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【essay】デタラメと良心とドラマ『グッド・ファイト』

昨年(2024年)から話題の、兵庫県知事問題。一度失職した斎藤元彦氏が出直しの知事戦で再選を果たしたとき、真っ先に思い出したのはアメリカのドラマ『グッド・ファイト』の冒頭シーンだった。

主人公ダイアンが、薄暗い自室で呆然とTVモニターを見つめている。映っているのは、第45代ドナルド・トランプ大統領就任式(2017年)だ。

民主党シンパであり熱烈なヒラリー支持者でもある彼女は、その日アメリカに初の女性大統領が生まれると信じて疑っていなかった(実際このドラマは、ヒラリー政権誕生シーンで始まる予定だったと何かで読んだ。それがひっくり返ったことで、あの冒頭シーンが生まれたとか)。

クリスティーン・バランスキー演じるダイアンは、シカゴの法律事務所に勤める有能なパートナー弁護士だ。法こそが正義、法が機能していれば何が起ころうとも物事は正しく進んでいく、そう信じてきた。そんな彼女の目に、トランプを大統領に押し上げた現代アメリカは、支離滅裂な世界に映る。

いくつものスキャンダルにまみれ、下劣な侮辱や罵詈雑言を撒き散らしながら頂点に上りつめたドナルド・トランプは、国民の不満を燃料に付け火して、誰もが隠し持つ差別意識をみるみる炙り出した。煽られ燃え盛ったそれにはもう恥じらいなどなく、丸出しになった妬みやら特権意識やらは際限なく膨らみ、勢いを増し続けた。

ついこの間まで、日本でも、おそらくアメリカでも、差別意識や妬みや破廉恥はれんちな暴力は「恥ずべきもの」だった。人々にはそれらを恥じる常識があった。社会はそこを突いて愚者や罪人を裁くことができた。

それが、通じない世の中になった。

はじめは世界とつながる希望だったSNSも、今や対立と分断の場所だ。真実よりも嘘のほうが多くの人に「いいね!」をクリックさせるなら、嘘が正義になる。何か意見を述べれば即座にラベリングをされ、望まぬ二項対立のリングに立たされる。匿名の他人から事実を「フェイク!」と糾弾され、覚えのない罪を被せられ、炎に放り込まれる。ありもしない物語が勝手に作られ、真実の叫びはどこにも届かない。誰もが雄弁だが、その耳は塞がれている。一方通行のコミュニケーションの流れの中で、まともな人は立っていられない。

『グッド・ファイト』はこうした現代を背景に、シーズンごとにリアル・アメリカの世相を反映する事件を軸に立てて展開していく。銃規制、移民、人種差別、性差別、宗教、戦争、ヘイトクライム、etc……。

どのシーズンも素晴らしいが、最初の大きな山場である2ndシーズン7話からのエピソードが、とりわけ昨今の日本に起きている"デタラメ"とリンクする。

   * * *

ある日、民主党全国委員会のコンサルタントがダイアンたちの事務所にやってきて、パートナーたちだけを集めた秘密の会議を開く。明かされたその内容は、「トランプ弾劾だんがい作戦」だった。

民主党委員会は、全国から選抜したいくつかの弁護士事務所をテストして、そのうちの一つにトランプ弾劾の準備を依頼しようとしていた。当然大きな利益になるので、ダイアンたちは勝ち取りたい。

コンサルタントは言う。
「なぜトランプは弾劾されるべきなのか、そしてどの罪で弾劾すべきか、その根拠は? さあ、あなたたちはどこを攻める? 力を見せて」

奮い立った事務所のパートナーたちは、口角泡を飛ばし、トランプが大統領として行った政策の過ちを次々に挙げて激論を交わす。意見はなかなかまとまらない。

そんな中、ただ一人黙り込んでいた代表パートナーのリズが、やおら口を開く。

「わたしはこの事務所へ来る前、長いこと司法省で働いていたけど、そこで聞いた話がある」

彼女が語りだしたのは、トランプの下品な人種差別発言やセックス・スキャンダルの証拠をとらえたビデオの存在、そして司法省がトランプを未成年相手のレイプ事件で起訴しようとしていたという話だった。政策の不手際を弾劾材料にしようとしていた一同は、ポカンとなる。

リズは続ける。
「ある日、わたしは突然トランプ案件の担当を外された。すると同時に証拠物は消え、起訴の話もなくなったわ」

真剣に聞いていたダイアンは、ここではっとして吹き出し「今の、全部ウソね」と言う。しかし同時に、リズの意図にも気づく。それは "今はもう、これまで通りのお行儀良いやり方は通じない。あっちがデタラメな手を使うなら、こっちもそれに合わせて対抗すべき" ということだ。

陰謀論とフェイクニュースが飛び交う、正論など力を持たない世の中。まさに今、わたしたちが見せられているあれやこれやと重なってくるではないか。

ジャニーズ事件、兵庫県知事の人権侵害問題、松本人志や中居正広の性加害疑惑、その当事者や取り巻きや信奉者らによる無責任で不誠実な言動、そして業界全体の常軌を逸した体質。いったいこれをどう捉え、どう消化したらいいのだろう。リズが言うように、常識やら相互理解への期待などはかなぐり捨て、デタラメにはデタラメで対峙するしかないのだろうか。

ドラマでは、支離滅裂な世界にうんざりしていたダイアンがリズに同意し、会議の中でトランプに対する際どい暴言を発する。そして、のちに手痛いしっぺ返しを食らう。会議の録音データが当局に渡り、彼女は天下の悪法「共謀罪」に問われしまうのだ。

ダイアンとリズ、そしてもう一人の代表パートナーであるエイドリアンが、 "法律の確かさ" について語り合う場面がある。

「もしも、法律が正しくなかったら?」
「法より、正義を優先するわ」
「正義が法を定義するんじゃないのか?」
「いいえ、良心よ。そうあるべき」
「では、法を破っても構わないと?」
「ええ、良心に反する法なら、構わない」

絶対的正義と信じていた法の足元が腐敗でぬかるみ、大切な何かが崩壊しようとしている。そんな中でも「良心」を拠り所にして足を踏ん張る弁護士たちの、不安が迫ってくるシーンだ。

「正義」が諸刃もろはつるぎであることは、もうさんざん言われて手垢がついている。信じるものによって、あるいは立つ場所によって、正義の意味は変わる。にしき御旗みはたはそのまま凶器になりうる。

しかし「良心」は違う。良心は、善を肯定し悪を否定する個人のシンプルな道徳心だ。シンプルだからこそ、理由も解釈も必要なくそれが何か誰にもわかる。わからなければ、その人は良心に欠けたサイコパスだ。

正義を振りかざすのではなく、己の良心に従うこと。それこそが、デタラメな世界の中でまともでいるための唯一の方法かもしれない。

   * * *

このシーズンでは、同時に「弁護士皆殺し事件」が進んでいく。舞台であるシカゴで、弁護士を逆恨みしたクライアントが「弁護士皆殺し」と声明を出して弁護士を殺す事件が相次ぐのだ。

そしてとうとう、事務所のかなめであるエイドリアンが銃で襲われる。混乱に乗じて、ライバルの大手事務所がハゲタカのように襲いかかってくる。事務所を守るため、ダイアンやリズたちは団結して敵に立ち向かう。

それまで世界の支離滅裂さに耐えきれずドラッグに頼るなど不安定だったダイアンが、この事件を機に我に返って2ndシーズンは終わる。

世の中がどれほどデタラメでも、自分に課せられた仕事、使命に懸命に取り組むことで正気を保て。そうして自らの誇りを守り、愛する人たちが暮らす社会を守れ。観る者にそう訴えかける終わり方だった。 

このシーズンを見返した後、わたしの良心がそうせよと囁くので、Youtubeのこたつ記事系チャンネルをシャットアウトすることにした。事件に関して調べようとすると勝手にそうしたチャンネルが表示されてくるので、もうYoutube自体も視聴しなくなった。

ただそれだけで、わたしの世界はだいぶまともになった。デタラメはなくなりはしないが、きちんと仕事をし、大切な人たちと会い、語り、善いことを共有して笑ったり泣いたり怒ったりすることが、わたしをデタラメから守ってくれている。

そしてもうひとつ、とても重要なことをわたしは再認識した。デタラメな世界で正気を保つために必要なもののひとつが、「物語」だということだ。物語には、それがどんなぶっ飛んだものであっても、秩序がある。道理がある。そして作り手の良心があるのだから。


"良心"が欠如した「自己愛性パーソナリティ障害」をテーマに書いた小説。ご好評を頂いています。↓


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岡部えつ(小説家)
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