尾崎と漱石―「オフィーリア」から考えるGGの再始動―1/3
はじめに
warbearの新作『Patch』は不世出の名盤となった。前作『warbear』からおよそ5年、一種の古儀式派じみた厳格さ、真摯であればあるほど飢えていくような殉教の身構えは古い伏流としてみなぎり、しかし全体として今作を覆うのはさしあたって彼が「愛」と呼ぶことにしている温かな切実さだ。ニ枚を比べ聴くとき、私たちは詩人の隔ててきた時間の長さを思い、傷ついた熊の永い眠りというものは案外息苦しいものなのかもしれないと、あえかな想像の枝を広げることになる。
先に掲げたのは「オフィーリア」の一節。私たちはこの題と、それから詞を読み、思わずそこで立ち止まらざるを得ない。めいめい色も大きさも違う古した鞄の底をひっくり返し、既に通り過ぎてきた言葉や色彩、あるいは旋律を再び思い出そうとする。手つきは重く、仕事ははかばかしくはない。深い水槽に沈めた口をきかない魚のように、記憶は掌に身を預けながらも自ら顔を出そうとはしない。ただ、それでもそいつをどうにか引っ張り上げて日向に晒してやれば、ああ、こんなに綺麗な色をしていたのかと息を飲むほどの、鱗の美しさに目を奪われるのもまた、確かなことだ。
1.「オフィーリア」をめぐって
1-1.『草枕』と「オフェリヤ」
尾崎が参照したであろう絵画について、屋上屋を架すのは止そう。オフィーリアというモチーフをめぐってここで取り上げたいのは、文人・漱石の「草枕」(1906年)だ。
言ってしまえばこれも私の独創ではない。「草枕」では「オフィーリア」の絵が明らかに名指されて作中に現れる。
那美さんという娘に「オフェリヤ」を見出した「余」は画家である。画家の仕事は自らの住まう世を浮世としてではなく「風景」として生きることであり、それによって苦悩は取り払われるというのが芸術家たる「余」の一つの生の倫理である。
ここでその倫理の是非を問うつもりはない。小説は次のように閉じられる。
那美はこの時点においてバフチンのいうところのポリフォニー的人物としての資格を失っている。いや、狡い言い方はよそう。那美の人格はほかならぬ「余」によって奪われている。むろん、ここにはジェンダー化された聖女志向もまた差し込まれている。「余」は女を一種の聖像として見、そこに「画」を見出す。改めて指摘するまでもないが、ここには見る主体と見られる客体における無機的なまなざしの倫理が働いている(使い古された雑巾のような匂いのする言葉だ)。
1-2.「SIREN」のまなざし
さて、芸術をめぐるこのような「伝統」は――その濃淡こそあれど――残念ながら現在にまで息づいており、表現において尽きぬ泉にさえなっている。そして、ほかでもなく2000年前後のジャパニーズ・オルタナティブ・ロックは、そのような伝統を色濃く受け継いだ表現ジャンルであったと考えてよい。たとえばそれをもっとも直截な形で、文学への志向とともに詩作に表したのが木下理樹であったし、ここで問題とするところの尾崎雄貴という詩人もまた、あるいは彼もまた文学経験を通してこの影響を色濃く受けた一人である。あえてここでその具体例を挙げなくても良いだろう、出発点としての「SIREN」を思い出してみるがいい。
取りなされるのはコミュニケーションとは呼べないコミュニケーションであって、「僕」はそこにひとつの救済を幻視している。まなざしがかち合わないこと、「それだけでいい」というのは決して譲歩ではなく、「君」にたいして「僕」がそれをしか求めていない、客体としての物言わぬ聖像を求めているという心性の表れに他ならない。激しいイコノクラスムに遭った敬虔な信徒たちが自らのそれをしてイエスの人性を描いたのだと主張しても、イコンはどこまでも装飾的でしかないのと同じことだ。尾崎はその心性をある程度保持しつつ、ときに先行する芸術作品をも呼び込む形で自らの物語世界の形成に執心していった。
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