーションが生まれれば——。もしかしたらそれがきっかけとなって、リアル空間としての益田市に新しい仕事や活動が生まれる未来だってあるかもしれません。
保存できる世の中、そして保存したい世の中に
——『Re:Earth』を使っているのは自治体の職員や市民ということですか。
そうです。場合によっては中学生などが使っていたりもします。
メタバースやデジタルツインに関しても、さまざまな技術を組み合わせてなにかを作るには、これまではエンジニアやデザイナーの働きが必須でした。そのため、国が各自治体に割り振った“スマートシティ予算”のようなものも、結局は東京に流れてしまっていたんです。
けれども繰り返しになりますが、『Re:Earth』であればノーコードで、自分たちで作ることができます。プラグイン機能もあるので、足りないものがあればそれもローコードで付け足すことができる。我々がやらなくても「まちのIT屋さん」が作ることができるわけです。このことの持つ意味は大きいと思います。
——そうやってたくさんの人が『Re:Earth』を活用し、多様なデータをアップロードしていくことが、ゆくゆくはEukaryaが目指す「すべての情報を保存する」ことにもつながっていく?
その通りです。多様な情報が集まることにより、逆に現状では集められない情報、保存できない情報も浮き彫りになります。必要なデータベースのあり方や技術もリアルにわかるので、それを開発していくというサイクルが回ります。
その先に、ありとあらゆる情報を保存できるデータベースが完成する日こそが、私たちの目指す未来です。もっとも、私が生きているあいだにそこまでいけるとは思っていませんが。
ただ、『APLLO』も『Re:Earth』もオープンソースとして公開しているので、たとえ私や会社がなくなっても、誰かが引き継いでくれる可能性はある。技術と思想は残っていくものだと思っています。
——最後に改めて、田村さんはなぜそこまでして「すべてを保存」したいのですか?
これは会社としての総意とは言えないかもしれないですが、私自身のバックグラウンドは地理学にあります。地理学とはなにかと考えたら、それは「地の理を記述する」学問のことです。
たとえばグーグルアースなどのアプリケーションを用いれば、日本にいながらしにして世界中のことを知れる時代になりました。でも、そうは言ってもまだまだ記述できるものは残されているはず。地理学者としての使命をとことん突き詰めた先にあったのが「すべての情報を保存する」という方向性でした。
けれども、私たちのやるべきことは「すべての情報を保存できるようにする」ことだけではありません。それももちろんですが、並行して「保存したい世の中にする」ことも、自分たちの使命だと思っています。
——どういうことでしょうか。
将来、本当にすべての情報を保存できるデータベースが完成したとして、その時に「保存したい」と思える世の中じゃなかったら嫌じゃないですか。
核廃絶に向けたアクション、難民と一緒に仕事をすること、新しいファイナンススキームを組み立てること……。私たちがデータベースの研究開発にとどまらないさまざまな活動をしているのは、すべてそのためなんです。
「すべての情報を保存できるようにする」と同時に「保存したい世の中にする」——。それがEukaryaという会社の取り組んでいることです。