
非常にはっきりとわからない・
何度も足を運んだ、知ってるはずだった場所が知らない場所になっていた。
去年まではよく行っていたり、美術館周辺を通ることが多かったけど、今回はその辺り一帯が久しぶりだったから「私が居ない間に変わった街」のつづきをそのまま見ているみたいだった。
何往復もぐるぐるぐるぐるまわっていたので疲れてしまった。エレベーター苦手だけど、わかろうと思って繰り返した。階段につながる道も塞がれてしまっているし…
展示をやっている階は人で溢れていたけれど、その二つ上の階にある図書館には人がほとんどいなかったから休憩にちょうどよかった。これまでの展示の図録があるからゆったりしながら目を楽しませられる…
個人的に、この展示には千葉市美術館らしさを感じていたのだけど、それは『不完全 パラレルな美術史』とか『あなた以外の世界のすべて』が好きで何回も見たからなんじゃないかと思っている
「あなた以外の世界のすべて」の展示には、それが絶対そうであるわけじゃないことが全体的に敷き詰められていて、パラレルな見方があることが視覚化されていた。絵画とか美術品に書いてあることも、そこに塗られる色も、切り取られるモチーフがまったく違ったものだった「かもしれない」ことが、今回のと似ていると感じる原因だと思う。
「不完全」の展示は、美術と非美術の境目とか、西洋と東洋の区別を敢えて失くそうとする試みがあった。曖昧だけどわかったように扱われているものがごちゃーっと混ぜられていた。同じ展示会のなかで、それも、同じ作品のなかに、西洋っぽい彫刻と東洋っぽい彫刻が混在していたり。なんとなくある区別に、はっきり境界線を引くことの難しさを表しているところが似ていると思った。
今回の「非常にはっきりとわからない」を見て、「わからない」ように隠されていると、その「わからなさ」から普段どこを見て判断しているのかがわかりやすくていいと思った。わかりやすかったのは、エレベーターで移動することの記号性とか。案外、自分がいる階って忘れてしまって大丈夫だったりする。エレベーターのところに行けば、何階なのか書いてあるから。
差異を見るの、発見があって楽しい。違いからしか気がつけないことってあると思っていて、例えば、「忙しい」と「暇」みたいな、対立するけど基準が相対的なことばって、どちらか一方しか経験したことなかったらもう一方の存在には気がつけないと思う。「暇だなあ」って思えるのは、「忙しさ」を知ってるからなんだと思ってるけど違うかなあ。赤ちゃんも「忙しいなあ」と感じてたりするんだろうか。
(私の気づく能力が低いから、面白く感じるのかもしれない…)
工事現場を眺めているときの、ぜんぜん知らない工具とかの使い方を見ているときの楽しさもあった。「知らないもの」を見るのってたのしい。自分が知らない世界、山ほどあると思うんですが、そこの一端を知れるというか。この人にとっては日常的に扱う道具なのに、ぜんぜん知らない…!こんな用途の道具があるんだ…!ってすこしわくわくする。この前、Twitterで「豆垢」っていうのを見つけたけど、まったく豆の話していなくて、わたしの知らない豆だったのかもしれない。知らなさが知らなさを呼ぶ…
『考えるときに「わかった」つもりになってしまっているものたちは、あくまで「ある程度わかった」というだけで、それ以上「わかることはできない」こと』が、かなり自分のなかで当たり前になってしまっているから、今回感じた「わからなさ」によって概念が覆されるとかがあるわけじゃなかった。(逆に、そういう思考の癖がついてしまっている)
でも初めて得る感覚としては、かなり印象に残ると思う。まだ体験したことない人こそ楽しいだろうな。もう終わっちゃったけど。
それでも、その当たり前の感覚が視覚化されているのを面白がれたから楽しめた。その感覚を目で見られるようにしたらこうなるのか!という楽しみかた。もうその感覚が覆されている人とか、自分で気づいている頭のいい人たちにはたぶんぜんぜん響かないけど、楽しめる部分はある。
よく美術館に行くという人が、概念が覆された!と感動していて、きょとんとしてしまった。その人は、普段何を見ているんだろう…芸術鑑賞なんて何を見ていても、どこに感動してもいいのだろうけど、あまりに考えていなさすぎるのではないかと思ってしまった。そういうものなのかなあ。
ミュージアムショップに推薦図書が置いてあって、そのなかに『生物から見た世界』があったから、なるほどと思った。この展示に込められたわからなさは、別の環世界のわからなさだと感じたから。
「環世界」というのは、ある主観から見た世界のことで、主観で捉えた世界のこと。たとえば私の見方から捉えている世界と蝶が捉えている世界は、同じかもしれないし違うかもしれないけれどそれはこの主観からではわからない。この展示は、うまくこれが落とし込まれていた。
この展示は、初めてこの美術館に行く人と、よくこの美術館に行く人とで見え方の差が大きくなりやすいものだと思う。あと、美術館に携わっている人もぜんぜんちがうか。ほかの人もきっと主観がどこにあるかによってぜんぜんちがって見えるんだろうな。よく行く美術館としても来たかったな…
みんなでAUDIENCEになるのが、すこし非日常で好き。私が行ったとき、杖を突いて鑑賞している人がいたから、てっきり目の関係者なんだと思い込んでいたのだけど、近くにいったらその人も観客だった。そういう境目もぼんやりとしていて、好きなわからなさで溢れている空間だった。
いいなと思ったら応援しよう!
