4. 梅雨のはしり
義母が遺した手帳に記された、当時のアニの主治医と思われる医師の苗字を手がかりに、その人が現在勤務する病院を探し出すことができた。
手帳は、アニが退院してから1ヶ月ほどの通院記録を最後に途絶えてしまっているため、当時を知る人や病院に見てもらった方がいいかもしれないと、その医師のいる病院とアニが緊急搬送された市立病院に連絡をした。
35年以上前に起こした脳出血と今回の事件との関連性について、後遺症としての脳障害に一因があるのではないか、という仮説をもとに二つの病院に相談したところ、アニが緊急搬送された市立病院で診察をしてもらえることになった。残念ながら30年以上病院には通っていなかったため、カルテは残っておらず、当時のアニがどのような状態だったか、またどのような経過を辿ったのかは分からないという。
アニの元主治医が在籍する病院に相談をした際、釈放後は地域のサポートを受けて生活する必要があるだろうから、通いやすい近隣の病院を受診することを勧められたことに驚いた。誰も気がつかなかったアニの脳障害を、事件の詳細と既往歴を伝えただけで、電話口の看護師たちは脳障害があることを察知し、家族にとって一番よい方法を教えてくれたのだろう。
後日アニに事件について訊ねると、長時間に及ぶ聴取を受けるなかで疲弊し、半ば促される形で「父親の金を自分のものにしたかった」という、ある種の定型とも言える供述案を受け入れたのだという。後に分かる、考えを言語化しにくい、というアニの脳障害の特徴も聴取では不利に働いたのだろう。アニの行動履歴やインターネットの検索履歴をもとに、不起訴になったものの、多くの人間を見ているはずの警察が、アニの供述から何らかの障害の可能性を導き出せなかったことは残念に思う。
こうした経緯で、釈放されてすぐに受診することになった脳神経内科では、数ヶ月にわたりMRIやCT、知能テストなど、さまざまな検査を行ない、結果の説明に病院を訪れた時には、梅雨入りが目前に迫っていた。
アニが留置されていた警察署をさらに北東に進むと、市内有数の病床数を誇る市立病院が現れる。エントランスを入り、一面ガラス窓の明るい待合所を抜けると廊下の先に脳神経内科がある。先に着いていたアニは、我々を見つけると立ちあがり、両腕を脇にぴったりとつけながら、深々とお辞儀をした。
診察室のモニターに映し出されたアニの脳は、左脳が霞がかかったように真っ白になっており、医師の説明では外・内ともに萎縮し血流はなく、右脳の血流もやや落ちているそうで、さらに左小脳も機能低下が見られるという。言語性IQ、動作性IQはいずれも83ほどで、平均からはやや低いということだった。また、当時「脳出血」と思われていたものは、脳の状態から「脳梗塞」だったことが判明した。
本や映像で目にする、脳のMRI画像のイメージとは全く別の様相を呈しているアニの脳。やはり、というよりもこの状態で日常生活を送ることができている事に驚き、しばし言葉を失った。
これだけの脳損傷を経て、目に見える後遺症が残らなかった理由は、14歳という成長期に起こった脳梗塞だったため、損傷を受けた部分の脳の役割を他の場所が補ってきたことが理由だと説明された。
脳損傷に起因する認知障害に「高次脳機能障害」という名がついていることは、アニが逮捕されてから様々な情報を調べる中で知ることができていた。ただ、その具体的な症状は脳のどの部分に損傷があるか、によって異なるようである。
また、義父の死体遺棄に関する一連の行動は、高次脳機能障害だけでは説明がつかない部分がある、とのことで市内の精神科専門の大学病院を紹介された。
高次脳機能障害がいかに複雑な症状を持つ障害かが分かる、一つの例であるが、アニはマニュアル車の運転免許証を持っている。もちろん運転をしたことは一度もないが、アニの障害は、ある分野では一般的な能力を発揮することができる、という事実からも、脳の複雑さに眩暈さえ覚える。
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