太陽と星の位置
2023年のRingDingDongツアーファイナル東京公演で披露されたKolokol🔔の新たな武器。
☀ ”””Sundance””” 💃
歌詞や衣装、振り付けから、「祈りを捧げる」テーマなのかなという印象を受けますね。
What is Sundance??
→もともとは「和平への祈り」が目的らしいです。
両手を空に向けて振り上げて🙌降ろす🧍♀
また上げて🙌
顔の横でふぁっふぁっと✋👧✋
まさに天(太陽)に向かってのお祈りを捧げるかのような踊りがあります。
冒頭の歌い出し、3人が囲んで藤本さきちゃんが山の端から見える太陽の如く歌い始めるこの演出は初めて披露されたのを目の当たりにした際、どこか既視感があるような気がしました。
そう、Miss Shooting Starのあのパートです。
(cf. 34:53~)
4人が一列に並んだあと、サッと3人が三方に向き、道が開ける。
間から出てくるさきちゃん。
”Miss Shooting Starどこにいった?必ず見つけるから”
「ここにいるよ」と言わんばかりの登場の仕方ですね。
こういったなんか似てるなあ、重なるなあというのが意図的か、偶然かは神(作り手)のみぞ知る。
ただ全体を見るうちに、偶然の一致だけでは済まされないような繋がりのようなものが見えてゆき、ひとつなぎの秘宝が姿を現す。
Kolokolの曲はわりと明暗がはっきりしているように感じます。
【明】
Mr.AやThe Circus is Coming、カーニバル、Give it upやRascalなど。
【暗】
DoodleやBlight Setting Sun、スコール、ToYBoX、などなど。
まず紐解いて行くにあたって、持っていたいくつかの疑問の内のひとつ。
この曲─Miss Shooting Star─に関して、そもそも”Miss”がどういう意味合いで付けられているのかという話になってくるのでいきなり始まります。
実は最初はあまり意識しなかったので、
この「ミスシューティングスター」で一語のように錯覚していました私は。ミスシュー。
考えうるのは多分次の3つ。
①女性の敬称
②「~がいなくて寂しく思う」の意を表すmiss
③「見失う」の意味でのmiss
それぞれみてみましょう。
①
この場合のニュアンス的には、
「ああ、流れ星様よ……」のようなものを含んでのそれと考えました。
あるいはMr.Aに対する言葉遊び的な要素。
イタリア語のStellaやフランス語のetoilなどは女性名詞なのでstarもそうだろうと合ってるのかもしれませんが、ちょっと弱いかなとか思ったり。
まあただ1,2番共にサビ前のパート(I want to wish Miss~)に登場するのがこの意味で通るのかなと。
②
見えない流れ星を思って寂しく思う。
確かにありそうですが。続かないような気もする。
③
直後の「どこにいった~」の歌詞からこの解釈が自然にも思えました。
例のパート(さき、あき)でのセリフのそれはこちらなのかなと。
ただまあこれによりまた風呂敷が広がってしまうのですが。
歌詞の表記が大文字であることと文脈から考えてやっぱり①で見るのが自然かなと。
書いているうちにどんどん繋がりのようなものが見え、視野の狭さを実感しました。
解釈や考察はまあその想像の域を出ないので、あくまで個人的なものとして捉えていただけると幸いです。
とはいえ、ひとつの見方にハマってしまうとそこから抜け出すのにわりとバイアスなしに見るのは難しいというのもあるので、一応自分なりの世界観の解釈をしたい方にとってはネタバレ注意ということで以下、ご了承ください。
まず、大前提といいますか、コンセプト。
「囚われることのない様々な世界観を叙情的かつ繊細に歌い上げる」
そして、実はちょいちょい語られていたり、グッズをよく見ると書いてあったりするのですが、
”””(It’s a)Story with you”””
madeが入っていた気がしなくもないですが、
ともかく日本語に訳すと
「あなたと作る物語」
実はこれがKolokolのテーマとなっております。
そしてこれが原点にして核、すべてここから捉えていくということが、ああ、いま、わかりました。
問題文をよく読みましょうと言われたことがありますが、まさにそれでしたね。
導入として、まず歌詞に散りばめられた言葉、曲ごとに同じ言葉が登場するものがわりとあります。
共通項として多いのはやっぱり「星」☆ですね。
これがかなりのキーワードなようで、数えてみたら多かった。
曲の題にもなっている
Pale StarやMiss Shooting Star、Starlitはもちろんのこと、
見えない星空を想うCheap Lens
おとぎ話の題材そのものfairy tale
明るいのにどこか寂しさを感じる夜空のVISTA
Dead Endにも”stars”として登場します。
文脈的にThe Circus is Comingや見落としがちですが千年樹物語にも「星」が登場します。
最初に考え出したとき、思い当たったことはBookmarkの捉えきれない世界でした。
歌詞だけ聴くと想像はしやすいのですが、実体として捉えづらく、ぼんやりとしたイメージしかできておらず、また考えようと置いていたところ、
スコール
千年樹物語
Witch
Miss Shooting Star
この4曲がなんとなくどうしても切っても切り離せない(ような気がしてなりません)ともともと思っていたのですが、
ところがどっこい4曲どころではないッ!!??ことが判明してしまい、慌てて全曲の歌詞を洗い出したところ、
徐々にその、ひとつなぎの大秘宝🗺
が顔を覗かせてきました。
§1
まずスコールから見ていきます。
””さいたものは花じゃなくて解けた僕の魔法”””
これ表記揺れがあるので間違っているともう破綻するのですが、
冒頭の”咲ける花を僕は知ってる”
以外では「さける」「さいた」がすべて平仮名表記になっています。
誤字か意図的か。
「ああ、それ変換忘れてただけなんですよ~~」
という歴史的言い間違いのようなうっかりだという可能性がないこともないのでこれこそ想像の域を出ないのですが、
意図的であると信じましょう。
つまりこう。
「花」が「咲(ける)」く、ということを、
「僕」は知っている。
頭の中では理解している。想像できている。
しかし、実際にはこの花は咲いていない。
”雷鳴のように”とあることから、「裂ける」という言葉も類推されます。
どこから来たのかを遡ってみると、
これはおそらくWitchにてかかっていた魔法で、それが解けた(裂けた)。
という解釈が得られます。
幻術、のようなものですかね。
そして逆を追って、Witchの冒頭ではなぜ、足下に砂がある(舞ってる)のか。
この曲のイメージは各人様々なものがあると思いますが、
私の中では広大な砂漠のような情景が浮かんでいて、
(そこで主人公と魔女が対峙している)
MSSの2番に出てくる「砂埃舞う夢の中」はおそらくこのWitchで見た光景なんじゃないかという結論に至りました。夢か現か、幻か。
§§
~Witchの時系列~
そのままの流れでこの曲の解釈を捉えると、
スコール以前の記憶、すなわち過去にあたります。
砂が「舞ってた」
魔法「かけたりした」
地図を「描いた」
主役「だった」
など多数見受けられる過去形の表現。
現時点から見た過去。
全ては思い出に、記憶の中での物語。少年と魔女の記憶。
この曲の歌詞の一番の激ヤバポイントが
”””僕らは僕になって”””
というフレーズです。
何十回、何百回とあるいは聴いたかもしれないのにスルーしていたというかその意味を捉え切れていなかったです。
僕らは僕になる、と聞くとなんとなく意味は伝わりそうですが、言葉遊びのようにも思えていた為、永らくそこに引っかかりませんでした。
まあ単純に考えるとWeがIになって、という意味合いで、それはその通りのまま。
イメージするとわかりやすいのが青春アミーゴの
”俺達はいつでも2人で1つだった”
という表現ですかね。
何をするにもいつでも一緒で、そこには俺もお前もなく、ただ俺達だけ。
それがいつの日にか、自分だけになってしまっていた。
不老あるいは不死のような存在で描かれる魔女は、いつしか年を重ねて大人になってしまう少年とはいつまでも一緒のままではいられない。
軈てやってくる「さよなら」
今となってはそれでさえも愛おしい。
なぜか。
それはいずれなくなってしまった(空白に変わった)としても、
いつだって目を閉じればいつでもそこで、「君」に出逢えるとわかったから。
君のことを思い出せる。
君との物語を永遠に続けられる。
その契機のひとつとして、「逆光に(反射的にするように)目を閉じる」とかしてという言葉の呼応のようなものを与えたのかなと思いました。
海底に眠るお宝や長いトンネルの先に別世界が広がっている、というのはおそらくこどものころにしたことがあるであろう想像の世界。
どんな物語も頭の中では作っていける。君と。
§§§
続いて千年樹物語にて
冒頭、軽やかな鈴の音から始まったかと思えば、激しい音の波が押し寄せ、ご存じみなさんが跳ばれるまで、力のある音で序盤~中盤にかけて物語は進んでゆきます。
そして終盤、雨が降ってきて(ここに差し掛かって)、急劇に静かになる。穏やかになった。
”””雨が降ってきた夜明けに 大きすぎる傘の下で今は二つ”””
「二つ」とあるので文字通り、木漏れ日を浴びている存在が二つある、すなわち2人いると推察されるのですが、
大きすぎる傘→大樹(千年樹)
と考えられます。
と、いいますかそもそもこの歌、誰視点なのか、という本当にそもそもに立ち返りますが、
暦を数えて歩いているのも、
ずっと見守っているのも、
木漏れ日を浴びているのも
もちろんどれも大樹ではなく主人公、
まあ端的に言ってしまうと魔女ということになります。
Witchはまだしもこれも魔女?とこじつけだという気持ちもわかります。
しかし千年樹、千年(実際の1000かは不明ですが)もの間、木が芽吹いてから大地を覆い尽くすほどまでになる大樹を見守ることができるのはおそらく魔女なのではないかと。
毎日毎日、独りで過ぎていく日々を数え、また朝になる(木漏れ日を浴びる)。
吸血鬼と重なりそうなのですが、多分魔女も陽の光には弱いはずでしょう。おそらく。
夜に眠らずに、朝になり寝床に就く。
一日をまた、終える。
芽吹いた頃から木々が鉄にかわってしまうよう途方もなく長い間、「君」を待ち望んでいた。
超絶純愛歌唱曲だったんですねこれ。
かつて一度出会った存在とめぐりめぐって千年、輪廻転生を繰り返し、ようやくまた、出会った。
君と出会った「あの頃」に見上げると夜空に浮かんでいたのは今も変わらない「緑の星」が。
ちなみに、肉眼で人間が観測できる星のうち、緑色(のよう)に見えるのはてんびん座♎β星という星だけらしく、そもそもヒトの色覚的には緑は赤の補色関係にあるため、主星がそうであると錯覚を起こす、実際には黄色っぽく認識してしまうために認識できたとしても微かで、その実、青白っぽく視える、ということらしいです。
(魔女の色覚はわかりませんが)
そして、
青白い星、すなわち、Pale Starです。
あの霞んでいた星の正体……。
(或いは樹木に覆い尽くされた大地の光景を想いながら、「緑の星(🌏)」といったような形容とも捉えられます。)
鮮やかに大地を覆い尽くしたのは、いつかそうなると思った「咲いたこの花」
千年樹物語の最後にはこう綴られています。
”””物語はずっと続いていく 僕らだけの中で”””
先ほどのWitchとリンクしているかのように、
いずれも、主人公(視点)の記憶の中では、物語は永遠に続いていく(る)ことを暗示しています。
§§§§
そのままMiss Shooting Starに移ります
(冒頭の文章と被るかもですが)
あの雲がなければ見えていたはずだった(スコール)
ひとりぼっちでずっと広い荒れ果てた大地を走っていた(Miss Shooting Star)
幾度も幾日も繰り返され、そして夜は明け、大地には雨が降りはじめた(千年樹物語)
雨は軈て大地を潤して木々が芽吹く。
(これは後付けでメタ的なのですが、きのちゃんの歌う”何度目かさえ”の部分で生えてくるように跳ぶ姿が、芽吹いた様子に見えなくもないというのがまたおもしろいですね)
「(眠れない)夜は(ひとりぼっちで)寂しい」から
(あの星が)「消えないで欲しい」
(君に)「そばにいて欲しい」
”give me a lot of stars”「たくさんの星をちょうだい」
このひとりぼっちで寂しい夜を照らし寄り添ってくれるように。
さて、そんな「夢」を見てた。
ずっと探していた「君」を見つけた。という。
読みかけの本に挟まれていた、なくしてしまった「栞」は、ここもちょっとメタ的になってしまうのですが、Bookmarkというタイトルがここで回収されるのかなと解釈するとうまく纏まってくれるような気もします。
Witchや千年樹、スコール、MSSで描かれていたひとつなぎの物語はすべて、本の世界(夢の世界)で暖炉の前で聞いた、幼いころに親に聞かされた話と…………。
ちょっと視点が複雑すぎて紐解ききれないような、矛盾も孕んでいそうなのですが、伝わってくれ。(文章力……)
振り返った彼女が「”夢を見てた”らしい」というのは彼女視点ではなく、彼女と対峙している誰か、この場合も少年と考えられます。
最後、この曲の締めに用意されている言葉は
「夢を見てた」
こちらの括弧付きのセリフはおそらく少年に放った彼女の言葉。
唐突にこれで終わるために非常に難しい。
魔女は少年がいなくなってしまうことを憂いています。それがいつかは来るということはわかっている。
少年がやがて大人になってしまうということを。
少年の影にそれを見いだしてしまい、やがてくるそのわかっている未来も見えている。
「ただ名前を呼んで欲しいだけ」というのは愛する者への欲求のようなもので、自分のことを、自分に関してのことを覚えていて欲しいというような存在証明、確かにここにあったという軌跡。
そしてここで登場するのがスーパーレア曲know me
意味をスラング的に捉えてもいまいちピンとくるものがなかったため、文法的な正しさはわかりませんが素直に「私のことを知って」というよりは、knowという語の意味合い的に「知っている(状態である)」ということから「私のことを覚えていて」とするのが妥当かなと。
歌そのものに想いが込められているメタな存在。
そして心情自体が歌われているのがUntil The Endという曲で、
終わりまで?
終わりまで、なんなのか。
歌詞にある”この歌を覚えていて欲しい”という想い。願い。
空を舞っている青い音符の正体はすなわち見失ってしまった、見つけたかった流れ星で、
(心の)空白を、夜空の寂しさを埋めるように溢れるほどの星々。
ところで先ほど触れられなかったDead Endについて。
バチバチのサウンドで英語詞を織り交ぜたこの楽曲を読み解くのが後回しになっていました。
なんとなくかっこいいけど文脈は?という感じでしたが、ひとつひとつ紐解くと浮かび上がってきます。
舞台設定は戦乱とまではいかないまでも、rampageや凄惨な現状というワードから荒れた状況ということが読み取れます。
1,2番ともに”in this heavy rain”ですからやはり雨が降り頻っています。狼が恐れる喝采とは激しい雨が打ち付けられる音。
楽曲紹介の際に書いた、まどか☆マギカの戦闘シーンが本当にしっくりくるほどそのイメージの通りなのですが、やはりといっては偶然の一致か、これも魔(法少)女。
レアな魔女側の視点の物語。(のはずですが、少年視点で見ても一応辻褄は合います)
だから英語で語られていると考えると無理矢理いけるのではと。
2番で登場するセリフに特に着目しました。
「私があなたの名前を呼ぶから」
(心の声に)耳を済ませ、少年のこのセリフを思い出す。
”You're not alone”という言葉をいつも何回も言っていた。(1,2番のこれはかつて魔女が少年に言っていたと考えます)
窮地に追い込まれた?魔女は最後に自分が笑っていることに気がつきます。
この星降る”聖なる夜”に、今更命を無駄にはできない。
ここはまだ終わりじゃない。
なぜなら「私達はひとりではない」─”We're not alone”─から。
たとえいなくなって見えなくなっていても少年はそばにあり続ける。
戦いを思わせる曲はもう一つRebellionです。
ワードが散りばめられているだけで曲だけではとてもじゃないが概要すらも掴めないこのかっこいいレア曲。
”もう孤独に立たせない”
ひとりぼっちにしてごめんね、じゃないですが、2人でいたという証(灯火)。光。
僕らの中にある光。僕らを何度も立ち上げる光。
その赦しを乞うていたのかもしれないですねforgiveで。あるいは弱かった自分を赦してあげる勇敢さか。
忘れていたことを許して欲しいという思いか。
冒頭がいきなりミスリードという可能性のような気がしました。
「枕に叫んでた眠れぬ僕」が「気にしないで」と(誰かに)言い聞かせた
のではなく、
枕に叫んでたのは少年で、「気にしないで」と魔女が言う。
しかしその声は届いてはいない。
少年にはもう魔女は見えない。時折何かを思い出しそうになります。
「感じあう」「僕ら」
とあるようにweで語られる場面は基本的には魔女の視点のようです。
目まぐるしく視点が変わって展開されていると考えました。
奥に隠した~
僕の胸に空いた穴~
のところは少年(多分)。
”story with you”を最も表したこの曲は実はKolokolテーマソングと言っても過言ではない(はず)。
ちなみにさきちゃんが好きです。
私も好き。
終わりじゃない、という認識はBlight Setting Sunで捉えられています。
MSSとの元二大3文字略称曲。
まさか繋がっているなんて思ってもいませんでした。
星と太陽という真逆の関係。
やっと出てきたよ。
Blightは前述の通りで
(植物などを)枯らすもの
(やる気などを)そぐもの
の意味合いがあります。それが沈みゆく太陽。
魔女は(多分)陽の光がダメなので”光を拒む”
活動が始まる夜の到来を告げるのがこの日没で、またひとりの夜がやってくる。
ひとりでいることに軈て慣れてしまう。
そんな、信じては裏切られを繰り返しても諦めずに止まらず、進み続けるしかないという思いの歌。
そんな勇敢さの答えがBRAVADOで見られます。
Give it upにも呼応しているようにも思うのですが。
サビはやはり「あなたの言葉」の内容そのものと考えるのが自然で、それだけではなく、
”あなたはひとりでは生きていけない”
というのが鍵で、
それに応えるように最後は
”私もひとりでは生きていけない”
という言葉で締め括られます。
さあ、時系列をざっくりしてみると、
Bookmark自体はメタ的に物語のフレームの役割で、
千年樹物語
↓
Witch
↓(Rascal)
Give it up
↓(Lullaby/Until The End)
Pale Star
↓(Rebellion)
Miss Shooting Star/Dead End/Blight Setting Sun
↓(BRAVADO)
Doodle
↓(forgive)
Strawberry Pie
↓(VISTA)
Hello
↓(ToYBoX/Theater)
Fanfare(これがやっぱり〆…………)
こんな感じですかね。イメージです。
もちろん一方通行ではなく。
全体の捉え方ですが、やっぱりバッドエンド、かなしいまま終わりたくないじゃないですか。
個人的にはバッドエンドとか胸糞系は嫌いではないのですが、アイドルとして、作品として、ね。ファンタジーとして。
そして、そもそもなのですが、歌が個々に意味を成しているというよりは、それぞれが繋がっている。
もっと言うと、
「Kolokolという全体がひとつの物語」
であり、個々の曲は各所の物語、章ごとに区切られているものと捉えると綺麗におさまりそうという結論に至りました。
そして、一見繋がりがなさそうに思える曲も、そういう視点で捉えれば、もう全部そうなんじゃないかとさえ思えてくる不思議。陰謀論?
Strawberry Pieを私は以前、とある少年同士の物語と解釈し、それはそれで単体としては筋が通っていたのですが、こういう視点になった今、もはや別の曲です。
少年(人間)視点で捉えられますが、なんというか魔女とパイの関係性ってあるよねと考えるとそういう繋がりもありそうです。物理的な心臓というよりはやはり心なのかなと。
同様にわかれ(死別)を想起させるのがDoodleですね。
シオンの花言葉は「あなたを忘れない」「追憶」というものがあるそうです。
さて残した君の嘘、というのが気がかりです。
「なんだかよく分からなかった」と主人公は述べています。
”さよならまたね”
と言ったのに
”さよならさえ(僕に)言わせずに君は”(去ってしまった)
「(君が)さよならも言わずに」という表現ではなく、自分視点で描かれているのが引っかかりますが。
doodleの意味は落書きや意味のない線など。
単純に追憶の曲としてだけ捉えるのは早計な気もしています。
実はこの曲、ワンマンライブにて冒頭の振り付けが変わりました。
天に向けて片手を伸ばすものだったのが、両手を用いた全く異なる(ように見える)ものに。謎は深まる。
Give it upの場合、
「歩き出そう」と明るく鼓舞するようなセリフから始まりますが、
冒頭ではいじけたように「君」は自分自身を世界で一番の不幸だと自虐します。
それに対する魔女の返答は
”世界一不幸ならもうこれ以上下がることないね”
と、その曲を聴く度に、めちゃくちゃポジティブやんなあと思わせてくれるものです。
そんな「君」(=少年)のために「僕」(=魔女)は”歌を歌う”
どうかまた君が笑っていられるように。背中を押す。次の扉を開けるよう一歩踏み出す。
でもそれは君自身が君の中で生み出した僕という存在によって力だから、君の強さ(勇気)そのものに変わりはない。君自身の力で、自身の足で歩いて行けるようになった、ということを表していると。
そんな一歩踏み出した日というのは、誕生日やクリスマスよりもめでたい。
今までの弱気な自分にGive it up(=諦める、さよなら)を
素晴らしい門出の君へGive it up(拍手)を
といった意味合いも隠されていそうだなあって。
そしてそんなきっかけとなるのが”鐘を鳴ら”すこと。
Bookmarkの瀬戸際で聞こえる”鐘が鳴った”のはこの音にリンクしているように思いました。
Helloという曲は終わった世界のイメージと以前書きました。
(ジャケ写も相俟って?)
”この世の全てが思うようになってしまったらどうなると思う?”
(全能の)魔女は少年に尋ねるも、
「君だけは変わらないと思う」と答える。
どこか明るいこの歌は「またいつか」めぐりめぐって会える前向きな成熟したお互いの心情が表れたような世界観を構築しています。
”もういいよ終わったよ”
この呼応はVISTAに見られる”もういいかい?もういいよ”の部分で、ここも楽しい昔の記憶が展開されています。
さらに「僕らを繫いでいる」”君の作った歌”が聞こえる(覚えている)。覚えていて欲しいと願ったあの歌。
見えなくても、触れなくても、「君」をいつも感じられる。
大人になるにつれてなくなってしまったものも、心のどこかに置かれてある。
大人になって見えなくなってしまったもの、失った子どもの心を歌ったThe Circus is Comingとカーニバルは切っても切り離せない関係にあります。
サーカスが街にやってくるドキドキ感。
大人になってしまっても、思い出せる魔法の言葉。
いつも心にあって、ただ見えないから忘れてしまっている。
他方、心の中や頭の中ではどんなものも描いていけるという発想はToYBoXの世界で語られています。
少年と魔女、と具体的に挙げましたが、こどものころに皆さんも人形やぬいぐるみなどが自分の理解者であるかのように話しかけてみたり、ごっこ遊びの相手として、まるで本物の実在してる、生きている友達かのように振る舞った経験があるかもしれません。幼い子供時代にはよく見られることだと思います。
だけどいつのまにか、成長するにつれてそういうことはしなくなり、人形が話してくれるかもしれない、動き出して一緒に遊んでくれるかもしれないといった純粋な心もなくしてしまう。現実を受け入れるようになる。そしてなくしていることも忘れている。
すっかり使われなく(遊ばれなく)なって部屋の隅に置かれたおもちゃ箱は埃をかぶってしまっている。
おもちゃ箱をこどものときに持ちあげるのと大人になってからするのでは、後者の方が軽く感じるはずだと考えると思います。
ですが久しぶりに持ち上げてみたそれは”ちょっとだけ重い”と感じるものであった。
「埃の分だけ物理的に重くなったのでは?」と考えるのは大人です。(というか理系?)
文学的なアプローチをすると、重いと感じたのはおそらく「思っていたよりも」という比較が入りそうです。
が、この伏線もやはり千年樹物語に隠されているのではないかと。
カタカナで書かれた”””ホコリ”””
塵や芥といった目に見える「埃」
心に募る目には見えない「誇り」
箱を持ち上げたとき、埃は落ちそうですね。
プライドというニュアンスの方が或いは近いのかもしれません。
過去の柵(しがらみ)を取っ払って、決心して持ち上げてみたらホコリが舞い踊って、「重い」と思ったのは自分の決心への腰の重さ、忘れてしまったものを、今思えば気恥ずかしさを覚えるような過去のなかったことと思いたい矜持を重く自分自身が感じていた、という解釈だと腑に落ちました。
また思い出すことで、自分の中で物語はずっと続くのだと。
そんな少年(少女)心というのはTheaterでも歌われます。
この曲はわかりやすく、人からの人形への視点です。
冒頭の歌詞(セリフ)を言った少年。
君とはつまり人形のこと。
ここは素直にそのまま受け取って良さそうです。
一番の中盤(サビ前)
”日は流れ大人になり気づいた”
ことの内容は最後に語られています。
”大人になった僕は 君みたいな人形にはなれない”
子供の作る台本にエゴや争いを感じられないのは、それを知らないからです。無邪気(innocent)とも言えますが無知(ignorance)とも言えます。
一方で子供は存外、大人が見ていてゾッとするような残酷性も持ち合わせています。
(虫をつぶしたり、ね)
ひとえにそれも無知から来る探究心です。
わかっていないから、やってみる、ということを子供は躊躇なく試します。どうなるかを知らないから。
視点は人=少年自身ですが、厳密には「大人になった今の僕」で、過去の少年時代を振り返って考えていたこと、今思っていることが織り交ぜられて歌自体は構成されています。
(少し珍しい形で、所謂1番2番のように歌がなっておらず、全体で一続きのようになっています。)
嫌だと言えずにただ演じていて、(人形は基本的には)まばたきもせず、いいなりのままであることを少年時代はおそらく良くは思っていなかったのでしょう。
そんな「君」が何を思い、抱いているのかを知ることはできない。
歌の締め括りはやはりそうなれなかったことへのある種の憧憬のようなものが含まれていたのかもしれません。
(そんな曲が収録されているアルバム名がnostalgiaというのがこれもまた伏線になっていたり)
この歌の解釈に一番近そうなのが松任谷由実さんの「やさしさに包まれたら」ではないでしょうか。
”小さい頃は神さまがいて 不思議に夢をかなえてくれた”
”心の奥にしまい忘れた 大切な箱 開くときは今”
なんということでしょう。
偶然とは思えませんね。
魔法は誰でも持っている。そんなこどもごころを歌っています。
主題歌である魔女の宅急便にて、ジジの声が聞こえなくなったというのが子供当時にその意味はわからなかったのではないでしょうか。
逆にそこに気づいてしまうと大人になってしまった、とも捉える。成長する喜びと哀しみの表裏一体、アンビバレントな心情が乗っかってなんともいえないノスタルジーを感じざるを得ませんね。
大人になって、思い出すときはきっとくる。
Rascalにも触れないわけにはいきませんね。
まず沸き曲の出だしが「唐突な遮光」とかいうあまりにも文学的なこの曲。しかもサビが英語。英語……。
”So I don't want to be a grown-up”
ニュアンスを直訳すると「大人になんかなりたくないよ」ですかね。
まあアライグマが先に出てくるかもですが。
Rascalの意味は「悪党」とかそういう意味で、魔女=悪いやつと言えば確かにそうかも。
そういう雰囲気は2番の歌詞に表れてはいますが、この曲もどこか掴めないような感じはありました。
”そんな愚痴ばっかり”はGive it upでの嘆きかなあとか。
というより重要なのはこの曲の原題は実はmelon🍈らしいのですよ。
うーん。でも魔女と言えばりんご🍎じゃない?
という印象があると思います。
なんでメロン?
で、調べてみると、melonという英語の語源はギリシャ語のmēlopeponという語らしいです。
意味はギリシャ語で、
mēlon=「りんご」
peponは「熟れた」
直訳すると「ウリのようなりんご」
から来ているという衝撃の事実に至ってしまい、怖くなりました。
さて何度も何度も出てくるその歌、
魔女が歌う歌というのは、お察しの通りLullabyに他ならないのではないのでしょうか。眠れない夜に聞く子守唄。祈りのような、魔法のような。
Do Du Da Lu~♪で見られる鐘を叩くような振付が象徴的で、これ自体もその(子守唄の)歌詞そのものとも捉えられます。
そして、本命Fanfareです。
これは言われているように、終わり(終演)の歌、という解釈のままに。
物語ではついに花が咲いています。
いつも聞こえていた応援してくれているような鐘の音。
「君」に贈るためのエール。
主役は「君」で
その隣には「私」がいて欲しいと願う。
ヒロインが私であって欲しいと。
解釈に一番難儀したのはそう
”まるでロミオとジュリエット いやジュリエットとロミオだな”
ですよね。
Witchの僕らは僕にと同様、言葉遊びのようにも思われて、そのまま捉えると、ヒロインになりたがる私はジュリエット、君がロミオというのが自然です。
それが逆ということは、
私=ロミオ
君=ジュリエット
ということになります。
他の結末もあるらしいのですが、おそらく最も知られているのは、
ジュリエットが自死を装い、それを本当だと思い込んだロミオも自ら命を絶つ。
それを知ったジュリエットが自ら命を絶ってしまうというものです。
つまり?先にいなくなるのはロミオ=私=魔女?
と思ってもみたのですが、どうにも腑に落ちず。
少し肩透かしのある捉え方かもしれませんが、
単純にその結末自体の逆と考えるならば、
「お互いにひとりで去って行った悲しい結末」
→
「二人で一緒に永遠に生き続ける結末」
という風にも考えられるかなと。
叙述トリックとまでは行きませんが認識の枠組み自体の変化、みたいな。
とはいえこのFanfareという物語で一旦完結を迎えます。
そうして、一番重要と言ってもいい総括、
fairy taleというこの”””始まりの歌”””
(Kolokolメンバーオーディションの課題曲で、そのことを知るよりも先に一番好きだと感じていたのはきっと運命です)
このセカイにたどり着いて、闇夜の中輝く星を見つけ、ある真理に到達します。
”見上げれば星空”
がありそこには無数の星々が輝いている。
”生きている永遠に”
そこで居続けられる。
そんな夜空を見上げ、星になりたいと願うのではなく、その星空になって、たくさんの星を流す(give a lot of stars)。みんなの願いが叶うように。誰も寂しくならないように。
この曲の場合、どこか、というよりは全体を覆うようにあるものと捉えた方がいいのかなとか思ったり。
長く長く掘り下げすぎてここまで来ましたが、ようやっとSundanceに触れる前にあと一つだけ。
Compassの解釈をした際、この曲を「人間らしすぎる」と表現したのですが、初めて聴いて歌詞を読んだときと印象は今でも変わらず、裏付けができた、ということになりました。
つまり、本当に人間なんですよね。
少年時代のファンタジックな世界から、大人になり、現実を知る。
いわばKolokol物語の第二章的な位置づけ。
Compassの世界で追い続け想い続ける「君」への語りかけ。
いつか自分に勇気をくれた、奮い立たせてくれた指針となるようなその心の存在に、
(あの歌を)”””歌ってくれないか”””と。
少年の心を思い出す。
さて、Sundanceも人間らしいと私は思っています。
なのできっと(元)少年の視点での物語なのかなと。
魔女は夜空を見上げて星を見るといつも思い出す。
それに対して、
人間は空を見上げるとおそらくそこにあるのは太陽という方がファンタジーとして美しいじゃないですか。
太陽が出ていると星は見えませんが、いつも空にはあります。
見えていなくても、いつでもそこにあるこの関係性。
太陽と星の位置は君と僕。
以上が私の現段階で読み解けるKolokolという物語です。
結論というか纏めを申し上げると、
これもメタ的な解釈にはなるのですが、
少年と魔女の関係性はまあずばりファンとKolokol自身で、
だからstory with you=君と作る物語。
というわけですかね。
真相は祐希さんのみぞ知る。あるいは西羅さん。
一応の達成感と満足感はあるので、また新たな視点や考察を教えていただければより拡がると思うのでぜひお話ししましょう。
と、一曲から掘る内に新曲(After The Storm)が来たり、新曲入りのアルバムが発表されたりで盛り上がってる中、一生初期の楽曲を聴き漁っていた唐突な斜構。
Kolokolおもしろすぎるだろとああきっとワンピースの考察あげてる人ってこういう気持ちなんだろうなあみたいなシンパシーを感じていました。
挙げた曲以外にもおそらく要素は散りばめられていて、てかこれ全部繋がっているのすごすぎん?と思ったのですが、多分逆で、全体があって個々を成しているのかなあと。
10000字越えしたいなあというのがあって何とか越えたっぽいので、あの上にある時系列纏め的なやつを本当に誰か作って欲しい。story with youなので。そこまでできてたらバシッと決まったんだろうな~とか思いましたが、パズルのピースは集めてきたつもりなので、地図の完成は見届けたいです。
もはや作品として見てるので。
お願い。
最後に、
告知します。
Kolokol 6周年ワンマンライブが東京と大阪で開催されます。
連休まっただ中で、他のグループさんのライブも山ほどあります。
少し、予想というのは野暮ですが、ワンマンライブについての考察的な。
東京と大阪の二カ所にわけたのはぶつりてきなもんだいもありそうですが、対立する二つの概念の象徴。
太陽と月、だと都合が良かったのですか、Kolokolは月の歌、ないんですよね。
だからではないですが、昼と夜、太陽と星と考えています。
Beyond the Horizon
水平線(地平線)を越えて?
水平線の彼方へ?
楽曲的にも40曲近くなり、コンセプトにそれぞれ合う曲を半々にするのかな~とかとかね。
まあとは言えどっちもでも、どっちかだけでも観に行こうかな~となっていただければうれしいです。
いや、来てください。
それでは、またライブハウスでお会いしましょう🔔✋