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教養のための読書 その22「パイドン 魂について」
「パイドン 魂について」プラトン
手強かったです、と言うより殆ど理解できませんでした。
魂は存在するのか、から始まって魂とは何か、魂は不死、不滅なのか、不滅ならば、肉体の死を恐れるに足らない、と言うことになり、これから死に行くソクラテスも恐れることはなく、実際文中では周りの人たちが嘆き悲しむ中で、ソクラテス自身は悲嘆にくれていません。
こうゆう登場人物たちの言動は、理解できますが、その実証や解説は理解不能です。
確かに、現代科学では魂は存在不可能だと思いますが、では、思想や思考や思いは本当に化学反応だけなのでしょうか。
それは科学では実証や証明はできません。
実験室で作り出すことができません。
ならば、哲学で証明したように、本当はあるのかもしれません。
チョムスキーの生成文法はプラトンの想起説に合致しているように思います。
やはり、2500年前に考えられ、それ以降も天才たちが必死で研究したり、今でも議論されたりしているのですから、簡単に理解できたり、身に付いたりするわけはありません。
人間そのものが曖昧なんだから、それを規定するのは難しいはずです。
きっと、一読しただけでは百万分の1もわかってないと思うので、また再読したいと思います。
ちょっと思い出しました、前回読んだ「饗宴」で似たようなものは近くにある、と言うことが書かれていたのを。
現代の類は友を呼ぶ、と同じような意味だと思います。
2500年前から言われていたんですね。
学校に勤めていた頃、周りは中学生ばかりでした、当たり前ですが。
自分自身は見えないので、自分も身も心も中学生のような気になっていました。
もう、学校から離れて6年以上経ちますが、31年勤めていたので、今でもなんとなくその時分の気持ちが抜けません。
だから、溌溂としたものと接していたいです。
常に何かを追い求めたいです。
狡っ辛かったり、裏表があったりするのは嫌です。
次回は、「パイドン」にも出てきたホメロスの「オデッセイア」を読む予定です。
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