『ちゃんと聴く』って本当に難しい。最近の失敗から学んだこと
最近、私が失敗したことがありました。ある日の食事中、ある人から仕事先での人間関係について相談を受けました。最初は「聴く」を実践して、相手の話をじっくりと聴いていたのですが、途中から私の「聞く」に変わり始め、つまり、私自身のジャッジメントが入り、「こうしたらどう?」と答えを出そうとしてしまいました。後半になると、私が話し手になってしまい、相手はどんどん話せなくなっていたのです。
相手を助けてあげたいという気持ちからの行動でしたが、その人が話し終えた後の晴れない表情がとても印象に残りました。本当にどうしてあげたら良かったのだろうか?今振り返っても、もしやり直すことができたとしてもうまくできるかはわかりません。
この失敗を通して、私は「聴くこと」の難しさを改めて感じました。聴くことは、ただ相手の言葉に耳を傾けるだけではなく、相手の気持ちや意図を理解しようとする深いプロセスです。それにはスキルが必要であることはもちろん、こちらの心身のコンディションが整っていることも重要です。特に、身近な人との関係性では、この「聴く」ことがさらに難しくなることを強く実感しました。
櫻井さん(社外人材によるオンライン1on1サービス「YeLL」を提供するエール株式会社の代表取締役)の『まず、ちゃんと聴く』では、「聴く」と「聞く」の違いがとても明確に示されています。聴く(withoutジャッジメント)は、自分の解釈や判断を入れずに相手の言葉をそのまま受け取ること。一方で、聞く(withジャッジメント)は、自分の解釈が加わることで、答えを導き出そうとする行為です。実際には、この二つをバランス良く使い分けることが大切だと教えてくれました。
興味深いのは、withジャッジメントで「なぜそう思うの?」と問いかけると、話し手は自分の中にある既存の答えを返そうとします。しかし、withoutジャッジメントで「何がそう思わせるの?」と問いかけることで、話し手は自分でも気づいていなかった新しい答えを探し始めます。この違いが、相手の気持ちにどう寄り添うかに直結していると感じました。
私がしてしまった失敗はここにありました。まさしく、横に立ってその人が見ていた風景、つまりその時感じていた悔しさや辛さを一緒に感じ、寄り添うべきでした。しかし、途中で私の解釈が入り、結果として相手を一人にしてしまいました。
この経験から、「聴くこと」をもっと意識し、特に身近な人との会話でも、相手と同じ景色を見て、感情を一緒に味わうチャレンジを続けたいと思います。