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Connecting the dots

2024.12.1
Kolokol Acoustic Theater Live
「Triangle」
白金高輪 SELENE b2



開幕を飾ったのはfairy tale
ピアノサウンドのイントロ、始まりの唄。
アコースティック最初の音を発するのはきのちゃん。
重圧凄かっただろうなあなんて。

ぜひ今一度、nostalgiaの音源、そしてワンマンライブの映像を観て、聴いていただきたい。

全曲そうなのですが、はじめから歌割りやメンバーが変わっていないことによる新たな発見や郷愁を同時に味わえる。
まあ端的に言ってしまえば、うまくなったなあと。
(何様?というのは置いておいて)

1曲目で泣くのは早すぎたけど、それだけ想いのこもっていたんだなあと。少し危なかった。

カーニバル
こんな序盤で!?てか、やるのかよ!!
というもところが大きかった。
夜が明ける。4人が歌い出す。
Kolokolの魅力は何といってもユニゾンにあると思ってる。
アップテンポで勢いに任せて走りがちになりそうな1A
や2Aを丁寧に歌詞をなぞる。
全体通して感じたのは、ひとつひとつの言葉を、歌詞を、しっかりと噛み締めるように大切にその音を発して次の言葉へと紡いで、繫いでいく、Kolokolの楽曲に対する愛。
これに尽きる。
2曲目でそれを感じたので、次にCompassが来て早くも崩壊。
あきほちゃんの力強さと繊細さのこもった歌声がアコースティックでさらに輝きを増す。

あかんわ。
とか言いながら周りを見渡してみると乗っていたり笑っていたりステージに向けるその表情がとても素敵で、こんな序盤で泣いてんの早すぎるわ、と、下を向いてごまかしてました。
良い曲ですね。

コンセプト的には雰囲気も一番合うかなと思っていたのが魔法のうたで、ドンピシャリ。
さきちゃんの歌い出しがもう平和そのもの。
そして最後のロングトーンからきのちゃんの声、アウトロがほとんどなしで終わる珍しめの一曲。
数年後にこども向けの歌番組で流れていても何ら不思議はない。
歌詞の解釈は進んでないけれど、日常のありふれた魔法のような奇跡に気づき、世界の美しさ、やさしさを知る、みたいな。たたかいやあらそいが終わった世界のような世界観を感じさせてくれる。
手拍子もこういうライブには合うよね。

魔法のような世界はもうここにあった。

MCではいつも通りギャップあるキャラクターを炸裂。
これがまたいい。
各々楽しんでねと言うきのちゃん。
言葉のチョイスがやっぱり好き。

明けの一曲目は今年の代表とも言えるCheers To Me
念願だったこんな日には乾杯の歌を。
自然に出たオーオーオー🙋‍♀というのも良かったなあ。
インタールードのような繋ぎの音から、普段とは違ったピアノイントロで、始まるまでわからないというのも魅力のひとつだった。
これもあきほちゃんの歌い出しが強烈な一撃を与える感じ。

そんな中、突然訪れたDeeper Deeperに不意を衝かれた。
今回はなんなら着座でも良かったと思ってたほどだったので、何もしないで観るようにしようと思っていたけれど、思わず踊りたくなってしまうほどにうずうずしてたくらいには音と動きが染みついていたのかもなあと。
こんちゃんのクセ付けの歌い方のかっこよさが際立っていた。

続けてもアップテンポの激しめDead End
このあたりもやらなそうというのがあったので、かなり新鮮みがあり、そして何より英語の歌詞をアコースティックでやる良さを声を大にして言いたい。
2サビ前のあきの繋ぎが本当に秀逸そのもの。
2番前とアウトロをカットしてたのもこういうのならでは。
映像をちょいちょいしか観られていなかったら、気づけば暗くなり、陽が陰る。
西日が蝕むBlight Setting Sun
もともと相当の歌唱力がないと難しそう、という思いがあり、被せが音とマッチして波のように迫る歌声が素晴らしかった。

そしてまた映像を観てるとなんとなく来るなと思って流れた流れ星Miss Shooting Star

会場が人で埋まり、これだけいるとどこか見つけられないだろうな、みたいな“斜”の思いがあり、ゆっくり観るか、と思っていたのに、やっぱり期待をしてしまう。
私たちは星を見上げて確かにそれを観られるけれど、恐らく星からは私たちが見えない。
なんてポエマーぶりながら。

泣きそうになりながら彼女はきっとどこにいても見つけてくれるんですよね。

再びのMCからは楽しいパート。
相当好きなRascalをここでやってくれたのはうれしかった。
純粋に曲としてトップクラスで好き。
以前も触れたが、いわゆる沸き曲的な扱いの歌い出しが「唐突な斜光」なんて文学的なことあるだろうか。
普段は跳び、踊り散らかしてる曲もこうやって観ると改めて曲としての良さを実感できる。
「あぁ だけど」
が過去イチのロングトーンで終盤の苦しいなかでよくやりきってくれました。
そして静かに聴きつつもうずうずしていたオタクたちの渾身の、このあきコール、本当に良かった。

Sundance
Kolokolの新章を告げた象徴的なハレの楽曲。
新しい門出。
“争いもなくて悲しみもない世界 そんなものは夢物語だって誰かは言うけれど”
彼女たちの曲や歌声を聞いていると、本当にそんな理想を叶えてくれるような気分になれる。
統一的で絶対的な幸福が無い中で、みんなが幸せになれる、そういう力がある。
世界の果てまで鐘の音が届いて欲しい。

Ring Ding Dong
アコースティックには鈴(鐘)🔔の音が似合う気がする。
あとこれも英語の詞でとても良いんですよ!🗣📣
これからの季節にも似合いそう。

アコースティックライブの〆を飾るのはBonfireでした。
これほどまでに用意された舞台装置もそうないなあと。
山で夜に皆で火を囲んでこの歌を歌うのが私の夢です。

ワンマンライブの度に始まる前に不安というか少し落ちたような気分になるのが相変わらずで、
でも終わるといつも満ち足りた思いになれる。
いまのKolokolのアコースティックライブを観られて良かった。
ただそれに尽きる。

そして、Kolokolの歌がこんなにも好きな人が多いんだなというのが感じられてうれしかった。
やっぱりみんな騒いで暴れたいじゃない?
そこを超えて(?)ただグループの曲を聴きに、観に、コンセプトのあるライブに足を運んでくれたという事実だけで、次のステージへの糧になる。
そんな気がした。

サポートメンバーが捌けて、4人だけになったのでもしかしてアカペラやんの??????と思ったがそんなことはなく。
新曲Talkieをお披露目。
「トーキー」とは音声と映像が同期した映画のことで、
ミッキーのあの映像を観たことある人が多いかも。
音のなかったサイレント映画から技術革新で生まれた今では当たり前になってること。
ラジオで音源が先に公開されたのが非常に粋だなあと
思った。
というのも、昔、アメリカではトーキー(映画)の宣伝にラジオがよく使われていたり、音だけのラジオと、もともと視覚的な映像だけであった映画は実は密接な関係があるそうで。
アコースティックのコンセプトライブが決まって、ラジオが決まって、この曲ができて、その順は想像の域を出ないが、全てが予定調和のようにうまく嵌まっている気がした。
歌詞ちゃんと目を通していないけど、「星」がまたあるようで、
このさきのあらたな景色を見せてくれるような展望と希望のこもった歌。
また深く掘り下げていけたらなと。

劇場のエンドロールは
WitchStarlit

全部アコースティックでもおもしろかったかもと思いながら、最後に3曲これらを残した意味も考えるとおもしろいかも。

見えていた月はいつの間にか地球になっていたのははじめから叙述トリックのようなもので、地球から見ているという錯覚、宇宙のとある星から空(宇宙)を眺めていた、なんて考えてもおもしろいかなって。

何でTriangleだったんだろう。

それではまたどこかで🎞

                  


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