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1. 小糠雨

 アニ(義兄)との初めての対面は、留置所のアクリル板越しだった。逮捕から四日後のことである。

 「父親の金を自分のものにしたかった」
アニは警察にこう供述したという。
 
 当初から夫はアニの供述に強い違和感を持っており、警察をはじめ検事、国選弁護人との電話でもしきりにそれを伝えていた。お金に執着するようなタイプの人間ではない。

 かつて日光街道の宿場町として栄えたその土地の駅前のロータリーを北東に行くと、利根川水系の一級河川が現れる。緩やかに蛇行しながら市を北西から東南に流れるその川の上流には、沿岸に染井吉野の並木が続き、春には花見をする人で賑わう、県内有数の桜の名所がある。
 市役所を過ぎた橋の袂で、毎週火曜日に出る農産物の市を横目に、市道沿いをしばらく歩くと、いかにも昭和の趣の警察署にたどり着く。

 想像していたよりもずっと古く暗い留置所の面会室。アクリル板で仕切られたこちら側には、古びた三脚のパイプ椅子が置かれている。部屋に備え付けのアタッシュケースに携帯電話を入れ施錠される。
 向かいの部屋に明かりがつき、留置担当官に伴われたアニが落ち着かない様子で鉄扉をくぐり現れる。面会中もしきりに部屋の隅に座る留置担当官を気にしている様子だった。

 警察署を出た時、違和感が言葉になる。アニには脳障害があるんじゃないか。少年時代に脳梗塞を起こし、10日間も昏睡状態に陥ったこと。病前は県屈指の難関校への進学を目指すほどの成績だったが、病後は次第に成績が落ちていったこと。大学卒業後は就職するものの長続きせず、職を転々としていたこと──などは以前より夫から聞いていたが、アニと障害を結ぶことに確信が持てずにいた。

 留置所で交わされた、入り口と出口が繋がらない会話。不自然なほど丁寧な敬語で弟と話す様子。自分が逮捕された理由を本質的には理解していないような言動。なによりも、居間で亡くなっている父を発見したのち、ウェブサイトで調べた葬儀費用を準備するため、生前預かっていたキャッシュカードで一日の上限額いっぱいを連日引き出し続けた、という行動そのものがアニが何らかの問題を抱えていることを浮かび上がらせている。
 後日調べると、引き出された義父の預金は一円も減ることなく、毎日アニの口座へと移されていた。

 アニが自ら通報するまで8日間。警察が遺体を運び出すまで、義父は亡くなった状態のまま居間に座っていたという。

 亡くなってから約1ヶ月後、義母の姉との三人で義父をようやく荼毘に伏すことができた。小糠雨の降る静かな月曜日。検死のため数週間にわたり警察に安置されていた義父と、火葬炉の前で束の間の対面を果たせた。穏やかな顔。奇しくもその日は義父の78回目の誕生日だった。

 非常にシャイな性格だったという義父。家の小さな庭の花壇では、夏はトマトや茄子を丹精していたという。住まいには、手先が器用だった義父自ら繕った痕跡がいくつもあり、つましい生活を送っていたことが窺えた。
 生前の義父の暮らしぶりに倣い、因習的なものを排した葬儀は、アニが口座から引き出した1/10以下の費用で執り行なわれた。

 冬の冷え込みがまだ続く早朝、ATMへ自転車を走らせていたアニの目には、17年前の母の葬儀が映っていたのだろうか。





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