広告の品
今夜の夕ご飯何にしよう。
私はパートの帰りにいつもの大型スーパーで夕飯の買い物をしていた。冷蔵庫の中のものを思い出しながらお買い得なものをチョイスしつつあれこれと買っているとカゴが腕に食い込んでくる。
四十二歳主婦。
二人の子供達も高校生になり、学費はかかるが手はもうかからない。
夫は四歳上のごくごく普通のサラリーマン。
ファミリータイプのマンションを三十五年ローンで買った為、小遣いぐらいは自分で稼がねばと近所の飲食店でパートを始めたのは二年前。
若い頃、苦労人だった母からよく言われた言葉がある。
「一銭稼ぐより、一銭倹約しろ」
家を守る主婦が知恵を絞って倹約すれば、それだけ外で稼いだのと同じだと。
でもね〜ちょっと稼いで、ちょこまか使ってるほうが気楽で楽しい。高級品を買おうとかいう野望はないが、普段はスーパーでケチケチしながらも、たまには外食したりするのも人生に彩りを添えるってもんだ。
さて、帰るか。大きめのエコバックはずっしり重く肩に食い込む。
駐車場に行こうとペットショップの前を通る。ガラス張りの小部屋に入ってる犬や猫を眺めながら歩いていると一つのスペースに真っ赤な文字で「広告の品」と貼ってある。
「広告の?品??」
私はちょっとびっくりして中を覗き込んだ。
小さな黒い犬がじっとこちらを見てる。
「お前が広告の品なの?」
ほかの子犬たちは賑やかに鳴いているが、この子はただ黙ってじっとこちらを見てる。お店のお姉さんがニコニコと近ずいてきた。
「可愛いでしょ?抱っこしてみますか?」
いやいや、飼う気もないし、結構です。でもどうしてこの子だけ「広告の品」なんてラベルを貼られてるんですか?
「うちの店も、このスーパーの一部なんで、たまにはこういう広告の品を出すんですが、この子が安物だとか、健康に問題があるとかそういうことではないんです。どれか1匹を目玉商品にしなくてはいけなくて、今回はこの子がそのラベルを貼られたんですが、顔が可愛いしきっとすぐ買われると思います。」
子供達が小学生の頃、何度も犬を飼いたいとせがまれた。夫にも犬を飼うのが夢だと何度も言われた。しかし私は頑として受け付けなかった。犬はおもちゃではない。可愛いだけじゃない。ウンチもするしオシッコもする。そしていつか命が終わる時に別れが来る。
飼うということは、その子の命を丸ごと受け止めるってこと。そんな大それたこと私にはできない。
お店のお姉さんは軽いおしゃべりをしながら、その犬をそっと小部屋から出すと私の眼の前に差し出した。
「明日にはどなたかのおうちの子になると思いますが、良かったらちょっとだけ抱っこしてあげてください」
その子犬は小さく震えていた。私の手のひらの中で温かなぬくもりとともに震えていた。そっとそっと向きを変えて顔を見たら、つぶらな瞳でじっと見つめてきた。両手のひらに収まるほどの小さな黒い毛玉のような子犬が私と目を合わせると震えを止めてただじっと見つめてきた。
お姉さんが何か言ってる。私の横で何か言ってる。しかし私の耳には届かない。この命のぬくもりに心が吸い込まれてしまっていた。
私はしばらくしてから思い切って言った。
「この子をうちの子にしたいです。今から家族に了解を得ます。今まで犬を飼うつもりは全くなかったし、飼い方もわかりません。一から教えてください!!」
重たいエコバックを車に運び、駐車場から見上げた空は美しい夕焼けだった。オレンジとピンクのグラデーションを眺めながら夫にメールを打つ。
「仕事中ごめんなさい。犬を飼いたい。飼ってもいいですか?」
よほどびっくりしたのかすぐに電話がかかってきた。
「どうしたの?」
私は今の気持ちを正直に話した。散々犬を飼うことをダメだと言っていた私の変化に夫は驚きながらも大賛成してくれた。
「子供達は?」
「今から気持ちを伝える。多分呆れながらも喜ぶと思う!」
小さな黒毛玉は、こうして我が家の一員になった。子供達から「あるるぅ」と名付けられた。
あれから十八年。
艶やかな黒い毛並みに白髪が混じり、つぶらな瞳も白濁し、日中のほとんどを寝て過ごしている。
犬の一生ではもういつ旅立ってもおかしくない年齢になった。
巣立った子供達が暮れに孫を連れて帰ってきた。
「あるるぅーーー!ただいま!」
以前は猛然と走ってきてはくるくると足元を回り全身で喜びを表現していたが、今はリビングの定位置で寝たままお出迎え。見えないながら鼻を動かし、小さく尻尾をぱたぱたさせている。
「あるるぅ!いい子にしてた?ん?ん?そうかそうか、そんなにいい子にしてたかーーー!」
身体中を撫でながら集まった家族から声をかけられる。
うちの子になって幸せだっただろうか?
人間の何倍ものスピードで一生を駆け抜けるかけがえのない家族。
普段ケチな私が一生に一度の突然の大出費だったが、広告の品だった彼女は、全身で我が家に幸せを運んできてくれた。