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12. YouTuber

 我が家の冷蔵庫には、アニの一週間分の献立リストを主菜、副菜のグループに分けて記載したものが貼ってある。
 義母の他界後、義父が作る夕食以外は菓子パンやカップ麺、ファストフードを主食とし、大腸ポリープや高血圧など食生活の乱れが引き起こす複数の疾患を併発していたアニの健康維持のために始めた献立作りだったが、成人男性の一週間分の食事量は想像以上に多く、仕事をしながらの買い出しや炊事は慣れるまでに数ヶ月を要した。
 
 献立は、朝は焼き魚、昼と夕は肉を使った主菜を一品に野菜や乾物、豆類による副菜二品を添えた1日3食、7日分を作っている。アニは子どもの嗜好に近い味付けを好むため、我が家の献立と同じもので賄える機会は少ない。そのため、一週間のうちに自分たちの食事とアニ用の食事という2種類の炊事を並行して行なう必要があり、先の献立リストを確認しながら進めないと食材が無駄になったり、途中で混乱することになる。
 労の多さを心配する夫からは、簡素化する方法も提案されるのだが、炊事の数や量が増すことで食材や調理法などに関する自身の思い違いや悪癖が顕現することがあるため、これまでの照顧として続けている。

如し米砂べいさ誤てり去ること有らば、自ら手ずから検点せよ。『清規』に云く、「造食ぞうじきの時は、すべからく親しく自ら照顧しょうこすべし。自然に精潔じょうけつならん」。

道元『典座教訓』

 食事の受け渡しは週に一回、我が家を訪れてもらっている。その時は一緒に昼食をとりながら郵便物などの確認、一週間の出来事などを訊きながら一時間半ほどを過ごすが、アニが調理したての食事を口にする数少ない機会となるため、揚げ物や麺類など作り置きにはできないものを用意している。

 ある日の昼食に、五目かた焼きそばを出したところ、アニが携帯電話を片手に「撮ってもよろしいでしょうか?」と興奮気味に言い出した。写真を撮影するものと思い了承すると、背後から高揚したアニの声が聞こえてきた。振り返ると「美味しそうですねー」「うずらの玉子も入っていますねー」「ぜいたくですねー」などと喋りながら、慣れた手つきでカメラを近づけたり離したりしながら撮影をしていた。こちらが呆気に取られているうちに、アニは動画にタイトルを打ち込みアップロードを完了させた。
 
 知らぬ間にアニはYouTubeチャンネルを開設し、動画の投稿を楽しんでいたようだった。どうやって思いついたのか分からない謎のアカウント名のチャンネルには、自作の歌や役に立ちそうもない警句風のフレーズ、傍目には全く魅力を感じられない散歩コースの紹介などが既に十数件アップロードされていた。
 近所のスーパーに掲出されたポスターをクローズアップで撮影し、そこに写るアイドルをデートに誘うもの、西東京の地名を冠した自作の歌を、全く関係のない東東京の路地を散歩しながら歌うものなど、どの投稿も期せずしてナンセンスになってしまうアニの強みが随所に散りばめられていた。特に自作の歌は中毒性があり、つい口ずさんでしまう魔力が宿るものであった。
 意味不明なアカウント名も含め、チャンネルの主が数ヶ月前に逮捕され留置所に入れられていたことなど、微塵も感じさせない楽天さである。

 その日以来、アニは日々の投稿に三度の食事を加えている。「美味しそう」などのタイトルを記載していながら、盛り付けや見映えを全く意識していない料理の映像は、作っている私でさえどのメニューを撮影したのか見分けられないことが多かった。ある時、保存容器から出したままの四角い状態の焼そばの投稿に「ミミズかと思った」という視聴者のコメントを見つけた時は、コメント投稿者に「いいね」をつけたい衝動に駆られた。
 コメント欄には時に批判的なメッセージが寄せられることもあるが、アニは気にする素振りもなく、次々と動画をアップロードしている。

 常識に疎いアニが撮影中にトラブルに巻き込まれないように、カメラは他人に向けない、特に子どもは厳禁であること、自宅や個人が特定できるようなものが映り込まないようにすること、バンされる可能性のあることは行なわない、など自由を奪わない最低限の注意を伝えるに留めているのだが、あまりに乱雑な盛り付けの食事の投稿を見かねた夫は、自分のために時間を割いている他者への感謝の気持ちがあるなら、こんなに汚い料理の映像にならない筈だ、と苦言を呈した。その日から、食事の動画の冒頭には「エツコさん、ありがとうございまーす!」というセリフが付されるようになったのだが、肝心の盛り付けにはほとんど変化は認められなかった。

 私は仕事中にこっそりアニのチャンネルを閲覧している。アニはほぼリアルタイムで投稿しているため、YouTubeはどこで何をしているのかが把握できる、謂わばGPSのようなものである。ただ、思いがけない歌やセリフに吹き出してしまうことがあるため、職場での閲覧には大きな危険が伴うことも忘れてはいけない。
 
 実家のテレビにはアニのYouTubeがチャンネル登録されており、同居する姪たちが気に入った投稿に「いいね」をつけている。なかでも「プリンの歌」が大のお気に入りで、姉妹で遊びながらその歌を口ずさんでいるのを頻繁に耳にする。
 アニの状況を知る友人や知人たちに投稿を見せたところ、笑いを堪えるのに必死になっていた。障害のあるアニを笑うことに抵抗があったのだろう。だが、アニの動画が誘発する笑いは障害に起因するものではなく、独特の言語感覚とナンセンスが融合した、清らかなユーモアによるものである。前述した友人たちは、今はアニのYouTubeをチャンネル登録し、新規投稿を楽しみにしている。

 ある日、我が家でアニメのYouTubeを見ていた姪が「伯母さん!オジサンのYouTubeが出てきたよ!」と大興奮で報告をしてきた。チャンネル登録しているアカウントの新規投稿が、おすすめとして出てくることを知らない、子どもらしい勘違いなのだが、姪にとってアニはYouTuberとして認知されているのかもしれない。

 当初10名程だったチャンネル登録者は現在、300人を超えている。姪たちが応援するYouTuberアニの誕生は、もしかすると夢ではないのかもしれない。

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